作家の読書道 第161回:磯﨑憲一郎さん

2007年に文藝賞を受賞して作家デビュー、2009年には芥川賞を受賞。意欲的な作品を発表し続けている磯﨑憲一郎さん。叙事に徹した日本近代100年の物語『電車道』も話題に。時間の大きな流れの中で生きる人々をとらえたその作品世界は、どんな読書生活から育まれていったのか? 商社に勤めながら40歳を前に小説を書きはじめた理由とは? 

その1「ユーモアたっぷりのSFが好きだった」 (1/5)

――一磯﨑さんは、お生まれは千葉県なんですよね。

磯﨑:そうです。でも千葉に住んでいたのは小学校までで、中学に上る前に家族で埼玉に引越しました。学校はその後ずっと東京ですね。中学も越境して東京に通っていました。

――一読書の記憶といいますと。

磯﨑:まず最初に言っておかなければと思うんですが、家で本を読むような子供ではなかったんですよね。小さい時は千葉の我孫子市で育って、住んでいたのは宅地開発された地域の一番はじっこのところだったので、家の向こう側はすぐ森という環境で。学校が終わると森で遊んでいました。自転車を乗り回したりして。野球などの球技もしましたが、僕、球技のセンスはないんです。それよりも虫を採るのが好きでしたね、昆虫。

――一クワガタとかカブトムシとか?

磯﨑:そう、夏になると100匹くらいつかまえていました。母親が用意してくれた巨大な盥に網をかけて、その中で飼っていました。8月が終わると同時に全員パタッと死んでしまうんです。それを見て「生き物ってこんなに潔いものなんだな」と思いましたね。他にも蝶々とかカミキリムシとかバッタとか、なんでも好きでした。ですから昆虫の図鑑もよく見ていました。

――一小説を読んだりはしませんでしたか。

磯﨑:いろんなインタビューで最初に本に興味を持ったきっかけは北杜夫さんだったと言っているんですけれど、今回このインタビューを受けるにあたっていろいろ思い返してみたら、その前に夢中になった本がありました。小学校4年生くらいの時、朝日ソノラマ文庫で加納一朗さんの『透明少年』が学級文庫にあったので読んだら面白くて、「この人の小説は全部読もう」と思ったんですよね。祐天寺三郎さんの表紙でした。ある男の子が学校から帰ってきて、お腹が空いているけれどお母さんが外出中で、おやつを探すんだけれど何もない。それで、空腹を紛らわせるために塩とか胡椒とかケチャップといった家にあった調味料を全部混ぜて飲んだら、もう人類始まって以来こんなに不味いものはないんじゃないかっていうくらい不味い(笑)。でも、それを飲んだら身体が透明になっていたという。透明調味料が瓶一本分できたのでそれをとっておいて、そこから人助けをしたり犯罪に巻き込まれそうになったりするという話でした。そこから加納さんの本を全部読むことにして、朝日ソノラマ文庫の『イチコロ島SOS』、『ほら吹き大追跡!』、『ミラクル少女』、『怪盗ラレロ』や『ロボット大混乱』などを読みました。どれもSFなんですけれど、基本はユーモア小説というか。そのユーモアのセンスがよかったんですよね。

――一どういうユーモアだったのでしょう。

磯﨑:ギャグとはまた違って、知的なユーモアというか。『透明少年』の化学調味料を混ぜ合わせたら透明になる薬になる、というような発想がいいなあと思ったんですね、そして教訓臭くもない。日常の延長にあるユーモアが好きなのはその頃に刷り込まれたんだな、と今にして思います。それと、いろんなものを手広く読むというよりは「この人が面白い」と思うとその人にのめり込むというのは、この頃から始まっていたんだなとも思いました。でも相変わらず外で遊ぶことのほうが多くて、そこまで読書自体にのめり込むわけではありませんでした。

――一その次が北杜夫さんですか?

磯﨑:いえ、その前にもうひとつありまして。スターリング・ノースの『はるかなるわがラスカル』です。アニメの「あらいぐまラスカル」の原作ですが、大人向けの角川文庫で出ていました。どうしてこれを手に取ったのか憶えていないんですけれど、小学校5年生くらいの頃に繰り返し読みました。アメリカの中西部の田舎の少年が、親とはぐれたアライグマの子供を保護して、ある程度大人になったら森に返す話で、アニメと違ってストーリーの起伏はその最初と最後くらいで中間はほとんど何も起こらない。大人になってミシガン州に駐在した経験があるので分かったんですけれど、高速道路でよくアライグマが車に轢かれて死んでいるんです。それくらい中西部には普通にいる動物で、当時のあの地方の子供にとっては特別な話ではなかったんだろうと思います。でも寝る前に布団に入ってからこれを繰り返し読んだということは、僕は当時から何も起こらない話が好きだったんでしょうね。中西部の森の描写とか、薄荷の飴を舐めた後で冷たい水を飲むとスーッとするといった描写をいまだに憶えています。奇想天外な話を好む子供もいるんでしょうけれど、今回いろいろ思い返してみて、改めて自分はその頃から、そういう散文に魅力を感じていたんだと気づいてびっくりしました。

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――一動物が好きだったんでしょうか。

磯﨑:そうですね、犬を飼っていましたしね。動物とか昆虫とか、自然の側の存在のほうが人間よりも信頼できる、という気持ちはあったのかもしれません。大人になった今だって、人間よりも自然とか動物の方が、小説とか芸術に近いと思ってるし。だからもうそこで駄目ですよね、社会性がない(笑)。

――一『シートン動物記』や『ファーブル昆虫記』などは。

磯﨑:ああ、それと椋鳩十とかも読みました。でも心に残ったのは『はるかなるわがラスカル』なんですよね。

――一ルパンやホームズや少年探偵団は読まなかったのでしょうか。

磯﨑:そうそう、江戸川乱歩も学級文庫にあって一応読むんですけれど、なぜかのめり込まなかったんです。

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プロフィール

1965年千葉県生まれ。2007年「肝心の子供」で第44回文藝賞を受賞しデビューしたのち、2009年「終の住処」で第141回芥川賞、2011年『赤の他人の瓜二つ』で第21回Bunkamuraドゥマゴ文学賞、2013年『往古来今』で第41回泉鏡花文学賞を受賞。他の著書に『眼と太陽』、『世紀の発見』がある。