【今週はこれを読め! ミステリー編】ウイルス蔓延下、封鎖都市の殺人事件『ロックダウン』

文=杉江松恋

  • ロックダウン (ハーパーBOOKS)
  • 『ロックダウン (ハーパーBOOKS)』
    ピーター メイ,堀川 志野舞,内藤 典子
    ハーパーコリンズ・ ジャパン
    1,200円(税込)
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 ウイルス蔓延下、厳戒態勢の都市で刑事はどう動くのか。

 ピーター・メイ『ロックダウン』(ハーパーBOOKS)はそういう警察小説だ。

 人口の25パーセントが感染し、そのうち70~80%が死に至るという新型ウイルスにより、ロンドンは非常事態に陥る。わずか数ヶ月で死者は五十万人を超え、災禍は一向に留まる気配がない。病に感染した首相が死亡するという衝撃的な報道が行われた朝、ケニントン・ロード警察署のジャック・マクニール警部補は、通報を受けてアーチビショップス・パークにやってくる。病院が突貫工事で建設されている敷地内で、ボストンバッグに入った人骨が発見されたのだ。法科学研究所のコンサルタント、エイミー・ウーによってその骨は、モンゴロイドの少女のものであることが確認された。殺人事件なのだ。ウーの助言を借りながら、マクニールは憎むべき犯人を追い始める。

 少女の死という衝撃的な出来事もさることながら、まず読者の目を惹くのは、封鎖都市と化したロンドンの姿だろう。火葬場が追いつかず、発電所のボイラーで遺体を処理しなければならないという惨状である。



 ──下では想像もしなかった光景が繰り広げられていた。何千という裸の死体が、見えなくなるほど奥まで続いている木製パレットに三列に並べられ、人形工場の大量のマネキンよろしく山積みになって投げ込まれていたのだ。腕や足をもつれ合わさせ、奇妙に光り輝いていて、とても人間とは思えない。(中略)青い細菌防護福を着た人々が、月に降り立った宇宙飛行士のように煙の筋や渦のあいだをスローモーションで動きまわり、トラックから死体を降ろして新たなパレットに積んでいく。



 いまだ発症していない者のうち富裕層は、アイル・オブ・ドッグスなどに立て籠もり、死のウイルス侵入を拒んでいた。銃で武装し、近づく者があれば発砲も辞さない。いまだ特効薬と呼べるものは完成しておらず、あるのはフルーキルという感染の可能性低下や症状緩和が見込めるという薬のみだ。生産は追い付かず、わずかな量しか市場には流れていない。警察官は優先的に薬を支給される立場だったが、マクニールはそれを返そうとしていた。息子のショーンと過ごす時間を優先するため、辞職を申し出ていたのだ。その矢先に、少女の骨が発見された。

 地獄絵図の都市を、最後となるかもしれない使命のために刑事が駆け抜けていく。彼と対抗してピンキーという不気味な殺し屋の視点が描かれる。必要とあれば躊躇なく人を射殺する男だが、親から躾けられたことを厳格に守るなど、奇妙な倫理観を備えた男である。ピンキーはマクニールの動きを察知しているが、刑事の側はまだ気づいていない。そうした緊張感溢れる状態で物語の前半は進んでいくのである。

 作者がこの小説の執筆を開始したのは、10年以上も前の2005年のことだったという。当時は鳥インフルエンザが猛威を振るっていた。致死率の高いウイルスが人間に感染するようになったら、文明は壊滅的な打撃を受けるのではないか。そうした構想の下執筆に取り組み、6週間で脱稿した。しかし原稿はどこの出版社にも売れなかったのである。本書に描かれた都市のロックダウンという状況に編集者が現実性を見出さなかったからだそうだ。ロンドンどころか、全世界を恐怖に陥れることになるCOVID-19が出現するということは、はその時点でまだ誰も予想だにしていなかった。

 ピーター・メイが用いているのは16年前の想像力である。ゆえに現実のコロナ禍とはずれている部分もある。たとえばマクニールは、今であれば濃厚接触と呼ぶべきことを頻繁にするし、死体が山積みになるような疫病禍にも拘わらずインフラストラクチャやサービスが機能していて、2021年の読者から見れば違和感を覚える個所もあるはずだ。しかし、見事に予見が的中している事柄もある。ウイルス蔓延による人心の荒廃はその一つである。そうした要素が本書の読みどころと言えるだろう。

 小説としては粗い部分もある。おおいにある。たとえばマクニールの造形である。妻子と別居中の彼は愛人も逢瀬を楽しむのだが、そうした行為の報いなのか、私生活において辛い体験をすることになる。そんな悲劇が序盤にあったにしては、活発に動きまわりすぎではないかという気がする。ジャック・バウアー並みに元気なのである。表面的な感情しか描かれていないということで、減点対象と言われても仕方ないと思う。また、物語の中では少女殺し以外にも大きな陰謀が描かれるのだが、そちらもやや、いやかなり図式的と言わざるをえない。アクション・スリラーの域を出ない作品ではあるのだ。しかし前述したピンキーという殺し屋など、この小説ならではという要素もある。勢いのいい物語なので、そこはぜひ楽しみにしていただきたい。

 最も関心を持たれると思うのは、50万人以上の命を奪ったというウイルス禍がどうなるのかという点だ。そこについての言及もある。虚構ではあるが、現実を無視して楽観主義に徹した作品でもない。かといって悲惨なばかりでもない。新型コロナに効果的な対策が打たれるまでの時間つぶしにはもってこいの作品だと思うのだ。

(杉江松恋)

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