【今週はこれを読め! SF編】『タウ・ゼロ』に匹敵する壮大な宇宙SF〜春暮康一『一億年のテレスコープ』
文=牧眞司
春暮康一は、第七回ハヤカワSFコンテストで優秀賞を受賞した『オーラリメイカー』で2019年にデビュー、2022年刊の短篇集『法治の獣』が『SFが読みたい!』におけるベストSF2022投票で国内篇一位を獲得した。彼の新作『一億年のテレスコープ』は、本格的な宇宙SFだ。そのスケールの壮大さにおいてポール・アンダースン『タウ・ゼロ』に匹敵する。そして、ハードSFの魅力であるディテールの書きこみと、それを支える科学知識の質は、まさに現代のSFだ。
鮎沢望(あゆさわのぞむ)は少年のころから地球外文明に興味を抱いてきた。そして、大学四年のとき、天文でつながった仲間、千塚新(ちづかあらた)、八代縁(やしろゆかり)とともに、太陽系の複数の天体に電波望遠鏡を設置し、そこから得られたデータを総合して、遠い宇宙を観測するVLBI(超長基線電波干渉計)を計画する。もちろん、それほどのものがすぐに実現できるわけはない。望たちが寿命を迎える前に、精神アップロードの技術が実現し、仮想的な生を得た三人は、いよいよ本格的に太陽系VLBIに取り組み、別の恒星系からの有意な信号をキャッチする。そのころにはこの計画の参加者も増えていた。
アップロードされた精神にとって、時間はいくらでもある。望たちは、VLBIを恒星間にまで広げる構想を持っていたし、人類は恒星間宇宙船を建造する技術を確立していた。いよいよ、宇宙への旅がはじまる。
春暮康一の真価が発揮されるのは、異星知性体とのコンタクトが達成されてからだ。望たちは徐々に梯子を伸ばすように(恒星間VLBIの拠点を広げながら)、星から星へとめぐっていく。そこで遭遇する異星生命の生態・文明ひとつひとつが、どれも一冊の長篇になるほどの凝った設定(それこそ劉慈欣『三体』やハル・クレメントの諸作を超えるレベルで)なのだ。独創的なアイデアがこれでもかと投入されている。
たとえば、自転軸が横倒しになった惑星ブランで、昼を目ざして飛びつづけるワタリガラスに似た正弦族。彼らは電気ではなく、高歪み化学物質内部に蓄えられた結合エネルギーを利用するインフラを築いている。また、この惑星には翼を捨てて都市に定住する水平族や、孤独と氷雪に覆われた世界を好む逆相族もいる。正弦族、水平族、逆相族は別個の種族ではなく、この惑星固有の遺伝子技術によって、互いに変身可能だ(改造施設での処置とリハビリが必要だが)。
灼熱の太陽に灼かれる惑星グッドアースには、地球人からすれば病的なまでの対人恐怖を抱いているグッドアーサーが棲んでいる。彼らは自分たちを孤独相と自称しているが、それは歴史のなかにときたまあらわれる(同時多発的に生まれる)群生相と区別するためだ。群生相はグッドアーサーのおけるサイコパスのような存在で、知的才能にすぐれるが、大規模な破壊をおこなって孤独相たちを恐怖と混乱に突きおとす。群生相は二、三世代しか継続せず、また、孤独相の平和な時代が戻ってくる。その繰り返しだ。
こうした、異星文明との濃厚な接触を通じて、望はある危惧を抱きはじめる。地球人とのコンタクトは、はたして異星文明にとってメリットはあるのだろうか? 自分たちはただ好奇心を満たすために、他の文明を引っ掻き回しているだけではないのか?
こうした自問を繰り返しつつ、望たちは出逢った異星人たちを新しい仲間に迎えて、さらに旅をつづける。形態も進化の道筋もまったく異なる十もの種族が、宇宙の探険をおこなうのだ。このあたりは、昔懐かしい宇宙SFのフレーバーである。
物語が大きく屈曲するのは、とうに文明が滅びたある惑星に残っていた天文観測データを参照し、亡霊星(ファントムスター)の存在(というか非存在)に気づいたときだ。その星は、一億年前に不可視化し、その後、軌道を変えた。
望たちは、亡霊星の謎を解くべく、VLBIを空間的にだけではなく、時間的に拡張することを考える。つまり、亡霊星が移動のために放射した光を、移動したであろう軌跡を推測しながら、放射光が届く範囲にあった異星文明に蓄積された天文観測データを総合することで、亡霊星を追跡しようというのだ。これが、本作品の題名『一億年のテレスコープ』の謂である。
ここまで望たちの物語だけを追ってきたが、じつはこの小説ではほかにふたつの物語が平行して語られる。
ひとつは、遠未来の物語だ。ひと組の母と子が、大始祖の伝説を検証するために、銀河を横断する旅に出る。大始祖は遠い昔、星々の文化をつなげて、宇宙に広がるコミュニティの基盤をつくり、最後はブラックホールに飛びこんだといわれる。はたして、その真相は?
もうひとつは、遠過去の物語だ。二千億の星からなる恒星空間のなかを、〈飛行体〉は探査をおこなっている。〈飛行体〉はいくつもの知性体を見つけ、それらがたどる運命を第三者の目で眺める。望たちの冒険とは違い、〈飛行体〉は異星生命の文明に関与することはない。
現在進行形の望たちの物語、遠未来の物語、遠過去の物語。このみっつがどのような位相(因果関係)にあるのか、それが最後で明かされる。そのとき、この小説が扱っている時空のあまりにも茫漠たる広がりと、異なる存在をもとめてやまない知性の切なさが、あらためて身に沁みてくる。
(牧眞司)