
作家の読書道 第206回:江國香織さん
読書家としても知られる江國香織さん。小さい頃から石井桃子さん訳の絵本に親しみ、妹さんと「お話つなぎ」という遊びをしていたけれど、その頃は小説家になることは考えていなかったとか。さらにはミステリ好きだったりと、意外な一面も。その膨大な読書量のなかから、お気に入りの本の一部と、読書生活の遍歴についておうかがいしました。
その5「ミステリの魅力に気づく」 (5/7)
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――ところで、お父さんからは、読書などに関しては何か影響を受けているのでしょうか。お父さんの本棚にあった本を読んだ、とか...。
江國:うん、影響はあると思いますね。まず、本が身近だったというのは大きかったですね。父も母も本が好きでしたし、家に沢山あったし、家族はみんな本を読むのが当たり前でした。どの部屋にも本棚はあり、廊下にも本棚があり。だからその後、本棚のないおうちがあると知った時の驚愕...。「このおうちの本棚はどこにあるんだろう」って。なんていうのかな、本棚がないおうちって、トイレがないおうちみたいに驚きでした。
それから、子供の頃に買ってもらっていた絵本や子供向けの本は古典的なものが多かったんですけれど、すごく面白い本を選んで買ってもらっていたなと思いますね。
父の書斎にある本の背表紙を見るのも好きでした。で、時々読む。「どれでも読んでいい」と言われていて、あまりにも書斎に行ってそればかり読んでいたら「そんなに好きだったらやるよ」と言われたのが串田孫一さんの『文房具』。その後も、「串田孫一の本だからあげる」といって他のエッセイをもらったりしていました。
父の書斎では、いろんな本の気配や言葉の気配に触れられたと思う。読んでないんですけれど、死刑囚の永山則夫の本で『無知の涙』があったんです。「無知の涙」という言葉があまりにも強烈で、その本の背表紙を見ずにはいられなかった。読んでないのに、その本のことはよく憶えているんです。「無知」と「涙」が組み合わさると破壊的に悲しいというか、怖いというか。
一方、母の本棚も面白くて。母はポケミスが好きで、結構あったんです。ビニールがかかって、紙が黄色で、何か外国の本みたいだなと思っていて。小さい時は読んでみても、2段組みだし長いと思ってすぐ飽きちゃっていました。でも途中からはすごく借りて読むようになり、自分でも買うようになりました。母の趣味も面白かったな。講談社の読み物の『ムーミン』は昔買ってもらっていたんですけれど、漫画の『ムーミン』は母が自分のために買って自分の部屋に置いて、私には見せなかったんですよ。母の部屋で、漫画の『ムーミン』を見つけた時の私の驚きと喜び(笑)。全然漫画禁止の家ではなかったし、少女漫画は私も買っていたのに。たぶん母は、漫画の『ムーミン』を独占したかったんだと思うんですよね。
――ふふふ。ポケミスをお読みになったということは、それではじめて海外ミステリに触れたわけですか。
江國:中学の頃の、有名なものは全部読みたいという時期に、エラリイ・クイーンとかアガサ・クリスティーとかは何冊か読んでいるんですけれど、あんまり好きじゃなかったんです。私はたぶん、ミステリというものをあまり好きではないんだろうと思っていたんですよね。なぜかというと、トリックにあまり凝られても、種明かしみたいにされるとイラっとなるというか、「へえ」としか言いようがなくて。クイズに興味がないのと一緒で「こうだった」と言われてもな、って思っていて。でもそれがね、25歳か26歳の頃、今でも仲良しの大和書房の編集者の女の人が「じゃあ、絶対に面白いからこれ読んで」と言って、クレイグ・ライスを教えてくれたんですよね。そうしたらそれが本当に面白くて。それ以降の2~30年、私の読んでいる本の7割はミステリです。
――クレイグ・ライスといえばユーモアのある作風ですよね。どれを最初に?
江國:最初はどれだったかな、マローン弁護士ものの『大はずれ殺人事件』か『大あたり殺人事件』のどちらかだと思いますね。もしかしたら2冊いっぺんに買ったかもしれないです。で、ポケミスの中のマローン弁護士ものとかを探して読んで、その時に出ていた『スイート・ホーム殺人事件』とかも読んで、後に国書刊行会から出た本(世界探偵小説全集10『眠りをむさぼりすぎた男』)とかも探して。今にして思えば、1980年代のその頃くらいから、トリック重視の本格と言われるものではないミステリがいろいろ出てきていたんですよね。あと、ハードボイルドも好きでした。
私にとっては、有名なミステリもほぼ読んできていないので、そこに宝の山があると思いました。当時シリーズものがいろいろあったんですよね。フェイ・ケラーマンが書いていたものとか、スー・グラフトンとか、女性作家が活躍していたんですよね。
――ああ、スー・グラフトンのキンジー・ミルホーンのシリーズとか、サラ・パレツキーのV・I・ウォーショースキーのシリーズが大人気でしたよね。
江國:そうですそうです、そういうシリーズですね。シリーズだから私が知った時はもう8冊出ている、みたいな状態だからガンガン読んで、あまりにもガンガン読みすぎて、本当にどの本屋さんに行っても全部読んじゃったくらいの勢いで、新刊を待つようになって。
――そういえば、江國さんの『なかなか暮れない夏の夕暮れ』には登場人物が読んでいる本の中味が作中に登場しますが、そのなかのひとつが北欧ミステリでしたよね。
江國:そうそう。あのちょっと前に『ちょうちんそで』という小説を書いた時に、人を殺す場面を書こうと思っていたんですね。社会の中に、やくざとかじゃなくて普通の人でも、人を殺しても捕まらずに生き延びている人というのは本当にいるに違いない、ということが書きたいと思っていて。でも、どうやっても殺せないんですよ、怖くて。最初に刺すってことを考えて、でも刺す場面が書けなくて、鈍器で殴るとか崖から突き落とすとか考えたけれどどうしてもできない。結局、轢き逃げに落ち着いたんですけれど。意図的に殺しちゃうんじゃないことにしました。でもそれを隠蔽するので、犯罪になるという。それでも、それを隠蔽する、台風の日に川に落として流しちゃう場面を書いた後、もうご飯も食べられないくらい手が震えちゃって、自分が人を殺したみたいな感じだったの。
それなのに、『なかなか暮れない夏の夕暮れ』の中で、主人公が読んでいる本の中のこととして書いたら、喉を掻っ切るといったこともガンガン書いちゃって(笑)。血しぶきとか、全然平気で書いていました。自分で書いているのに、よその人が、北欧の人が書いた本の中の話だとして書くと全然平気なんだなってことが不思議でした。