【今週はこれを読め! エンタメ編】インドで少女たちのための学校をつくる〜レティシア・コロンバニ『あなたの教室』

文=松井ゆかり

  • あなたの教室
  • 『あなたの教室』
    レティシア コロンバニ,齋藤 可津子
    早川書房
    1,760円(税込)
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 人間は誰しも自分が大事だ。だから、自分さえよければ他の人がどうなったって関係ない。...ほんとうにそうだろうか?

 読み始めてしばらくは、私はこの物語がずっと昔のことなのだと思っていた。「女の子。学校いらない」や「ここでは強姦は国民的スポーツ」といった言葉や、ダリッドと呼ばれ「不可触民」(「身分階層のいちばん下、人間以下に位置づけられ、ヒンドゥー教によって制度化された隷属状態」に置かれた人々)として扱われる階級が存在することなど、現代社会におけるものとは信じたくなかったからだ。しかし、文中にインターネットなどが登場しているのを見て、これは現在進行形の悪夢なのだと知った。

 主人公のレナは、ある事件がきっかけでフランスからインドへやって来た。愛するフランソワと来るはずだったインド。しかし、フランソワの不在により彼女の心は損なわれているようだ。初めて降り立った「人だらけ」のインドに、「彼女は魅せられながらも、ぎょっとしている」。

 ある日、海へ出かけたレナは、泳いでいて溺れそうになる。病院で目覚めた彼女は、自分を助けてくれたのが「赤い部隊(レッド・ブリケイド)」と彼女たちを呼びに行った女の子であると、看護師から教えられる。レッド・ブリケイドとは、「護身術を身につけ、近隣の女性の安全を守ることが使命だと自任する女の子たちのグループ」。退院したレナは、周囲の忠告にもかかわらず、ブリケイドに感謝の意を伝えに行く。しかし、リーダーの女は謝礼金を渡そうとしたレナに「あんたの金はいらない」と言い放ち、「誰かの役に立ちたいなら、それはあの女の子にあげな。礼を言うべきはあの子だ」と告げて立ち去る。

 ホテルに戻ったレナは、ブリゲイトを呼びに行ってくれた、ときどき浜で見かけたことのある凧を揚げていた少女を見つける。レナは少女を追いかけて海辺の食堂に入り、彼女と会話しようとするもののうまくいかない。翌日レナは少女に凧をプレゼントし、彼女の保護者(実は養父母)が経営する食堂〈ジェームズとメアリー〉で昼食をとるように。ある時レナは自分の名前を砂に書き、少女に「名前は?」と尋ねるが、彼女は動揺した様子で去って行った。少女が読み書きができないのではないかと、レナは思い当たる。翌日、少女は記憶をたどりながら、砂に「LENA」と書いていた。彼女は10歳くらいと思われるが、まともな教育を受けていない様子。少女の学習意欲と能力の高さを見て取ったレナは、ジェームズとメアリーに彼女を学校に行かせるよう説得に出向くが、返ってきたのは前述の「女の子。学校いらない」という返事だった。

 助けてもらった恩とそれ以上に使命感のようなものに突き動かされ、少女に英語の読み書きを教えることを、レナはなんとかジェームズたちに承諾させる。その後、ブリケイドのリーダーであるプリーティからも頼まれ、彼女にも授業を行うように。その後、同じように授業を受けたいと希望する女の子たちは日に日に増えていく。しかし、レナのビザは有効期限が迫っていた...。

 教育は何よりも重要だ。しかし、先進国で不自由なく暮らす人間がそのありがたみを少女・ホーリー(改名前の名前はラリータ)やプリーティたちほど実感する機会は、果たしてどれくらいあるだろうか。「学校こそが、社会が閉じ込めようとする見えない牢獄から逃れる、唯一可能な道」という言葉にはっとさせられた。インドという国は、まだまだ貧困や身分制度が根強く残る社会である。そんな中で、女性は男性よりさらに一段下の扱いを受けることが多い。男性であっても下層階級の者がよりよい生活を手に入れることは至難の業だと思うが、女性にはそもそも選択の余地というものがほぼない。

 抑圧によって生じる怒りや暴力は、より弱い者へと向かう。しかし、そうやって憂さ晴らしができたとしても、はけ口となった側の気持ちはどうなるのか? そういった負の連鎖は結局、価値のあるものを何も生み出さない。そして、女性たちを軽んじて怒りや暴力をぶつけることが、結果として男性たちの心をも蝕んでいくことに気づけないのだ。

 レナは、社会的弱者であるがゆえに踏みにじられてばかりの少女たちの助けになろうと立ち上がった。周囲の無理解にくじけそうになったり、つらいアクシデントに心が折れかけたりしたこともあった。それでも彼女がたどり着いた境地が、いや、現在でも闘い続けている状況がどんなものか、ぜひ知っていただきたい。

 人間は誰しも自分が大事だ。それは当たり前のこと。それでも、自分を大事にすることは、他者を大事にすることにもつながっていく。女性が自らの生きづらさを解消しようとすることは、男性たちも生きづらいと声をあげるきっかけになり得る。本書の舞台はインドだったが、どこの国でも多かれ少なかれいまだに似たような問題がはびこっているに違いない。簡単なことではないとわかっているけれど、みんなで世界を変えていけたらいいと強く思う。代替不可能な連帯をみせてくれた、レナたちのように。



 2014年8月より8年3か月にわたって執筆させていただきました【今週はこれを読め! エンタメ編】、松井の担当は今回をもちまして終了となります(コーナーはまだまだ続きますよ~次回もお楽しみに!)。このコーナーのおかげで出会えた本、いただいたご感想や励ましのお言葉は、かけがえのない財産となりました。またお目にかかれますように。ほんとうにありがとうございます。

(松井ゆかり)

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