【今週はこれを読め! ミステリー編】新名智『雷龍楼の殺人』に体をひっくり返される!

文=杉江松恋

  • 雷龍楼の殺人
  • 『雷龍楼の殺人』
    新名 智
    KADOKAWA
    1,870円(税込)
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 新名智の小説は、体をひっくり返されるような感覚がある。

 単にどんでん返しというだけでは伝わらないと思う。もっと生理的にたまらなくなる感じだからだ。喉に手をつっこんで中のものを引き出され、体の内側と外側が入れ替わってしまうとでも言うか。ひっくり返る前に、ああっ、今からとんでもないことが起きる、という予兆があって、実際にそれをされているときにも体の中で内臓が動いているようなというか、ずずず、と何か大切なものがずらされているような肚に応える感覚がある。『雷龍楼の殺人』(KADOKAWA)は、2021年に『虚魚』(KADOKAWA)で第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞を得てデビューした新名の、第四長篇にあたる新作だ。

 これまでの新名作品は、すべてホラーに分類される作品だった。恐怖心に訴えかける物語にミステリーが得意とする曲芸的な論理展開やプロットのひねりが備わっているのが特徴で、怪異がなぜ起きているのかがわかっても読者の不安は解消されず、逆に募る一方となるという特徴があった。『雷龍楼の殺人』では超常現象などのホラー要素を封印し、正面切って犯人当ての謎解きに挑戦している。しかも殺人事件の現場が孤島で、犠牲者の出る一族以外には住民がいないというクローズドサークルだという凝りようである。これは期待してしまう。

 冒頭には二つの断章が置かれている。一つは二人の会話を抜き書きしたものだ。一人は富山県の洋上に浮かぶ油夜島というところに来ているらしい。そこにはもう住民がいないのだが、雷龍楼という先祖代々の屋敷があるために外狩(とがり)家の人々だけが時折やってくるということが話の中で明かされる。もう一つはプロローグと題されたもので、「初めて地下室に閉じ込められたのは、七歳のときだった」と〈わたし〉が語る。どうやら彼女は、男女二人組に誘拐・監禁されているらしい。犯人のうち女のほうが話しかけてくる。〈わたし〉がにぃにと呼ぶ高森穂継がまさに今、油夜島の雷龍楼にいるのだという。人質解放の条件は、穂継が外狩家一族にとっては不利になる情報を入手することだ、と明かされたところで事態が一変する。電話に出た女が「いったい、だれが殺されたんだ?」と叫ぶからだ。

 ここまでが導入部である。2ページ置いて始まるのは、その高森穂継を視点人物とする物語だ。姓が異なるが穂継も外狩家の血を引いている。8年前に亡くなった外狩英男は正妻・菫の他に愛人を作り、二人の娘を生ませた。その一人、高森渚の子が穂継である。

 雷龍楼では2年前に変事が置き、4人が命を落としていた。故・英男と菫の間には長男・英一郎、次男・英作、長女・香の三子が授かった。それに愛人の子である渚と、その妹の薊を加えた五人が夫妻の子である。2年前の事件は、館の別棟にある風呂釜が空焚きされたため、その近くで眠っていた者が一酸化炭素中毒死するというものだった。犠牲になったのは、菫と次男の英作夫妻、そして三女の薊である。英作と妻の多恵子はある時期から娘を虐待していたことが事件と前後して判明していた。それが監禁された状態でプロローグに登場した外狩霞で、両親の死後彼女は、高森家に引き取られていたのである。唯一の心を許せる相手である穂継のことを霞は実の兄以上の存在として慕う。

 ここまでが状況設定のあらましだ。穂継が視点人物となって進んでいくパートではたいへんなことが起きる。彼は別館、つまり2年後に4人が死亡した建物で寝るように命じられるのだが、朝になってそこが殺人事件の現場になっていることに気づくのである。殺害されたのは穂継ではない外狩家の者だ。これは穂継にとって非常に不利な状況である。なぜならば本館につながる通廊は、別館側からしか鍵をかけることができなかったからである。密室状態で、事件当時別館には被害者の他は穂継以外しかいなかったのだ。2年前の事件が殺人ではなく事故として処理されたのも、この密室状況のためだった。別館の外から風呂釜に近づき得た者はいなかったのである。

 以降物語は、外狩家の人間によって軟禁状態にされた穂継が、自分にかけられた嫌疑を晴らすため密室の謎を解こうとするという流れが中心になって進んでいくことになる。犯人グループに命じられて島に入った穂継は、彼らと携帯電話で連絡を取る。状況を聞かされた霞は、犯人たちに手を貸して穂継の苦境を救おうとするのである。クローズド・サークルに監禁された者が謎を解くために外界と連絡を取ろうとするという趣向の話は過去にも書かれてきたが、島で進行していくことをなすすべなく見守るしかない者の焦りに力点が置かれているのが特徴だ。いくつかのフィルターを通して起きていることを眺めているような距離感、情報伝達の不備によるものかわからない違和感がずっとあり、それが読者の不安を募らせる効果を上げている。

 ここまで書いてこなかったのが、本作には他では見ない趣向がある。開巻早々に置かれている「読者への挑戦」がそれだ。プロローグが終わったところにそれはある。前述した、飛ばした2ページの正体である。

この「読者への挑戦」は本格ミステリ作家を自称する〈わたし〉によって書かれている。〈わたし〉は記述がフェアであることに執着しており、その条件は「真相が存在すること」「合理的な推論によって、その真相にたどり着けること」「推論の根拠になる手がかりは、すべて作中で読者に対し提示されていること」であるという。その条件に照らし合わせたとき〈わたし〉は、ある事実を書かずに執筆を行うのは不可能だと感じたのだという。だからこれからそれを書く。その事実とは真相そのものであり、ゆえに推理は可能なものとなる。

 そして〈わたし〉は、以下の物語で起きる事件の真犯人を書いてしまうのである。それだけではなく、登場人物表に名前がある中で誰が殺害されるかも明らかにする。なるほど、これ以上はないという真相だ。そこに何の叙述トリックもないし、他の解釈も存在しないと〈わたし〉は胸を張る。なるほどわかった。しかし真犯人があらかじめ明らかにされた状態で、謎解きは果たして可能なのだろうか。読んでもらえればわかるが、いわゆる倒叙、つまり犯人側の視点から書かれる形式の作品でもないのである。

 頭の上に無数の疑問符が浮かんだ状態で誰もがこの作品を読むことになるだろう。ここで思い出してもらいたいのが、新名は体をひっくり返すような生理感覚を味わわせる作家だということだ。事態が理解できてからのほうが不安が募る作家でもある。案の定本作でも、真相は最初からわかっているというのに、物語を読み進めれば読み進めるほどに胸中を脅かす正体不明のものは存在感を増していく。恐怖心と絶望感が最大に達するのは、すべてが明るみに出された瞬間なのである。不合理に見えるものを合理的に解明することで闇を解消するのがミステリーだとすれば、本作で新名は、不合理なものが消失した途端に闇が出現する、つまりミステリーが終了した途端にホラーが始まる小説を書いたのである。

 またもや世界はひっくり返され、あとには内臓のように赤黒い、薄暮だけが残る。

(杉江松恋)

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