【今週はこれを読め! エンタメ編】新たな「入れ替わり」の傑作〜君嶋彼方『君の顔では泣けない』

文=松井ゆかり

 フィクションには「入れ替わり」を題材にしたジャンル(?)があるのを、ご存じの方も多いのではないか。例えば、山中恒による児童文学『おれがあいつであいつがおれで』は、本書と同じく同い年の男女の入れ替わり。何度も映像化・漫画化されている名作である(大林宣彦監督が映画化した「転校生」などが有名)。あるいは、東野圭吾の出世作と呼ばれる『秘密』では、母娘が入れ替わる。母の精神と娘の身体は助かったけれども娘の精神と母の身体は失われたという、変化球的な作品といえよう。映画ならば『君の名は。』なども入れ替わりものだと聞いている(観ていない。すみません)。不勉強の身ゆえぱっとあげられるのは有名どころになるが、古今東西他にも先行作品が存在するであろう。そんな中、ひとりの新人作家が現れた。傑作を引っさげて。

 本書で入れ替わってしまうのは高校の同級生、坂平陸と水村まなみ。それまでほとんど接点がなかったふたりだが、水泳の授業のときにいっしょにプールに落ちたというハプニングがきっかけとなったようだ。プールに落ちた当日はなんともなかったふたりは、朝目覚めてみたらそれぞれ見知らぬ部屋にいた。それだけでも動転するというのに、水村(中身は陸だが)は生理の最中。下腹部の痛み、経験したことのない出血、それらに対して適切な対処をするための知識の不足...。陸(外見は水村)は廊下で丸くなって泣くしかなかった。そう、男子は知らないだろう、生理期間中の女子の不快感など。そして、男子にしかわからない問題というのもきっとあって、それらを女子は理解していないに違いない。

 なんとか痛みが治まったところへ、水村(外見は陸...ややこしい。以下、陸or水村は内面のキャラを表すものとする)から「とりあえず、会って話さない? 家出てこられる?」と電話が入った。異邦人という喫茶店で落ち合ったふたりは、今後の方向性について相談する。もとに戻る方法を探す、いっしょにプールに飛び込むなどいろいろやってみる、もう一度入れ替わるまで家族に怪しまれないように情報交換する。しかし、必死の願いもむなしく彼らの身体は入れ替わったままだった。その日も、その次の日も...。

 素晴らしいと感じた点はいくらでもあげられる。主役のふたりが胸を締めつけられるくらいけなげであるところ。「著者は経験をもとにこれを書いているのでは」と疑ってしまうほど、陸の心情やふたりの会話が細やかに描き出されるところ。水村がほんとうはどう考えているかがあいまいなところ...。周囲に入れ替わりを決して知られないよう、ふたりは注意深く行動する。水村は時にくじけそうになる陸を力づけ、陸はそんな水村のために「いつ水村が水村の人生を取り戻してもいいように。水村が辛い思いをしなくていいように。そのために俺は水村として完璧に生きて、家族もクラスメイトも恋人も騙してみせるのだと」心に誓う。

 読み終えて、もし自分がこんな状況に陥ったらどうしようと何度も考えてしまった(発生する見込みはまずないにもかかわらず)。私はこんな風に入れ替わった相手を支え、自分と相手の両親たちを思いやることができるだろうか。ずっとぐずぐず泣きながら読み進めた中でも最も涙をしぼり取られたシーンでは、陸の「だって俺はもうあの場所に家族を置き去りにしてきたのだから」という心情が綴られる。涙腺崩壊だった。なんで陸がこんな風に罪悪感を持たなきゃいけないの、この子たち何も悪いことしてないのに!

 物語は常に陸の視点で語られ、いつも冷静で頼りになる水村の心の内が詳細に描かれることはないというのも見事だった。陸も水村については理解しきれない部分もあったと思うが、その断絶のようなものの存在がよけいにふたりを分かち難くしていたようにもみえる。ネットなどでは「まなみの気持ちが描かれていないのが残念」という意見もみられたけれど、個人的には著者が書きすぎなかったというところがこの物語の大きな魅力だと感じるし、それでいて私が読みたかったこともすべて語られているという気がする。

 入れ替わりなどなければお互い気づきもしなかったかもしれない異性として生きる不自由さを、彼らはなんとか乗り越えてきたことにも感動を覚える。そういう意味では、ジェンダー的観点からも読まれるべき作品だというのは間違いない。と言いながらも、相手の立場に立って考えるということをみんなが当たり前にできれば、あらゆる差別や問題点の多くは自ずと解消するはずだとも改めて思い知らされた。

 発売前から大きな話題となっていた本書。けっこうな期待を寄せていた私の予想すら、軽々と上回る素晴らしさだった。ラストはなるほどこう来るかという終わり方。それでも、ここまで必死で生きてきたふたりなら、どんな未来が待っていようと「どうにかやっていける」はず。要所要所で幸福や喜びが伝わってくる描写に救われる思いがしたけれども、彼らはもっともっと幸せになっていい、いや、なってほしい。

 ほんとに、鳥肌が立つようなデビュー作でびっくりしました。プレッシャーをかけるようで申し訳ないのですが、君嶋彼方さんの次回作にも心より期待しております!

(松井ゆかり)

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