
作家の読書道 第206回:江國香織さん
読書家としても知られる江國香織さん。小さい頃から石井桃子さん訳の絵本に親しみ、妹さんと「お話つなぎ」という遊びをしていたけれど、その頃は小説家になることは考えていなかったとか。さらにはミステリ好きだったりと、意外な一面も。その膨大な読書量のなかから、お気に入りの本の一部と、読書生活の遍歴についておうかがいしました。
その3「書店は出合いの場所」 (3/7)
――読む本はどのように選んでいたのですか。
江國:本屋さんに行って買っていました。本屋さんが大好きだったんですね。だから今は、本当に、本屋さんの数が減っているのも困るし、あんまり売れない本はすぐに撤去されるのも、すごく困る。私が今中学生だったら、見つけられないと思う本がいっぱいあります。売れてる本とか有名な本はいいですけれど、棚差しになっている、聞いたこともない1冊で、なんか風情とかタイトルで「これ面白そう」と思って買って読んだら面白くて、まるで自分のために書かれたように思う、私はそうやって出合ってきた本があったんです。仕事のことだけじゃなくて性格も含めて、そうした出合いがあって今の私があるので、これからどうしようって、ちょっと思います。
――そうですね、書店って偶然の出合いを導いてくれる場所でしたよね。
江國:私はまだ、周囲に本の好きな人が多いので「あれ面白かったよ」といった情報もあるので探すこともできますけれど。ふらっと本屋さんに行ってほしい本が見つかる確率がすごく少なくなっていて、心配になります。私はインターネットはできないんですが、できればほしい本や知っている本は見つけられるかもしれない。でも、知らない本は見つけられないでしょうし。
――書店で本を見つける時って、どんなところに惹かれていましたか。タイトルのほかに、装丁とか、あらすじ紹介とか...。
江國:中学生や高校生の時は文庫で買うことが多かったので、装丁というよりはタイトルとか。端からひたすら読みたかったし、1冊気に入ったらその人のものを全部読んだりもしていました。
で、高校卒業したあたりくらいからかな、単行本期に入ります。本屋さんに行くのが大好きでした。もう本当に、いろいろなものを買って、それはもう楽しかった。たとえば村上龍さんとか山田詠美さんがビッグニュースとなってダンっと出てきたのもその頃で、もちろん買っていました。
ちょうどその頃かな、今でもすごく憶えているのが、ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』が、千歳烏山の京王書房に1冊棚に差さっていたのを買ったこと。京王書房ではいろんなものに出会ったんですよ。そんなに大きくはない町の本屋さんなんですけれど、とてもいいお店で。翻訳ものも結構あって、サリンジャーともそこで出合ったし、ラテンアメリカ文学ってどんなものだろうと思ってそこでガルシア=マルケスを買ってみたし。ジョン・アーヴィングに出合ったのもその頃だったと思います。未知のものがいっぱいある場所だったんですよね、本屋さんは。
――ああ、日本の近代文学の面白さに気づいた後も、海外小説は読み続けていらしたんですね。
江國:そうですね、中学時代の読書は見栄を元にしていたというのと、読んだ小説自体も名作と言われている古いものだったということがありますが、それとはまただいぶ違って、その頃単行本で出たアーヴィングやマルケスは、日本の近代文学が肌から入るみたいに分かったのと同じくらい、行ったことのない、南米なら南米の手触りとか空気がすごく分かるものでした。分かるっていっても、行ったことがないから知っているわけじゃなかったんですけれど。でも、本を通じて感じられたんですよね。実際に旅行する前に全部、本を通じて勝手に「アメリカの空気だ」「フランスの空気だ」「ドイツの空気だ」ということを知ったんだと思います。
――とりわけ好きな作家はいましたか。
江國:その時その時でいっぱいいたんですけれどね。あ、短大生の時には、尾形亀之助という詩人がすごく好きでした。
どう言ったらいいのか難しいんですけれど、たとえば、「雨はいちんち眼鏡をかけて」っていう詩があるんですね。感覚的で、分かりやすいんです。私は勝手に、好きなものが似ているような気がしたんですね。雨とか、硝子とか、パンとか。雨や硝子は多くの詩人が読んでいますけれど、たとえば「コックさん」とか。すごく身近なもの、身の回りのものを詩にする人で、好きでした。
それと、短大を卒業した時に1年間、「童話屋」という子供の本屋さんでアルバイトをして、その時にもう1回子供の本と出合ったことは私にとっては大きかったですね。その時にはじめてルパンとか、『海底2万マイル』とか、『トム・ソーヤーの冒険』とか『ハックルベリー・フィンの冒険』とか、子供の頃男の子用だと思っていたものを読みました。その時は、読んでこなかったことが悔しいという思いが半分、20歳の今だからこそ理解できる面があるかもしれないから取っておいてよかったという思いが半分ありました。
――読んでみたら、やっぱり面白かったわけですね。
江國:はい。その時に、『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』という本があって。うさぎたちの冒険の話で、今でも大好きです。20歳になって本もだいぶ読んできたはずなのに、人物表を見ないと分からないくらい、ものすごい数のうさぎたちが出てくるんですよ。人間だったらね、Gパン履いてる人とか、農業をやっている人とか作家の人とかってところで憶えられるんですけれど、全員うさぎだから表を見ないと分からない。表を見ると、たとえばアダムっていうのは白黒のぶちで、耳がこうでとか、誰が誰の子供とか誰が誰の姉とか書いてあるんですけれど、それを見ないと最初は駄目。でも憶えちゃってからは、もう止まらなくなるくらい面白い本だったんですね。上下巻で結構長いんですけれど、あんなに胸打つものが書けるんだなって。私にとっては小説の新しい可能性を感じたという意味でもちょっと新鮮だった本ですね。