【今週はこれを読め! ミステリー編】7つの作中作が登場する曲者小説『第八の探偵』

文=杉江松恋

  • 第八の探偵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『第八の探偵 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    アレックス パヴェージ,鈴木 康士,鈴木 恵
    早川書房
    1,200円(税込)
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 何をしてくるかわからない曲者はミステリーの世界では大歓迎なのだ。

 アレックス・パヴェージ『第八の探偵』(ハヤカワ・ミステリ文庫)は、まさにその曲者中の曲者だという気がする。行き暮れて難儀しておりますというから哀れに思って泊めてやったら軒を貸して母屋を取られそうな。ついでに寝首までかかれそうな。そういう何をしでかすかわからない小説だ。

 作者は数学の博士号を持っていて、ソフトウェア・エンジニアとして働いていたことがある。この作品がデビュー作だとのこと。なるほど、たしかに作中には数学に関する話題が出てくる。本書の登場人物は二名。グラント・マカリスターという作家と、ジュリア・ハートという編集者である。このグラントの言をそのまま紹介すると、彼は一九三七年に「探偵小説の順列」という殺人ミステリの数学的構造を考察した論文を発表したのである。そして一九四〇年にその理論を実作に応用した作品を七篇収録した『ホワイトの殺人事件集』という私家版を出版した。刷ったのはわずか百部にも満たなかったが、それを見つけて復刻出版しようと考えた出版社が現れ、担当編集者としてグラントの住む島にジュリアが訪ねてきたというわけなのである。イギリスに天城一みたいな作家がいました、というお話なわけである。

 だが本書で最初に登場するのはグラントとジュリアではない。「一九三〇年、スペイン」と題された第一章は、メガンとヘンリーという二人の物語だ。彼らはバニーという男に呼び出されてスペインの片田舎にある彼の邸宅に呼び出された。昼食から戻った二人は、バニーが心臓をひと突きにされて殺されているのを発見する。邸にいるのは死体になった主を除けば彼らだけだ。互いに相手が殺人者だと考える二人の間に敵意が高まってくる。

 というお話が『ホワイトの殺人事件集』の巻頭に収録されているわけである。つまり「一九三〇年、スペイン」は作中作なのだ。第二章でそのことが明かされ、グラントは「探偵小説の順列」で行われた定義について少し解説する。続く第三章「海辺の死」はまた作中作で、恋人の母親を殺害した容疑で男が逮捕された事件を調べるためにウィンストン・ブラウンという探偵が海辺の町にやってくる。このように、奇数章が作中作、偶数章がそれについてのグラントとジュリアの対話で、事例が増えるにつれて「探偵小説の順列」がどのような理論なのかが少しずつ明かされていく。そういう構成だ。

 七つの作中作は、いずれも殺人事件を扱っており、毎回違った設定の探偵が登場する。探偵以外の登場人物は、被害者、容疑者、殺人者であり、単数の作品があれば複数の場合もある。探偵が実は殺人者であるというように担わされている役割が重なっていることもある。探偵、被害者、容疑者、殺人者をそれぞれ全体集合の中の部分集合と見なすというのが「探偵小説の順列」の核となる考え方のようなのだ。ほら、どんどん数学っぽくなってきた。

 ジュリアは編集者の立場から各短編における矛盾点を指摘していく。ここが本書の肝で、私家版ゆえの見落としなのか、『ホワイトの殺人事件集』には不完全な部分がところどころにあるようなのだ。それを巡るやりとりが、グラントとジュリアの間に友好的とはいえない空気があることを読者に意識させる。『ホワイトの殺人事件集』成立には何か事情があるのではないかと考えているとジュリアはほのめかし続けている。それが何なのかがわかるのは、すべての作中作についての二人の検討が終わった後のことである。『第八の探偵』はEight Detectivesだから「八人の探偵」と訳すのが本来の形だろう。最後の謎解きでは、題名に込められた意味も明らかにされる。なるほど、そういうことか。作者がやろうとしたことが何かがわかると、それまで腑に落ちなかった部分の意味が理解できるようになるというタイプの作品なのである。だから読んでいる最中は、どこかにぎくしゃくした部分があるため、ずっと落ち着かない気持ちにさせられる。何かが間違っているような気がするけど具体的に言うことができない、というあの感じだ。

 作中作の出来はまちまちである。私家版で出た小説という設定だからそれでいいのだ。四番目の「劇場地区の火災」と次の「青真珠島事件」を気に入る読者は多いのではないだろうか。二つともクローズドサークルものの変形作品だ。「劇場地区の火災」は高級百貨店が火事の真っ最中に、その前にあるレストランで殺人事件が発覚し、食事をしていた女性客が容疑者がその場を離れないように見張る役を任されて、結果的に探偵役を務めることになるという話である。世間話をしながら時の過ぎるのを待っている容疑者たちの前で百貨店が火に巻かれ、次々に犠牲者が出ているという情景が凄い。後者はアガサ・クリスティーの某有名作の本歌取りがあまりにも明らかな作品で、もしあの場所にそういう形で現れた探偵がいたら、という二次創作として読むことも可能だ。クリスティーは意外な犯人像という類型をいくつも作った作家だったが、その成果をサンプリングして二十一世紀バージョンとして作り替えた短篇と見ることもできよう。非常にクリスティー的で、足りないのはポアロとミス・マープルくらいである。

 怪作であって非常に読者を選ぶ小説だ。なので、本書を十二分に楽しむためには作中作ミステリーを読むときの心構えを前もってしておいたほうがいいように思う。作中作ミステリーは構造そのものが謎を構成する最も重要なピースである。各篇が集まってどのような全体像を作っているか、ではなくて、全体像を作り上げるために各篇がどのような部分になっているかということに着目する必要がある。全体のための部分。これがキーワードだ。成り成りて成り余れる処と成り成りて成り合わぬ処を見るんだよ。『古事記』か。

(杉江松恋)

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