第155回:津村記久子さん

作家の読書道 第155回:津村記久子さん

主に大阪を舞台に、現代人の働くこと、生活すること、成長することをそこはかとないユーモアを紛れ込ませながら確かな筆致で描き出す芥川賞作家、津村記久子さん。昨年は川端康成賞も受賞。幼い頃から本を読むのが好き、でも、10代の頃は数年にわたり、音楽に夢中で小説から遠ざかっていた時期もあったのだとか。その変遷を楽しく語ってくださいました。

その5「就職してからの苦労&作家デビュー」 (5/7)

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――でもそれを新人賞に応募せずに就職したんですよね。どうしてですか。

津村:小説家になれるなんて思ったことがなかったんです。大学4年の時も、夏休みを使って書いたのは就職活動の話で、それは教授にしか見せていません。600枚あったんですけれど(笑)。そりゃ作家になりたいけれどならへんし就職しようと思い、就職したら仕事のことだけになって、読む時間も書く時間もなくなりました。とりあえず社会人1年目にアーヴィングの『サイダーハウスルール』はちょっとずつ読みました。

――入社した会社の上司との人間関係では相当辛い思いをされたとか。そのパワハラについては『ポトスライムの舟』に収録された「十二月の窓辺」に書かれていますね。

津村:そうですね。その上司からしたら本を読んでいる自分がすごく異質の人間に見えたと思う。お昼はみんなでワイワイ食べるものなのに、あいつはいつも昼休みにはドトールに行って本を読んでる監視しにくい奴、私以外のことを考えている奴、と思われたんかな。本を読まない人から見たら本を読んでる人間て鼻持ちならない奴に見えるんだと思う。しかも外国の小説だから、なおさら。音楽を聴いているのも嫌だったみたいで「出勤中はやめて」「仕事のことだけ考えて」って言われました。 その頃にジェイムズ・エルロイの『ホワイト・ジャズ』を読んだんです。四部作の四つ目から読んでしまったので、後から『ブラック・ダリア』『ビッグ・ノーウェア』『L.A.コンフィデンシャル』を読み直していろいろ話が分かりました。当時読んでいたものといえば『サイダーハウスルール』と『ホワイト・ジャズ』ですね、思い出せるのは。

――その会社にはどれくらいいたのですか。

津村:10か月で辞めました。それから9か月くらい家業を手伝ったり学校に行ったりした期間がありました。2000年に就職して2001年の1月くらいに辞めて、もう仕事をするのは無理やという状態で。ハローワークの紹介で、その年の3月くらいに就職カウンセラーさんに会って、ものすごく励まされて、「そんなに仕事できない人間でもないと思うよ」と言われてやっと働く気になったんです。そこから職業訓練の学校に行き、パソコンを3か月間習いました。それが4月から6月で、7、8月は『八番筋カウンシル』にも書いていますが家業を手伝って、9月にまた1か月くらい講習に行って、10月に就職活動を始めてその月の終わりには次の会社に入りました。そこには10年半いたんですよね。あそこまでへし折れた人がそこまで長い期間いるなんて、どれだけいい職場やったんやろうと思う。

――そこに勤務している間に、小説の投稿をしてデビューするんですよね。

津村:大学3年の時に書いたものをリライトして、26歳の時に小説すばる新人賞に応募して3次選考まで残りました。きっかけはおばあちゃんが亡くなったことです。どうも中村一義を聴くとかおばあちゃんが死ぬといった、きっかけが必要な人間みたいです。おばあちゃんが死んで、自分も明日死ぬのかなと思ったんです。おじいちゃんも好きだったんですが、おじいちゃんよりおばあちゃんが亡くなったほうがショックだったのは、100歳まで生きるやろうなと言われていたのに84歳くらいですっと死んだんですよ。84歳なんて女の人の平均寿命を考えると若いですよね。他にも、不況で会社にもリストラみたいなことがあったので、今までの自分ではいられないという気持ちがありました。それで、小説が好きだったなと思い出して、20歳か21歳の時に書いた『IT』みたいなものをリライトして26歳で応募しました。まずは、自分が何番目くらいにいるのかを知りたかったんです。そうしたら3次選考に通って千数百通とかのなかの17番になったので、とりあえず投稿を続けていくことにしました。それが26歳くらいだったので、30歳までは投稿していこうと決めました。

――その原稿って日の目を見ていますか。

津村:いいえ。でも昨年亡くなった『小説すばる』の高橋秀明さんが憶えていて「読みましたよ~」って言われたんですよ。「忘れてください!」って言いました。めっちゃ恥ずかしかった。とにかくリライトしたものを3月に応募して、4月からは修業というか、もっとものを吸収せな、と思ってそこから週3本映画を観て、週1冊本を読むことにしました。その時にポール・オースターの『リヴァイアサン』を読んで、面白いなとなって書いたのが「君はそいつらより永遠に若い」でした。応募した時は「マンイーター」というタイトルでしたけれど。『リヴァイアサン』みたいに視点が変わっていくものは書かれへんけれど、視点を一個に固定していろんな人間の遍歴を書こうと思ったんです。

――『きみは永遠にそいつらより若い』は太宰治賞受賞作ですが、なぜ太宰賞に応募したのですか。

津村:筑摩書房の本をよく読んでいたということと、書きあげてみて純文ぽいなと思ったことと、枚数が...。筑摩書房にいた松田哲夫さんによると枚数オーバーしていたらしいんですけれど、私的には規定の枚数に合ってたんですよ(笑)!
『君は永遠にそいつらより若い』は2004年の4月から9月の間に書いたもので、10月から3月の間にもう一篇書いて小説すばる新人賞に応募したんです。そっちは一次で落ちたという。長編を年2回投稿していくつもりだったんですけれど、翌2005年の1月の終わりに当時筑摩書房にいた藤本由香里さんから「最終選考に残られました~(声真似)」と連絡があって、「まじで!」となって。そこからです、はい。

――ところでスパルタ修業時代、小説を書くのになぜ映画を観ようと思ったのですか。

津村:物語の構造を知りたかったんです。小説を読むとなると1冊1週間くらいかかるけれど映画なら2時間くらいなので、小説よりもどこに伏線があってどう盛り上げたかということが把握しやすいと考えたんです。週に三本観ると決めて、いろんな映画を観ました。

――参考になりましたか。

津村:なったんかなあ。ポン・ジュノの『殺人の追憶』とかは、今やってることに関係あんのかわからんけど、ほんとにすごかったです。あれは事実に基づいているらしいんですけれど、あんなオープンエンドでなんでこんな気持ちになるんやろうって思った。すごく面白かった。

――修業として読む本はどのように選んだのですか。

津村:とりあえずオースターはその頃出ているものは全部読みました。日本の作家さんは影響を受けてしまうとパクリやと言われそうやから避けました。目録を見て知っている人を読むということをしていました。エルロイの4部作を通しで読んだのもその頃です。大学生の時に読んだ、キングがリチャード・バックマン名義で書いた『レギュレイターズ』も好きだったので、もう一回取り寄せました。面白い本を読んだほうが、小説を書きたいというモチベーションが上がるので。白水uブックスも多かったですね。ミルハウザーの『イン・ザ・ペニーアーケード』、『バーナム博物館』や『三つの小さな王国』はその時に読みました。
あ、マーガレット・ミラーも大好きでした。『殺す風』という本がすごくて、そこから全作読みました。釣り仲間の男たちがいて、そのなかの一人で後妻さんと暮らしていた男が失踪するんです。死体も出てこない。それだけの話なんですが、周囲の人たちの様子から目が離せない。地下鉄で読んで、電車を降りた後に改札まで行けなかったんです。駅のベンチに座って続きを読みました。これはすごい作家さんやと思いまして。ミラーはどの本もみんなそうでした。人間をめちゃくちゃよく見て、どんな人間のことも興味深く書く。それが楽しいし読みたいと思わせるのがすごい。善悪を超えるものがあるんです。

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