【今週はこれを読め! エンタメ編】子どもの真実の友の物語『イマジナリーフレンドと』
文=松井ゆかり
1歳くらいまでの子どもを持つ親であれば、何もない空間をじっと見つめている我が子の姿に気づく機会は多いのではないか。私も息子たちがそうしているのを何度も見かけたし、亡くなった私の母にも「あんたも赤ん坊の頃よくそうしてたわね」と言われた。もちろん1歳では子どもに「いま何見てたの?」と問うても返事など返ってこないし、もっと大きくなってから「赤ちゃんの頃、何か見えてた?」という質問にも息子たちは「???」という反応だった。もしかしたらその視線の先にいたのは、「イマジナリーフレンド」だったのかもしれない。
イマジナリーフレンドという言葉を知ったのはつい最近。「幼い子が想像力によって生みだした友だち」のことである。そのときは、スヌーピーの漫画のキャラクターのひとりであるライナスが持っている"safety blanket(安心毛布)"みたいなものなのかなというイメージだった。しかし、今回本書を読んでみて決定的に違うと思ったのが、毛布だったらしゃべらないということ。
本書の主人公・ジャック・パピエは、パパとママと最愛の妹のフラーと一緒に暮らしている(あ、あと、ダックスフンドのフランソワも。ジャックとは折り合いの悪い相手だけども)。学校でのジャックは周囲の人々に無視される存在であるが、家族だけは違うということが物語の冒頭からしばらく語られる。しかしながら、しばらく読み進めていくと次第に違和感が生じてくる。違和感の正体はほどなく明かされた、ジャック自身がイマジナリーフレンドであることから生じたものだということが。
フラーの想像上の友だち(この場合は双子の兄だが)である以上、周囲の人々の目に映らないのは当然のことなわけである。では、フラーのパパとママがジャックを尊重している(ように見える)のはなぜか? それは、パパとママがフラーに話を合わせているからだ(そのせいでフラーがいくつになってもイマジナリーフレンドを実際の人間として捉え続けていると、彼らは悔やんでいる)。
そう、大多数の人間にとって、イマジナリーフレンドはごくごく幼いときだけそばにいてくれる存在なのだ。学校に行くようになってもイマジナリーフレンドが実際の人間であるようにふるまうような子どもは、周りの子どもから浮いてしまう。それでも、そんなフラーとジャックは固い絆で結ばれていた...のだが、物語は読者の予想の斜め上をいく展開を見せる。
ジャックはフラーと自分をつなぐ糸を切るための『ハサミ』で自由の身になった。「え?」
ジャックは別の子どものイマジナリーフレンドになってしまった。「え?」
ジャックは職業安定所に駆け込んだ。「え?」
「だってジャックは想像上の存在なんでしょう? そんなことってあり得るの?」
うーん...何だって起こり得るのかもよ? だって、ジャックは想像上の存在なんだから!
児童書だからと軽く考えたり敬遠したりするなかれ。そして、ぜひお読みになってみていただきたい。これは、自分以外の人間には見えないけれど、ある時期私たちのそばにいて支え続けてくれていたのかもしれない真実の友の物語なのだから。
(松井ゆかり)