
作家の読書道 第196回:真藤順丈さん
ダ・ヴィンチ文学賞大賞の『地図男』や日本ホラー小説大賞大賞の『庵堂三兄弟の聖職』など、いきなり4つの文学賞に入選してデビューを果たした真藤順丈さん。その後も着実に力作を発表し続け、最近では戦後の沖縄を舞台にした一大叙事詩『宝島』を発表。骨太な作品を追求するその背景には、どんな読書遍歴が?
その5「月1本投稿からデビュー」 (5/6)
――読書記録をつけていたりはしませんでしたか。
真藤:つけてないですね。本に書きこんじゃうほうなので。
――へえ、ペンでですか?
真藤:ペンで。ただ「すげー」「面白え」とかうわ言みたいな感想を書くときもあるし、アンダーラインも引くし。その小説を読んでいて思いついたアイディアとかもわーっと書きこむ。だから言うなればそれが読書記録なのかもしれません。
――あとで見返すんですか。
真藤:たいていはどこに何を書いたかわからなくなります。「あれに関してメモした気がするけど、どの本のどの頁か全然わからない」ということはしょっちゅうあります。でもすごく良い閃きはちゃんと憶えているから、忘れるようなネタは使えないネタだよなと吹っきれる。
――新人賞への投稿時代、ものすごいハイペースで作品を書かれてませんでしたっけ。
真藤:3年間、どの賞にも引っかからなくって。一次選考も通らないありさまで。さすがに「この先どうする」となって、それで月1本出すのを1年間やってみようと。それでも箸にも棒にもかからなかったら人生の方向転換をしようと。幸いにもそういう背水の陣でやり始めたら、出したものがどれも最終選考に残って、どれも受賞できたんです。当時はとてつもなく貧乏で、ガスとか電気とかすぐ止められていたし、出前一丁のどんぶり移しばっかりが上手くなる日々で、いい感じに追いこまれて火事場の馬鹿力が発揮できたんだと思います。
――しかも、いろんなテイストのものをお書きになっていましたよね。
真藤:12ヵ月分の賞のカレンダーを作って。ラノベも純文系も、「このミス」も「ホラ大」も「乱歩賞」も全部獲ってやるぞってね。あまりに無邪気で、恐れ知らずで、当時を思い出すとおのずとアルカイック・スマイルになりますね、ちょっと羨望込みの。
傾向と対策みたいなものに縛られまい、という反骨精神はありました。そんなのみんな考えてるんだから、おなじ土俵で戦っても勝てないんだから奇をてらわなくちゃというか、変わったことをやらかして悪目立ちしようという自覚は強かったです。
――脚本を書いていたとはいえ、いきなり小説は書けましたか? 教授に褒められたことがあるとのことでしたが。
真藤:変な小説は書いてたんですよ。一番褒められたのはおじいちゃんおばあちゃんのお尻から羽根が生えてくる話で。
――え(笑)。
真藤:人間が進化して、若者のころから早寝早起きを1日も欠かさずにしていると、老年になったころにお尻から羽根が生えてくるという大変に夢のあるファンタジーです。これが褒めちぎられて、そうか「センス・オブ・ワンダー」とはこういうものかとわかったような気になって。でもそういうのを応募しても全然引っかからない。で、好きなホラー系にしてみたり、実際の地名が出てくる現実とリンクがあるものを書いてみたり。映画の撮影現場のミステリも書いたな。12ヵ月の12作応募は、最後までやりきろうと思ったんですけど、受賞してからは編集者と出版の話が始まって「もう出さないでいいです」と言われて断念しました。
――だって、いきなり新人賞を4つ獲ったんですよね。『地図男』でダ・ヴィンチ文学賞大賞、『庵堂三兄弟の聖職』で日本ホラー小説大賞大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で電撃小説大賞銀賞、『RANK』でポプラ社小説大賞特別賞。
真藤:運良く下駄を履かせてもらったんです。作家としてのバブルがいきなりド頭にやってきた。デビュー直後はてんやわんやで、仕事場を借りて籠りっきりになって、熱に浮かされているような、だけどうまく回せているような気がしなくて、出版社に目をかけてもらっているのにヒット作を出せない焦りで、筆も滞りがちになって。鳴り物入りでデビューしたのにその鳴り物をぜんぜん鳴らさないという(笑)。デビューしたての時期を思い出すのはしんどいですね、心に苦いものが広がります。