【今週はこれを読め! SF編】モザイク化されたヨーロッパに展開するスパイ・サスペンス
文=牧眞司
混沌と汚濁の近未来に繰りひろげられるスパイ・サスペンス。
作者デイヴ・ハッチンソンは、まだ二十歳前だった一九七〇年代末より小説を発表してきたベテランだが、本格的に作家活動をはじめたのは二十一世紀以降だ。本書は二〇一四年の刊行の長篇で、《分裂ヨーロッパ》シリーズの第一巻にあたる。
ひとたびはEUとしてまとまりかけたヨーロッパが、経済・難民・テロ・感染症などによって分断へ向かい、次々と小国家が乱立した。なかには、宗教団体やミュージシャンのファンクラブがそのまま独立を宣言したものさえあり、その多くは泡沫のように消えていく。
主人公のルディはポーランドで料理人として働いていたところを、"森林を駆ける者(クルール・デ・ボワ)"なる組織にスカウトされる。クルールは特定の国家に与せず、ひそかに国境を越えて活動する配達機構だった。依頼に応じて物品や情報を運び、ときにスパイのようなミッションも手がける。もっとも末端のメンバーであるルディに、クルールの全体像を知るよしもない。
任された仕事はうまくいくときもあり、失敗するときもある。味方から手痛い裏切りを受けたり、敵の不可解な動きに眩惑されることも。
何度目かの任務でルディは故郷のエストニアに向かい、そこで英語を話す男に拉致されてしまう。拉致というのはルディの主観であり、男はあくまでこれは保護なのだと主張する。そこから「カフカ的悪夢」(作中の表現)がはじまる。身柄を厳しく拘束されているわけではないが、行く先も定まらずに彷徨う日々。自分が置かれている状況を把握しようという試みは、ことごとく空転する。
人生はフィクションとはちがうのだ。現実世界では、年老いたイングランド人のスパイが急に登場して計画の要点を全員のために説明したりしない。
この見通しの悪さが『ヨーロッパ・イン・オータム』全篇の基調である。ルディは謎に翻弄されつづけ、いくつもの国境を越えていく。やがて、とある暗号をきっかけに、自分がいま生きているヨーロッパの裏面に、とほうもない「もうひとつの国」が蠢動している疑いを持つようになる。歴史の二重性といってもよい。陰謀論というよりもフェアリーテールめいた印象すら受ける。
それまで渋く押さえたトーンのスリラーだった物語が、ここにきてクリストファー・プリーストばりの擬似現実の迷宮へと転調する。はたしてルディは真相へ辿りつけるか?
イギリス作家らしい、シニカルなユーモアも読みどころ。
(牧眞司)