【今週はこれを読め! エンタメ編】連鎖する不穏な家族関係〜遠田潤子『イオカステの揺籃』

文=松井ゆかり

  • イオカステの揺籃 (単行本)
  • 『イオカステの揺籃 (単行本)』
    遠田 潤子
    中央公論新社
    1,980円(税込)
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 鈍感な男と救われたい女。単純にカテゴライズできるものではないと思いつつも、遠田作品には多く登場するタイプであるともいえよう。もちろん、本書においても。物語の中心人物は、母であり妻である青川恭子。彼女に対し、長男・英樹と夫・誠一の男家族と長女・玲子では、心の寄せ方がずいぶん違っていることがとても印象的だった。

 英樹は32歳の新進気鋭の建築家。最近、妻である美沙が初めての子を身ごもっていることが判明。五月のある日、妊娠を報告するために英樹は美沙を伴って実家を訪れた。門をくぐれば満開のバラが。56歳の現在も圧倒的な美貌を誇る恭子は、自宅で「バラの教室」を開く、人呼んで「バラ夫人」だ。教室ではバラの育て方からその歴史、アレンジメントなどさまざまな分野にわたって教えており、受講希望者は「三年待ち」という人気ぶり。庭でバラの消毒をしていたところへ妊娠を告げられた恭子は、美沙に「妊娠したん?」と問い、続けて「男の子? 女の子?」とたたみかけた。そのときはまだ性別のわからない時期だったけれども、つわりで強い香りを受け付けなくなった美沙がローズバッズ(バラの蕾)を煮出した飲み物を一口だけで辞退すると、恭子は「もしかしたらお腹の子は女の子かもね」と口にする。「女の子は我が儘やからね。お腹の中でも我が儘言うのかも」とも。

 ここまででも十分不穏な空気だったが、子どもの性別がわかると恭子の反応が狂気を帯び始める。英樹たちは再び実家を訪れ、「お腹の子、男の子やそうや」と告げた。その言葉を聞いた恭子は呆然としたようにしばらく動かなかったと思えば、取り憑かれた様子で眼をぎらぎらと光らせ、次の瞬間には微笑みながらうっとりと「本当に男の子が生まれるんやね」と口にする。その直後から、恭子の暴走が始まった...。

 親と子に関してよく言われることとして、"親は異性の我が子をよりかわいがる"というのがある。私は弟との2人姉弟であるが、幸い母親から差別されて育ったと感じたことはない。しかしながら、私の周囲でも「娘より息子の方がかわいい」「息子は恋人みたいな存在」と語る女性は少なからず存在する。いわゆる「長男教(跡取りを特別に大切にすること。最近は長男に限らず、息子だけをかわいがることを指す場合もあるらしい)」的な考え方もあるし...と思いながら読み進めたが、恭子たちの問題はさらに複雑だった。いろいろな意味で鳥肌もの。

 青川家にはほんとうはもう1人、英樹と玲子の間に和宏という次男がいた。しかし、和宏は2歳の頃に亡くなってしまっていた。折に触れて英樹の心に浮かび上がる記憶が示すものは何か。和宏の死が青川家に暗い影を落としたのか、それとももっと昔から? 長年すれ違ってきた恭子と誠一。母親の愛を一身に受けて育った英樹が思いやれなかった玲子の反発心を、一瞬にして見抜く美沙。自分の母とうまくやってこられなかった恭子や玲子や美沙。家族は自分が生まれる前からずっと続いていて、これからも続いていく。どんなに疎ましく感じようとも、家族関係は過去から未来へと連鎖していくものなのだと強烈に意識させられる物語だった。
 
 英樹はとても優しい息子で、母親思いだ。息子が自分に対してこんな風に愛情の深さをみせてくれたら、母親としてはどんなにうれしいことだろう。けれども、決して自分の望む息子像を我が子に押しつけてはいけないと、英樹と恭子の母子関係に我が身を重ねて考えずにはいられなかった。これまでの遠田作品については、どんなに激しく心を揺さぶられても、最終的には自分とは関係のないのものという感覚があった。しかし、3人の息子を持つ者として、いつだって自分も壊れた母あるいは祖母となり得るのだと(いや、もしかしたらすでに壊れてしまっている可能性だってあるのだと)思い知らされた気がする。

 たとえ自分の心の奥底をのぞき込むような読書体験になるとわかっていても、また私は遠田潤子の小説を手に取るだろう。絶望しか残されていないように見える人生であっても、生きていくことに意味はあると思いたいから、かな...。

(松井ゆかり)

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