
作家の読書道 第201回:古内一絵さん
映画会社に勤務したのち作家デビューを果たし、さまざまな舞台を選んで小説を執筆している古内一絵さん。ドラァグクイーンが身体にやさしい夜食を出してくれる「マカン・マラン」もいよいよ完結、今後の作品も楽しみなところ。では、どんな読書体験を経て、なぜ小説家へ転身を果たしたのか。その転機も含めて読書遍歴をおうかがいしました。
その2「アニメを自分で小説化」 (2/7)
――そういえば絵本以降は、海外の作品はあまり接することはなかったのですか。
古内:低学年の頃はピエール・プロブストの「カロリーヌ」のシリーズが好きでしたね。『カロリーヌつきへいく』とか『カロリーヌほっきょくへいく』とか。絵もおしゃれだし、猫とか犬とかと一緒に月や北極やいろんな国に行って冒険するのが楽しかったです。他には『若草物語』や『小公女』、『秘密の花園』、『少女パレアナ』とか『スウ姉さん』『アンネの日記』とか。みんなが読むようなものはだいたい好きでした。ただ、自分の土台となっているのは松谷みよ子さんとひろすけ童話かな。
――文章を書くことは好きでしたか。
古内:そうですね。高学年になると今度は読書感想文コンクールとかがあって、私は入選するくらいなんですけれど、校内では1、2人くらいしかいないので、今度は文章を書くことがよく思われるようになりました。それで、自分でも書いていましたね。椋鳩十さんの自然シリーズが好きでよく読んでいたこともあって、動物ものを書きました。子どもなりにメジロの世界を結構調べて、メジロの冒険の話を書きました。なぜか松谷さんの方向に行かずに、椋鳩十さんの方に行きましたね(笑)。椋さんの鷲の生態をそのまま物語にした『大空に生きる』とか、そういうものに感化されたんでしょうね。
そういえば3年生の時に担任の先生に「物語を書いてみなさい」と言われて、探検記みたいなものを書きました。クラスの友達を主人公にして書いて、お昼の時間にみんなの前でちょっとだけ読んだりするんですよ。そうするとみんな聞いてくれて「面白い」と言ってくれるのが楽しくて。でも5年生になると違う先生になったので、結局完結しませんでした(笑)。
――中学時代になるといかがですか。
古内:今度は漫画やアニメにハマり出すんですね。吉田秋生さんの『カリフォルニア物語』がすごく好きでした。小学校から読んでいた『ガラスの仮面』も。私が中学生の頃は少女漫画の黄金期だったんです。『日出処の天子』とか『エロイカより愛をこめて』とかがリアルタイムで出てきて、めちゃくちゃ面白かった。後追いだったかもしれないけれど『ベルサイユのばら』とか『オルフェウスの窓』とかも読みましたね。それと、『マカロニほうれん荘』がすごく好きで、それでなんと、自分でもギャグ漫画を描き始めました。
――おお、どんな登場人物で?
古内:もう、本当に馬鹿みたいな話で、鏡の中に入ったら自分と正反対の性格の人がいる話とか、鏡の中に入ったらどこにでも行ける話、とか。何人かで鏡の向こうに一緒に行く時に、行先は決めていたのに一人だけ「女湯に行きたい」って考えていて、その思いが強すぎて女湯に行ってしまって「バカヤロー!」みたいな(笑)。そういう漫画を描いて、あまり本を読まなくなっていましたね。
それと、中1の時に「機動戦士ガンダム」が始まったんです。もう、ドはまりですよ。あまりに好きすぎてこれを漫画に描こうと思ったんだけれど、画力がなかった。私、実は絵が下手だったんです。それで、絵は無理だから、ノベライズを書きました。二次創作はそのキャラクターを使って違う話を書きますが、私がやったのはアニメをそのまま小説にしたんです。馬鹿なんじゃないかと思いますけれど(笑)。で、途中でやめました。というのも、大変だったというのもあるんですけれど、アニメだと意外と省略しているので途中でシャアの気持ちが分からなくなったんです。
アムロの気持ちはよく分かる。でもシャアは何を考えているのかなと思うようになっちゃって。最後のほう、セイラがふたりを止めに行くところまでは書いたんです。ところがですね、シャアがいきなり「ザビ家の人間はやはり許せぬと分かった」とか言いだすけれど、なんで分かったのかが分からない。それを今「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」でやっていますけれど。
――部活は何かやっていたのですか。
古内:一応、水泳部の大会に出たりはしていたけれど、助っ人だったと思います。成績がよいわけではないけれど、あの頃はバタフライを泳げる子があまりいなかったので。スイミングクラブは続けていて、その夏合宿とかがあって忙しかったので、部活には入る時間はなかったと思います。