【今週はこれを読め! ミステリー編】ローゼンフィールド『誰も悲しまない殺人』の語りと文章に引き込まれる!

文=杉江松恋

  • 誰も悲しまない殺人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『誰も悲しまない殺人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    キャット・ローゼンフィールド,大谷 瑠璃子
    早川書房
    1,628円(税込)
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 こういう小説を読むとミステリーの楽しみは謎解きだけじゃないと再認識させられる。

 キャット・ローゼンフィールド『誰も悲しまない殺人』(大谷瑠璃子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)を読み終えて、まずそう思った。

 もちろん中心にあるのは謎とその論理的な解決なのである。でも小説の中に謎という要素があることによって生まれる付加価値というものがある。たとえば、謎を謎たらしめるのは語りなのだけど、文章によっていかに不思議さを演出するかという技巧そのものが読者にとっては楽しいもてなしとなる。あるいはキャラクター。謎はそれ単体で存在しうるのではなくて、人間関係の中に置かれることで初めてその性質が読者に伝わるものとなる。逆に言えば、文章やキャラクターの魅力を引き出す魔法の一つが謎なのである。

『誰も悲しまない殺人』は印象的な書き出しから始まる小説だ。「私の名はリジー・ウーレット。あなたがこれを読んでいる今、私はもう死んでいる」、語り手は読者にそう告げるのだ。短いプロローグの後で本文が始まる。

 物語の舞台となるのはアメリカ・メイン州のカッパーフォールズという小さな共同体である。カッパーブルック湖のほとりにあり、保養地になっている。滞在客に宿を提供している住民も多く、リジー・ウーレットと夫のドウェインもそうだ。ある火曜日の朝、保安官補がレイクサイド・ドライヴ十三番地を訪れる。近くでトレーラーハウスが燃える火事があり、煙の被害が及ぶことが考えられるので退避を呼びかけに来たのである。一軒の家に踏み込んだ保安官補はそこで血痕を発見する。それを辿っていくとキッチンに到達した。シンクの中、生ゴミ処理機から彼がすくい出したピンク色のかけらは、後にリジー・ウーレットの鼻の一部と認定されることになる肉だったのである。

 叙述は三本の道筋が並行する形で進んでいく。ミステリーとしての主筋は「湖畔」と題された章で、殺人事件発生を受けて捜査にあたる、メイン州刑事イアン・バードが視点人物を務める。彼自身はカッパーフォールズの出身ではないため、住民たちに死者を巡る人間関係を聞いてまわることになる。地方の小さな共同体の常として、住民たちは生まれたときからの知り合いであり、それが死ぬまで続く。バードは、リジー・ウーレットが土地の鼻つまみ者扱いされていたことを知る。死体が著しく損傷していたにもかかわらず身元確認がすぐに行われたのは、身体に特徴のある部位があったからである。こどものころ、リジーは辱めを受けて、その部位を晒しものにされた。男たちは冗談の種としてそれを共有していたのだ。

 語りの二本目の筋は、リジー自身が語り手となるものだ。すでに死者であるから、必然的に語りは過去に向く。カッパーフォールズで過ごした幼少期、ドウェインとどのように知り合ったか。その関係がいかにして腐っていったか。物語の終盤で、リジーが自身についてこのように語る。「彼女は厄介者でしかなかった。彼女はとっくの昔に始末されるべきゴミだった。ど田舎のあばずれ、廃品置き場の娘。彼女はこの世を去り、誰もがせいせいしている」と。痛ましいがこれは本音で、いったん共同体からはみ出してしまった者がいかにすまじき思いをするか、他人からのどのような視線を感じながら生きているかを読者は思い知らされるのである。

 三本目の筋は「都会」と題された章だ。ここで展開されるのは、夫婦の視点である。イーサン・リチャーズはいわゆるインフルエンサーで、エイドリアンはその妻である。リジーはこのリチャーズ夫妻にバンガローを貸していた。時間軸は事件の後に設定されていて、それに関与しているらしい男女の会話がまず綴られる。気弱になる男に対して女はあくまで強気で、逃げおおせることができると断言するのである。捜査を進めるバード刑事は彼らの存在に気づいているのか。そしていつ出会うことになるのか、ということが読者にとっては関心の焦点となるだろう。

 なぜ三つの筋で叙述が行われているのかということが、ページ数の六割を過ぎたあたりで明かされる。そこまでが第一部で、ごく短い文章で鮮やかに真相が示唆される。鮮やかすぎて注意散漫な読者だと見過ごしてしまいかねないほどだ。そこから第二部で、真相が露呈した後で、なぜ、どのようにそうなったのかという過程が示される。実を言えば、この種明かしは早すぎると読みながら感じた。このあとをどうやって引っ張っていくのだろうか、というのはしかし余計な心配で、どのような形で幕を下ろすのかという興味だけで十分に牽引力があるのである。それは無理筋では、と感じる部分もあったが、ぐいぐいと引き込まれていく。最後まで吸引力の変わらないミステリ、お見事。

 曖昧にぼかして言うが、こういう作品の場合、終わり方は二種類しかないのである。そのどっちに転ぶか、という関心だけでも読者は惹きつけられる。ルーレットの玉がどこに落ちるかを、誰もが目で追ってしまう。あれと同じことだ。また勘のいい読者なら、第一部の結末を待たずして真相を言い当てられるかもしれない。それでも一向にかまわないのであって、どのような語りで、どういう文章でそれを読ませるかに意味がある小説なのである。

 強く印象に残るのはリジー・ウーレットのキャラクターである。自己肯定感が低く、誰からも愛されていない、この世のどこにも居場所はないと思いながら日々を送っている一人の女性。その肖像を描き上げ、読者に我が身と引き比べさせることを作者は狙っている。『誰も悲しまない殺人』の原題はNo One Will Miss Herである。自分がこの世からいなくなっても誰も悼んではくれないだろう、という感情に苛まれたことのある人は、本書を手に取りたくなるはずだ。リジーの孤独は他人事ではないのである。

 キャット・ローゼンフィールドはヤングアダルトから作家業を始めた人で、多少の模索期を経て書き上げた本書が2022年度のアメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)最優秀長篇賞候補になるなど、高い評価を受けた。主要登場人物を絞って人間関係を書きこむやり方など、大化けすれば抜群のスリラー作家になれそうな気がする。化けろ。

(杉江松恋)

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