
作家の読書道 第204回:上田岳弘さん
デビュー作「太陽」の頃から、大きな時間の流れの中での人類の営みと、個々の人間の哀しみや郷愁を融合させた作品を発表し続け、『私の恋人』で三島由紀夫賞、そして今年『ニムロッド』で芥川賞を受賞した上田岳弘さん。5歳の頃から「本を書く人」になりたかった上田さんに影響を与えた本とは? 作家デビューを焦らなかった理由など、創作に対する姿勢も興味深いです。
その5「デビュー後の読書」 (5/6)
――その後の読書生活はいかがでしょう。
上田:作家デビューしたのが34歳の時なんですけれど、その前後で最近の海外文学はどうなっているんだろうって研究したところがあって。最近は変わってきましたけれど、僕がデビューする2013年前後って、純文学が私小説的なものに寄っていた時期だったんです。大それた話ですけれど、そうではなくてもっと世界で通用するものを書きたいなと思い、イアン・マキューアンとか、バルガス=リョサといった海外文学を読んだ時期がありました。マキューアンは毎回作風が違うけれど、『土曜日』も『ソーラー』も『贖罪』も好きですよ。作風も構成も台詞も起きる物事も皮肉なんだけれど、どこかエレガントなんですよね。皮肉を言うからにはエレガントじゃないと、と思っています。リョサは『世界終末戦争』とかを読みましたね。
――おお、『世界終末戦争』、分厚いですよね。そういえばご自宅の本棚の映像にロベルト・ボラーニョの『2666』もありましたね。
上田:そう、あれも分厚いですよね(笑)。他はクレスト・ブックスも多かったですね。ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』とか。
それと、ミシェル・ウエルベックですね。2013年に「太陽」でデビューする前に1回、新潮新人賞の最終選考に残っているんですけれど、その時の選評にウェルベックの名前が挙がっていて、それで全作品読みました。最初に読んだのは『素粒子』でしたが、作品のレベルとしては『地図と領土』が一番高いと思いますね。内容と文体と構成と試みが合致している感じがします。最近の作品は露悪的すぎるし、リーダビリティに寄っているような気がしているんですけれど。
――本棚にはシェイクスピア以外にも、ブレヒトやテネシー・ウィリアムズなどの戯曲もありましたよね。
上田:ブレヒトは『私の恋人』を書いていた頃、ドイツの戯曲が好きでパラパラと読んでいたんです。第二次世界大戦頃の、いわゆる敗戦国の文学に興味があったんですよね。勝った側の考え方や文化は今の世界に実装されているけれども、負けた側についてはこちらが追わないと分からないので、両方知りたいなと思っていて。
――ああ、『私の恋人』にはホロコーストのことも出てきますよね。そういう部分は新たに資料を読んだりしたのですか。
上田:いえ、ホロコーストのことはもう、みんな知っているじゃないですか。誰もが知っているホロコーストの知識と、H・G・ウェルズの『宇宙戦争』が実はオーストラリアの白人支配を皮肉って書かれたものだということが、あの本では繋がっていきました。そうすることで新しい見方をしてもらえれば、すごく達成感があるなと思いました。
――『私の恋人』では引用される『宇宙戦争』とか、『ニムロッド』のサリンジャーの金庫の話など、作品に先行する作家や作品もよく登場しますよね。それは意図的にですか。
上田:もともと僕が受け身な人間だからかもしれませんが、書いているとある時そうしたものが入ってくるんですよね。テーマに困っていたりする時に、たまたま本屋さんで見かけ「あ、これだな」とピンとくる、ということがよくあるんです。サリンジャーは濫読期に読みましたが、ウェルズは、何かの時に誰かが僕の小説とウェルズの『解放された世界』の関連性だったかに触れているのを読んで、ああ、ウェルズの代表作といえば『宇宙戦争』だなと思い、一応目を通しておこうと思って読んだらぶち当たった感じでした。だから、共時性が強いんですよね。共時性だけで書いているといっても過言ではないくらいです。受け身経験が長いゆえに、「あ、これだ」というものがすぐピンと分かる能力が上がっている気がします(笑)。
――最近はどのように本を選んでいるのでしょうか。
上田:書評を頼まれて読んでみたら面白かった、ということもありますね。最近だとアリ・スミスの『両方になる』がよかった。書評というか、裏表紙の短評の依頼がきたんです。クレスト・ブックスに短評を書けるなんて、嬉しかったですね。「ついに来たか」という感じでした。しかもすごく面白い本だったのでよかったです。