【今週はこれを読め! SF編】口、耳、目、肉、鼻、髪、肌......身体器官から異常領域が広がる

文=牧眞司

 異色のダークファンタジー『残月記』で日本SF大賞と吉川英治文学新人賞をダブル受賞した小田雅久仁の新刊。七篇を収録した短篇集でそれぞれの作品は独立しているが、全体を通しての統一感がある。基調は『禍(わざわい)』という題名が端的に示している。

 冒頭に置かれた「食書」では、公衆トイレの個室の扉を開けた(カギはかかってなかった)私は、便器に腰掛けて一冊の本のページをちぎっては口へ運んでいる女を目撃する。女は不気味な雰囲気を発散しているが、とくに害をなすわけではない。ただ、「絶対に食べちゃ駄目よ!」と言って立ち去る。その言葉は忠告というよりも呪いなのだ。

 本を食べるのはいささか異常な行為だが、この作品の場合、身体器官である口が何かグロテスクな(そしてエロチックな)イメージとして、じわじわと迫ってくる。本はただ本だし、口はただ口のはずだが、ドラッグを摂取しているような展開へと雪崩れていく。

「耳もぐり」は、他人の耳の穴を鍵穴に見立て、自分の指を鍵として"内部"へ入りこむ特殊能力者(変質者)の物語。江戸川乱歩「人間椅子」のホラー的にエスカレートしたような展開だ。

「喪色記」では、視線への苦手意識を持った主人公が、世界が滅ぶ夢を繰り返し見る。その光景はリアルで切迫感がある。やがて夢の頻度が増していき......。

「柔らかなところへ帰る」は、路線バスで隣に座った女の肉付きの良さが忘れられなくなってしまう。きわめて肉感的なファムファタル小説。

「農場」は、食いつめた男が騙されたようなかたちで、血だまりのタンクで鼻を培養する仕事に就く。題材はバイオホラーだが、取り巻く環境がプロレタリア文学的な不条理だ。

「髪禍」では、壊れかけた人生をたどる女が、アルバイトと割りきった新興宗教の儀式の手伝いをすることになる。なんでも教祖は、人の頭髪から過去の災難や未来のできごとを読みとる力があるという。

「裸婦と裸夫」は、不意の脱衣衝動が町に蔓延しはじめる。その衝動はゾンビのように伝染するのだ。

 どの作品でも人間の身体器官がホラー領域へとつながる。もうひとつ全篇に共通しているのが、主人公が不遇もしくは不幸な境遇にあることだ。生まれついたときからの(おもに親のせい)問題という場合もあれば、本人が人生のある時点で選択を間違って転落した場合や、なんとはなしに冴えないだけという場合もある。いずれであっても、自分の意思で事態を好転させるべくもない。

 そんな彼らが異常な状況に遭遇し、トワイライト・ゾーンへと滑降していく。運が悪かったというよりも、主人公のなかにもとから潜んでいた異常心理がハウリングを起こすかのようだ。ムンクの「叫び」のように、そのノイズは世界に満ちている。

(牧眞司)

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