
作家の読書道 第155回:津村記久子さん
主に大阪を舞台に、現代人の働くこと、生活すること、成長することをそこはかとないユーモアを紛れ込ませながら確かな筆致で描き出す芥川賞作家、津村記久子さん。昨年は川端康成賞も受賞。幼い頃から本を読むのが好き、でも、10代の頃は数年にわたり、音楽に夢中で小説から遠ざかっていた時期もあったのだとか。その変遷を楽しく語ってくださいました。
その4「人生を変えた二人の作家」 (4/7)
――学生時代に読んで印象に残っている作家は他にいますか。
津村:『SFハンドブック』を読んでいるうちにカート・ヴォネガットを読むようになって、それで全部が変わったんです。やっと小説を読んだという感じ。それまで読んできたのが小説じゃなかったということではなくて、私の人生のなかで「ああ、小説やな、自分も小説書きたい」と思ったのがヴォネガットを読んだ時でした。最初は『スローターハウス5』を読んで、当時はよく分からなかったんですが、『デッドアイディック』がめっちゃよかった。1日で読みました。浅倉久志さんの訳が歯切れ良くて読みやすかったんです。短い期間でヴォネガットを全部読んで、浅倉さんみたいな文章を書きたいと思いました。今でも浅倉さんの文章は目標にしています。
ヴォネガットは、『タイタンの妖女』なんてすごいじゃないですか。こんなことが書けんねやとびっくりして...。最後に主人公マラカイ・コンスタントとビアトリスの息子のクロノが、親から何ももらっていないのに親に「僕に命の贈物をありがとう」と言って、それで別の何者かになっていく。流転のあり方とか、人間の善意とか、サロという別の星のロボットがものすごく親切だったりすることとか。平易な言葉にすると、こんな気持ちが書けるんやってことが、ヴォネガットの小説を通して分かったんです。幸せでも不幸でもなくて、ただ心が動かされるという。
もう一人はチェスタトンです。大学2年生の時に『木曜日の男』を読んだんです。これも衝撃を受けました。チェスタトンはブラウン神父シリーズが好きで、目録を見ていたら『木曜の男』の説明文が、「無気味な迫力に満ちた逸品」とか大仰なことが書いてあってめっちゃ面白そうで読んでみたらもう、すごいじゃないですか。人の生というのをこう取り扱えるのかっていう。最後、日曜に馬鹿にされながらボロボロになって追跡するあたり、生きているってこういうことなんやってことが浮かび上がってきたんです。自分もこういうことを書きたいと思いました。
――小説を書きはじめたのはいつですか。
津村:大学3年生の夏休みに時に、のちに小説すばるに応募する小説を書きました。キングとかも好きだったので、街に怪物が現れるという話です。前の年に中村一義がデビューしたのかな、『金字塔』というアルバムがすごくよくて打ちのめされて、自分もちゃんと生きよう、何かやってみようと考え、自分がやりたかったのは小説を書くことだったな、って。それで書いてみたら、ホラーになりました。
――『IT』のような?
津村:そうそう、『IT』みたいな青春小説でした!大事な本なのに抜けてました、中学の時にキングの『IT』を読んだんです。図書室の先生に頼んで『IT』を入れてもらったんです。分厚い上下巻だから本屋に行くとすごく目に入るので、読んでみたいなと思って。キングは特別に好きというわけではないんですが、読むものに困ったらとりあえずキングを読む、という感じです。だからいい読者じゃないんです。『ニードフル・シングス』や『デッド・ゾーン』は読んでいるのに『キャリー』は読んでいないという。
大学3年生の時に書いたものは完成させて、友達に見せました。自分の気になるところを確認したくてアンケートをとりました。あまり感情的な感想を求めてはいなくて、「へんな文章はなかったか」とか「この展開はどう思うか」とか、そういうことが訊きたかったんです。自分では正解不正解が分からないけれど、正解を出したいと思ったんでしょうね。それで読んでくれそうな友達4、5人にコピーして渡しました。ありがたいことにみんな感想をくれました。怒られはしませんでした。文学科の教授に知り合いがおって、その人にも見せた時も「大丈夫やで」と言われて。それが3年から4年にかけてです。