【今週はこれを読め! エンタメ編】農業にまつわる8つの物語〜瀧羽麻子『女神のサラダ』

文=松井ゆかり

 私の父方の祖父母は現代においてはめっきり少なくなった専業農家だったのだが、本書を読んで自分が農業について全然わかっていないということがわかった。毎日食べるものを作ってもらっているというのに。まして生産者の方々の気持ちなど、なおさら理解できていなかった。

 本書は、8つの作品からなる短編集。農業(1編は酪農)にまつわる物語が集められている。私が最も心を打たれた作品は、「アスパラガスの花束」。主人公は、農業大学校に入学して間もない坂本葉月。不勉強にて農業大学校という教育機関の存在さえ知らなかったのだけれども、「将来の就農を前提に、必要な知識や技術を実地で学ぶ。先進的な農家や海外での研修もあるし、資格や免許も取得でき、卒業すれば短期大学と同等に扱われる」学校なのだそうだ。葉月は佐世保の進学校から、諫早にある農業大学校に入学した。実家は八百屋だけれど店を継ぎたいわけではなく、父の幼なじみで変人と呼ばれる本田さんのように農家として働きたいと考えた結果である。葉月はもともとひとりでいるのが楽というタイプで、なれなれしく距離を詰めてこられるのが苦手。しかし、入学式で顔を合わせた同級生の女子たち3人は全員華やか、特に寮で同室になった梨奈は何かと話しかけてきて...。

 自分とは合わなさそうな同級生と距離を置く。例えば40人学級くらいの規模でならもう少し実行しやすい対処法だと思うが、これが1学年に4人しかいない女子たちの間だったらどうだろう。葉月は平静を装っているけれど、自分以外の「梨奈と百合香とつぐみは、とても仲がいい」という状態は、正直けっこうキツいのではないか。学校は勉強をするところなのだからなれ合う必要はないというのはひとつの考え方だが、それは最適解だろうか。

 葉月に限らず、いずれの作品の主人公もさまざまな悩みを抱えている。底抜けに明るそうなパートの女性から親切を押しつけられるようで気が重い、愛想に欠ける元会社員の男性が馬鈴薯の選別では不満ばかりでろくな役に立たない、口数の少ない頑固な義父が農産品販売の新しいやり方に理解を示さない、などなど。程度の差はあれすべて農業に関係しており、なおかつ人間関係が絡んだ問題である。

 もしも何か言えるとすれば、相手のことを理解しようとする姿勢は、何よりも重要なもののひとつではないかということだ。苦手だと思う相手に対して好意的に接するのが難しいことは、もちろん理解できる。距離を置くことが正解な場合もきっとあるだろう。しかし、せめて自分の印象だけが正しいとは限らないことを心に刻むべきだ。"派手な外見だから中身も浮ついているに違いない"と決めつけるのはいかがなものか。先入観や誤解の多くは、相手の内面を見ようとしないことから生じる(まあ、内面と見た目は共通していることも往々にしてあるが、相手のうわべにしか注目しなければその人のほんの一部分しか知ったことにならない。そのことを、心に留めているといないとでは大違いではないだろうか)。

 生きている限り、食べるということと無縁ではいられない。そして、それらを作っておられる方々には、それぞれの思いがある。"生産者の顔が見える野菜"ということで、名前や顔写真入りのものが売られていることがあるが、以前はそういったものを見ても「これだけのデータでどれほどのことがわかるというのか」と疑問を抱くこともあった。しかしながら本書を読んで、手をかけて育ててくれた人が存在するからこそ私たちの食卓にやってくる、ということを意識するようになった。野菜や果物は自然発生的に成長するわけではない。

 農家の方々というのは、自らが育てる野菜や果物のコンディションを的確に見極める目をお持ちだろう。実際に言葉のやりとりなどなくても、「元気がなさそうだ」とか「水が足りないように見える」とか、作物の様子がよく見えておられるに違いない。著者の瀧羽麻子さんも、観察のポイントは違えどやはり見る力に優れた方なのだなと改めて感じる。本書でも、さまざまな状況に置かれた登場人物の思いをすくい取り、彼らを通して希望のありかを示してみせてくれた。冷静さと温かさを併せ持った作家の綴る物語によって、読者はいつも勇気づけられる。

(松井ゆかり)

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