第193回:奥田亜希子さん

作家の読書道 第193回:奥田亜希子さん

すばる文学賞受賞作品『左目に映る星』(「アナザープラネット」を改題)以降、一作発表するごとに本読みの間で「巧い」と注目を集めている奥田亜希子さん。長篇も短篇も巧みな構築力で現代に生きる人々の思いを描き出す筆力は、どんな読書経験で培われてきたのでしょうか。デビューに至るまでの創作経験などとあわせておうかがいしました。

その4「「好き」と思った作家たち」 (4/5)

  • リトル・バイ・リトル (講談社文庫)
  • 『リトル・バイ・リトル (講談社文庫)』
    島本理生
    講談社
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  • ぼくは勉強ができない (新潮文庫)
  • 『ぼくは勉強ができない (新潮文庫)』
    詠美, 山田
    新潮社
    473円(税込)
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  • だれかのいとしいひと (文春文庫)
  • 『だれかのいとしいひと (文春文庫)』
    角田 光代
    文藝春秋
    682円(税込)
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  • アジアンタムブルー (角川文庫)
  • 『アジアンタムブルー (角川文庫)』
    大崎 善生
    角川書店
    748円(税込)
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――大学生の頃は創作はしていましたか。

奥田:小説は書いていませんでした。ただ、テキストサイトが流行っていて、自分も面白いブログが書きたいと思い、そういうことはやっていました。高校生の頃に自尊心をだいぶ削られたので、作家というのはすごく頭のいい人か特殊な経験のある人しかなれないに違いないと考えるようになっていて、この頃はもう目指してはいませんでした。就職して生きていくつもりだったんです。それでも文章を書く仕事に憧れはあったので、フリーペーパーを発行している会社に入りました。営業職で採用されたんですが、自分で採ってきた広告の文章は作れたんですね。そこで1年間働きました。

――就職で千葉に移られてからは、どのような読書を。

奥田:最初に住んだ行徳の図書館は借りられる冊数が無制限だったんです。それに感動して図書館も使いつつ、1年に100冊か150冊くらい読んでいました。
この頃、同期の家に島本理生さんの『リトル・バイ・リトル』や、山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』、角田光代さんの『だれかのいとしいひと』があって、借りて読んだらもう、「これ好き!大好き!」となって。今でも好きな作家に出合わせてもらいました。特に『だれかのいとしいひと』の中の「転校生の会」という短編。主人公が転校経験の多かった恋人から、「転校を経験したやつとしないやつじゃ、決定的に何かが違う」と言われるんです。「私のためにある小説だ」と心底思いました。今でも思っています。角田さんも転校したことのある人かと思っていたらそうではないと知って、その手腕にもう、本当にびっくりしました。
大崎善生さんも同期に薦められて『アジアンタムブルー』から読み始め、作品はほぼすべて読んでいます。村上春樹さんもこの頃からちゃんと読むようになって、今では新刊を心待ちにしている作家の一人です。2009年以降は、読んだ本の記録は全部つけていますね(と、ノートを取り出す)。

――タイトルだけなく、感想も記しているのですか。

奥田:タイトルだけでは内容が思い出せないので、一時期は1行だけ感想を書いていました。でも、今読み返したらすっごく偉そうなんですよ。「この重たい設定なら、もっと面白くなった気がした」とか。タイムスリップして、全力で自分の頭を殴りたいです(笑)。

――創作活動を再開したのは、何かきっかけがあったのですか。

奥田:フリーペーパーの広告を作っていて、最初は「反響があったよ」と言われると、自分の文章を読んでお店に行きたくなった人がいるんだと嬉しかったんです。でも広告は、クライアントが伝えたい情報のまとめなんですよね。段々と、「もっと好きに文章を書きたい」って考えるようになりました。それとその頃、まったく面白いと思えない本を読んで、小説って誰でも書いていいのかなと思いました。その本のタイトルは憶えていないんですけれど。

――なんと。どの本だったのか気になります(笑)。

奥田:本当に思い出せないんです。それに、その時の私にとって面白くなかっただけで、誰かの心には刺さる本なんだと思います。仕事を辞めたのをきっかけに、今に繋がるものを書き始めました。そこから投稿生活が始まります。1年間に150から200冊ほど読みながら、1、2作を投稿するという生活を6年半続けました。

――読むのは速いほうですか。

奥田:だと思います。速い方で、憶えていられない方。内容をすぐに忘れちゃうんです。特に固有名詞が憶えられないんですよ。私はたぶん、字の形でふんわりと記憶しているんです。木へんで画数が多い文字が一文字目の人名、みたいに。音で自分の中に入れていないから憶えられないのかもしれません。
この頃は濫読でした。それは、自分の書くものが純文学なのかエンターテインメントなのか分からなくて、どちらにも応募していたからだと思います。

――そう、読書遍歴をうかがうと、エンタメの賞に応募してそうなものなのに、奥田さんはすばる文学賞受賞ですよね。

奥田:最初は「小説宝石」の新人賞に応募したんです。角田光代さんが選考委員だったので。その後それに手を入れて、なぜか「群像」に送りました。それが二次選考を通った時から純文学を意識し始めたように思います。一度、「群像」で最終選考に残ったんですけれど、「この書き手はエンタメ向きだ」というような選評をいただいて、「ほうほう」と思ってエンターテインメントの賞に応募したらほとんど通らない。いつどこに応募したのか記録をとっていないので分からないんですが、すばる文学賞も1回目の投稿では受賞していないと思います。

――ご自身はジャンルのこだわりはまったくなかったということですね。

奥田:なかったです。ジャンルも決まっていなかったし、傾向と対策を考えて書くことは絶対にしないと決めていました。書き上げたものを分析して賞を選ぶことはしても、「この賞が獲りたいならこういう小説だ」みたいなことはやりたくなかったんです。自分の書きたいようにしか書きたくない。それは今も変わらないので、カテゴリーやジャンルはわりとどうでもいいですね。そう思っていると思いたいです。

――6年間投稿している間、「このままデビューできないんじゃないか」と不安になりませんでしたか。

奥田:ずっと不安でした。早い段階で二次選考や最終選考に残ったり、実際に編集者と会ったりもしていて、言葉は悪いですけれど、平均よりは書けているのかなとは思っていました。でも選ばれるのは、何千という応募作品の中のたったひとつですよね。前の年にどれほどいいところまで行けても、次の作品ではリセットされる。なまじ選考通過の経験があっただけに、辞められなくなっていました。投稿生活の後半は、「ここで辞めたら全部意味がなくなる」というマイナスの気持ちが大きかったです。渦中にいるうちはデビューできるか分からないので、結構苦しかったですね。

――では、受賞が決まったと連絡があった時は...。その前に、最終選考に残ったという連絡もきますよね。

奥田:すごく嬉しかったです。最終選考の連絡から選考会まで、だいたい1か月半くらいあるんですけれど、緊張がものすごくて。その時、私はもう二度と小説のことで緊張しないって決めたんです。不正がなければ、デビューした事実を取り消されるなんてことまずないじゃないですか。今自分が抱えている緊張に比べれば、デビュー後に起こることは何でもないと思っていました。

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