【今週はこれを読め! エンタメ編】理詰めじゃいかない心を鮮やかに描く〜鈴木るりか『落花流水』

文=松井ゆかり

 現役女子高生作家(4月からは現役大学生作家。おめでとうございます!)・鈴木るりかさんの5冊目にして初の長編小説。すごくないですか、18歳で5冊も本を出されてるとか。さらにびっくりするのは、どの作品にも珠玉の言葉がちりばめられていること。小学館が次に出すべきは、「るりか日めくり」なのでは。

 主人公の佐藤水咲は高校3年生。日曜日の朝早く、近所に住み同じ西森高校に通う聖二からの電話で起こされる。『落合先生ん家が大変なんだよ。警察が来て。みんな集まってる』という言葉にあわててカーテンと窓を開けると、道を挟んだ向かいにある落合家には人だかりが見えてパトカーまでが駐まっていた。落合先生の家は、代々教育者の家系で旧家の大地主。そして、落合家の一人息子である「祐太おにいちゃん」は、水咲が10年以上想い続ける初恋の人であった。祐太おにいちゃんは西森高校生物教師の「落合先生」でもある。

 落合家の門の前では、水咲の両親もいて中の様子をうかがっており、聖二ややはり近所で同じ高校の愛海もその場に来ていた。中の様子がわからずじりじりしながら待つ人々の前に、玄関から誰かが姿を現した。まず警察官と思われるスーツの男性、次に出てきたのは頭から黒い上着を掛けられた祐太。手元をタオルで覆われて。祐太を乗せたパトカーが走り去った後、証拠物件とみられる段ボール箱が次々と運び出された。最後の段ボールからはみ出して見えたのは、白いレースのようなもの。その日の昼も夕方も、地元テレビ局のトップニュースはこの事件。画面のテロップは、「県立西森高校教師、下着ドロボーで逮捕」だった...。

 水咲が初めて祐太のことを意識したのは、保育園年長のとき。「書き方のお教室行ってみる?」と聞かれて「行く」と答えた結果、水咲は母に連れられて数日後に落合家の門をくぐった。すでに書道教室の生徒だった当時小6の祐太が、水咲を連れて通うということに母親たちの間で話がまとまっていたらしい。優しい祐太おにいちゃんと過ごす書道教室の行き帰りの時間は、水咲にとってかけがえのないものになる。祐太の中学校入学によりほとんど接点がなくなったかに思われたが、奥さん先生(祐太の母)が小学生向けに開いた茶道教室に水咲・愛海・聖二が通うようになって、再び落合家を訪れる機会が増えた。そして、祐太が西森高校に新卒教員として採用された事により、水咲は教え子という立場に。

 逮捕の最初の衝撃が去ってしまえば、学校生活は水咲の気持ちなどおかまいなしに続いていく。祐太のかわりの新しい生物教師もやって来た。受験生にとっては一大イベントである大学受験も近づいてくる。しかし、祐太との距離を縮めるために教員を目指そうという若干不純な動機で進路を決めた水咲は、もはや受験勉強に身が入らない。愛海や聖二、他には2年生の後輩・山田がひとりだけという文藝部の活動中にも、祐太の話題はひんぱんに上る(気心の知れたメンバーばかりで楽しそうな部活だが)。

 驚嘆に値するのが、水咲が祐太に対して幻滅しないところ。私だったら片想いの相手が下着泥棒だとわかったら、秒で心変わりしそう...。だが水咲の心に浮かぶのは、祐太との将来の見通し。あるいは下着泥棒の嫌疑は冤罪によるものなのではないか、祐太は自分ではないものに操られたのではないかといった陰謀論めいた発想。もはや執念レベルと呼べそうな愛情は、向けられたのが自分だったらコワいような気はするが、憔悴しきっているであろう祐太が水咲の想いを知ったらうれしい...のかな? そうこうしているうちに新たな事件も起きてしまい...。

 冒頭でも述べたように本書もまた、酸いも甘いもかみ分けた大人でもなかなか書けないような名言の宝庫だ。とりわけぐっときたのは、「心は理詰めじゃいかない」という聖二の発言だった。ほんとにそう。どんなに正論であっても、自分の心が従えないこともある。いっそ正解だけを選んで生きて行けたら楽なのかもしれないけれど、それは人間である限り無理である。「下着泥棒なんてあり得ない」とすぐさま嫌いになれるなら、水咲も苦労はしないのだろう。るりかさんはどうして、こんな人生の真理を鮮やかに小説に書くことができるの?

 さらに本書の魅力はそれだけに留まらない。るりかさんのお宅では時間が止まっているのではないかと疑ってしまうくらい、絶妙な古さのお笑い要素や芸能ネタが盛り込まれているのも、昭和生まれ(たぶん私はるりかさんの親世代かちょっと上)にはたまらないポイントだ。一方で現代的な固有名詞も出てくるのだが、そのチョイスがアンミカ(笑)やっぱり絶妙。

(松井ゆかり)

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