【今週はこれを読め! エンタメ編】北山猛邦初期作品の復刊を寿ぐ!〜『アルファベット荘事件』

文=松井ゆかり

  • アルファベット荘事件 (創元推理文庫 M き 7-5)
  • 『アルファベット荘事件 (創元推理文庫 M き 7-5)』
    北山 猛邦
    東京創元社
    814円(税込)
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 古書店で「やっぱりない...」と、いったい何度肩を落としたことだろう。オリジナル版は結局一度も目にしたことのない『アルファベット荘事件』、実在するなど都市伝説なのではないかとの疑いを持つようになった『アルファベット荘事件』が復刊されましたよ、北山猛邦ファンのみなさん! 今回の当コーナーではこの事実さえお伝えできればよし。また次回...というわけにもいかないので、もう少し書かせていただきます(蛇足)

 本書は2002年に白泉社から刊行されたのだが、レーベルが廃刊となったため、長らく入手困難に。私の場合は初めて読んだ『『アリス・ミラー城』殺人事件』に度肝を抜かれ、北山作品を次々読むようになったのだけれども、『アルファベット荘事件』という本だけはどこの書店でも図書館でも見つけられなかった。古書店で「き」から始まる作家の棚を探すのをあきらめてしまってから、どれほどの時間がたっただろうか。

 というわけで、内容さえもよく知らなかった『アルファベット荘事件』は、文字通りアルファベットが敷地内に散見される館で起きた事件を描いた物語だった。と言いつつ、物語の冒頭で舞台となっているのは、1982年のドイツ。小学生の「僕」は両親に連れられて、『創生の箱』のパーティーに出席するために異国の地を訪れていた。街で見かけた日本人と思われる少女に心をひかれホテルの外に出た「僕」は、大通りで彼女に再会する。聞けば、彼女は『創生の箱』とともに大学の教授に売られたのだという。『創生の箱』とは、"鍵をかけておいたのに、中に何かが紛れ込んでいる""人を食べる""箱を手に入れた者はみな死ぬ"という噂が絶えない代物。「僕」と「少女」が出席したパーティーでも、信じられない事件が起きる。

 時は経ち、1998年の日本。『アルファベット荘』の持ち主の美術商・岩倉清一から招待されて、3人の男女が岩手県の山奥へ向かっていた。劇団『ポルカ』の看板女優・美久月美由紀、その後輩で同じく女優の橘未衣子、そして劇団内で起きた殺人事件を通じて知り合ったディ。彼は名前も家族も友人も持っておらず、ディというのも探偵を意味するDetectiveから取ったニックネームらしい。彼は不可能犯罪専門の探偵でもある。

 『アルファベット荘』には3人以外にも複数の招待客がいた。探偵の遠笠麗。犯罪に関する情報に対して支払われる懸賞金稼ぎの古池ミノルと泉尾桜子。大学で芸術犯罪を研究する三条信太郎。さらに、昔から岩倉と懇意でたまたま屋敷を訪れた文筆家の春井真那。他には臨時に雇われた家政婦の藤堂あかねと破麻崎華奈。しかし、館の所有者である岩倉は姿を見せず、行方不明だとの噂が。

 犯罪と密接に関係する人物が多く集まった『アルファベット荘』は、それ自体も奇妙な建物だった。屋敷内には西洋の甲冑が並び、庭には(一部屋内にも)アルファベットの巨大なオブジェが置かれている。加えて、別館には『創生の箱』までも。全員が揃った夜、自己紹介を始めようとしたところで、遠笠が屋敷の電話機や客たちの携帯電話を取り上げワインクーラーの氷水の中に水没させる。「惨劇にふさわしい夜」と彼女が表現した通り、第一の事件が発生し...。

 不思議な個性の持ち主が揃った登場人物たち、現実離れした雰囲気をまとった雪の山荘、呪われた伝説を持つ『創生の箱』といった、ミステリーファンにはたまらない要素がちりばめられた物語である。本書の犯人の動機は一般的には理解し難い考え方で、リアリティを求める読者にとっては奇抜なトリックとあわせて受け入れづらい部分かとは思う。しかし、それこそがミステリーの醍醐味となっているともいえるだろう。現実の犯罪は決して許されない行為だけれども、小説で読む分には魅力的な謎というのは歓迎すべきものだ。北山猛邦さんは作中で披露するトリックの妙によって「物理の北山」とも称されており、同時に独自のリリカルな作品世界を創り上げることにも成功している作家。著者最初期の作品が容易に入手できるようになったことを寿ぎたい。

(松井ゆかり)

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