【今週はこれを読め! エンタメ編】大阪のテレビ局が舞台のお仕事小説〜一穂ミチ『砂嵐に星屑』

文=松井ゆかり

 そういえば、テレビの"砂嵐"って見なくなったな。平成生まれのうちの息子たちはその存在すら知らなかった。"砂嵐"って、アナログ放送の電波が正常に受信されない状態のときに発生するものだったのか。どうりで、目にする機会がないわけだ。

 本書は、大阪のテレビ局を舞台に、そこで働く人々を描いた4つの作品が収録された連作短編集。例えば1話目の「〈春〉資料室の幽霊」の主人公は、東京キー局から異動してきた(というか、出戻ってきた)女子アナの三木邑子。なんとなくぎくしゃくした感じはなんなのか...と思いながら読み進めていると、邑子が東京に出向させられたのは、10年前のテレビ局の看板アナウンサーとの不倫が原因だったことがわかってくる。昨年末に邑子の不倫相手だった村雲が亡くなったことで、大阪に呼び戻されたのだった。好奇の視線まじりの気遣いをもって接してくる者が多い中、ニュース番組のデスクである中島は東京行きが決まったときにも「真に心ある向き合い方をしてくれた」人間のひとり。その中島から、ある噂が広まりかけていると教えられる。それは、村雲の幽霊が出るというものだった...。

 噂の真偽については実際に読んで確認していただくとして、全編を通して職業小説としての印象が強く心に残った。幽霊が出ると噂の資料室へ忍び込んだ邑子を、結果的にアシストしたのは新人アナウンサーの笠原雪乃。邑子と新人アナたちの歓迎会は合同のような形で催されたのだが、同じく主役でありながら「映画の時間があるんです」「エスニック苦手なので、食べられるものないです」という理由で途中退席した雪乃のマイペースぶりに、邑子は驚かされたばかりだった。そんな理解に苦しむ相手と、邑子は協力関係を結ぶことに。40過ぎのベテランと20代の新人となれば、"いびり""若さに嫉妬""女の敵は女"といったキーワードも思い浮かぶが、そのようなステレオタイプに対する心配はご無用だ。

 個人的に好みだったのは、中島が主人公となる2話目の「〈夏〉泥舟のモラトリアム」(たぶん、中島のキャラが好みだからだと思う)。冒頭、中島はどうして汗まみれで歩いているのか...という疑問もすぐに解消される。その日の朝、「最大震度は六弱、震源は大阪府北部」という地震が発生。テレビ局勤務ということもあり、なんとか会社までたどり着かねばと、朝食をとる間もなく中島は家を出た(妻の香枝がおにぎりをふたつ持たせてくれた)。最寄り駅の西宮まで出たものの、阪神電車は案の定運休。バスとタクシー待ちは長蛇の列。ばったり出会った「同期なのに上司」である市岡とともに、徒歩で会社に向かうことを決める。道中の会話から、どうやら中島は娘と冷戦状態であることが明らかに。前話で邑子に「隣の芝生がいっとき青く見えたとして、中島の敷地にも立派な家と庭と家庭がある」と思わせた彼にも、多少の鬱屈はあったのだ。動作としてはひたすら歩く場面がほとんどで(大阪周辺の地理に詳しい人はより楽しめると思うけれども)、派手さのある作品ではないが、中島の姿に勇気づけられる勤め人は多いに違いない。

 よほど特殊な場合を除いて、仕事と人間関係は切っても切り離せない。結局のところ、そこが働くことの最大の難しさといっても過言ではないだろう。仕事で知り合う人は友だちではなく、自分の意見だけを優先させるようなことはまず無理だ。だから、別になかよくなれなくてもしかたない。けれど、我を通したり必要以上に相手を不快にさせたりすることなく、できる限り良好な状態で業務を進めるというのは可能であるはず。本書を読めば、時には本音を出しつつもお互いを尊重し合うことがいかに大切か、切実に実感されるだろう。ごく一握りの選ばれし人々以外、働かなければ生きていかれないのが世の常だ。人生の大半を費やして取り組まなければならない仕事が、ただ苦痛なだけの代物だったらつらい。

 著者の一穂ミチさんは、ボーイズラブ小説の書き手として長らく活動されており、昨年初めて発表された一般文芸作品『スモールワールズ』が2022年本屋大賞のノミネート作品になっている。昨年は他に、企業の受付嬢と芸人コンビが主要人物となっている『パラソルでパラシュート』も刊行され、乗りに乗っている作家のひとりといえよう。初版の奥付のページには、特典の掌編「砂嵐に花びら」が読めるQRコード付き。この掌編もまたよいので、ぜひ初版本をゲットしてお読みいただければと思う。目をこらしたら砂嵐の中にも、星屑や花びらを探し出せるかもしれない。砂を噛むような人生にだって、素敵なものは含まれているはずなんだ。

(松井ゆかり)

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