作家の読書道 第217回:乗代雄介さん
2015年に「十七八より」で群像新人文学賞を受賞して作家デビュー、2018年に『本物の読書家』で野間文芸新人賞を受賞、今年は「最高の任務」で芥川賞にノミネートされ注目度が高まる乗代雄介さん。たくさんの実在の書物の題名や引用、エピソードが読み込まれる作風から、相当な読書家であるとうかがえる乗代さん、はたしてその読書遍歴は?
その5「塾講師時代の読書」 (5/6)
――他にも、田中慎弥さんや綿矢りささん、村上春樹さん......挙げたらきりがないのですが、サリンジャーやカフカの『失踪者』のように、よく再読しているものってありますか。
乗代:全集で何周もしたのは、カフカと宮沢賢治。本になっていない書簡や日記目的が多いですね。全集じゃないけれどサリンジャーは読んでいます。
――読書メーターって、感想も書けますよね。
乗代:僕はまったく書いていません。感想はブログにいくつかあるぐらい。でも、まあ、写しているものを読み返すと、その時の感覚が甦ったりします。
――読むのははやいんですか。
乗代:そんなこともないんですが、それしかしていないんで。人間関係が無いので。
――小説の新人賞への投稿を始めるのはいつくらいからなんですか。
乗代:最初、たぶん、大学の後半の頃だったかに1回「文藝」に出して、次が「群像」で、それで受賞しました。
――「十七八より」で群像新人文学賞を受賞したのが2015年、29歳くらいの頃ですよね。では、最初に応募してから次に応募するまでに、ずいぶん間があきましたね。
乗代:どうしても小説家になるぞと投稿するような感じではなかったですね。ブログで書いているうちに、自分で書いたものが小説になったという感覚があって、やっと二回目。もともとブログに発表して、シリーズで続けていこうかなあと思っていた短篇を膨らませて書いたんです。
――あ、「十七八より」の主人公の阿佐美景子を主人公にしたものを、その頃からシリーズ化するつもりだったんですか。先日芥川賞の候補になった「最高の任務」や、『本物の読書家』に収録されている「未熟な同感者」も阿佐美景子の話ですよね。一人の人の人生の長い時間のある時期を切り取る、という書き方をしていきたかったのですか。
乗代:そうですね。あとは、その「ある時期」を著者の現在にするというのが一番、自分としては納得のいく描写ができますから。それはブログのタイトルにも関係するキンクスというバンドの影響かもしれません。レイ・デイヴィスというフロントマンのことが中学生の時からすごく好きで。全部聴いてきて、創作の姿勢とか、世間の見方みたいなものはこの人に学んだと思っています。『エックス・レイ』という自伝は、近未来の老いたレイ・デイヴィスに対して記者がインタビューしながら書いているという形式なんです。未来の人物が過去のことを思い出したことを著者として今書くというのは誠実だと思います。それを読んだのは中高生の頃で、自分が「十七八より」を書き始めた時に「あ、ここに戻ってきたな」と思ったのを憶えています。
――乗代さんの作品は、主人公が書いている日記や手紙だという形式ですよね。なぜその文章が書かれているか理由がある設定にしているのは、その影響でしょうか。
乗代:他にも沢山の影響はありますが、間違いなくその一つです。そうしないと書いている時の自分の感覚が分からなくなるというか、恥ずかしくて。
――ご自身は日記はつけていますか。
乗代:時々書いたり書かなかったりだけど、いろいろ書いているものが混ざってきちゃったので、「これは日記だ」という感じでは書いていないですね。
――そういえば、デビュー作の「十七八より」では世阿弥に言及されていますが、この膨大な読書リストのどこかにあるんでしょうか。
乗代:どこかにあるはずです。「十七八より」でいうと、浄土真宗の「妙好人」の概念も意識していました。お坊さんでもないし自分で布教したりはしないけれど、麗しい信仰を持っていて後世に残る在野の念仏者ですね。それを紹介している鈴木大拙の『妙好人』という本を大学の頃に読んで。禅に興味のあったサリンジャーからの繋がりですかね。結局、マジでやるというのは、発信して反応を見て、みたいなものじゃないよね、自然にそうならない人が一番偉いよね、と。阿佐美景子の話で、叔母を一番上に置くのは、たぶん、こういう本を読んできたからです。
――ああ、景子の叔母さんはものすごい知識人ですが、自分で何か残すことなく亡くなってしまっている。
乗代:自分で考えた何か確固としたものがあって、でもそれを人に何か言ったり見せたりする時間も考えもない、みたいな人に惹かれるようになったんです。それもあって、小説を書いていても「これを誰かに見せたがってるのか?」って気持ちになっちゃうんですよね。作中の主人公が何か目的をもって書いていないと、僕自身、誰か、不特定多数の読者のために書いているような感覚がついて回ってきて不安になる。
――なるほど。そう考えると、叔母さんというブッキッシュで知的で、でも世の中に何か発信することなく亡くなった存在が先にあり、身近なところでその人を見ていた存在として阿佐美景子が生まれたわけですか。
乗代:そうですね。叔母さんのような、いわば妙好人は何も残さないけれど、何を考えていたのかを自分は知りたいし、それを書きたい。阿佐美景子という近しい第三者の一人称を設定しないと、その不明を知りたい、書きたいという思い自体は描けないような気がします。自分でもまだ分からないことに、読んだり考えたりするなかで近づいていくんだというのは、最初にものを書き始めた時から固まっていました。
――真の主人公は叔母さんなんですね。
乗代:サリンジャーでいうとシーモアですね。書き手の自分よりも上の存在を書きたいけれど、上だということを定めると、下の自分には永久に書けないことになる。そうなった時にどうするのか、という手をあれこれ講じているのかな。
――その時に、阿佐美景子という女性にしたのはどうしてですか。
乗代:男だと自由が効かないというか。自分とのズレ、どうにもならないしわからない部分を設けないと、身動きがとれなくなる気がするんですよね。性別というのはどうでもいいけれど、どうにもならない。文体ではそれを意識したくないけれど、作中の人物としては意識しないわけにはいかない。ということで、書き手である自分は男性で語り手である主人公は女性という形に軟着陸するのかもしれません。山本直樹さんのようなシーンも書きたいし。
――あ、そうか。阿佐美景子って、どの話でも男性から性的な目で見られるというか、ちょっとセクハラに遭いますよね。え、あれは山本直樹さんの影響?
乗代:そういう場面を書きたいという欲は、完全にその影響だと思います。
――青木雄二さんの影響は関西弁のおじさんと先ほど聞きましたが、じゃあ、いがらしみきおさんは?
乗代:ああ、実は全部の話に通底するだろうと思って、今は手に入りづらい本を持ってきたんです。(と、本を取り出す)
――『IMON(イモン)を創る』。いがらしみきお著。アスキーから出ていたんですね。
乗代:当時のことは知りませんけど、「EYE-COM(アイコン)」というパソコン雑誌に連載していたものです。この頃、いがらしさんがパソコン通信にすごくハマっていて。「IMON」は「イモン」と読みますが、日本発のOSであるTRONのパロディですね。人間の生き方を、パソコンやネットワークと関連付けさせながら書いたものです。「IMON」が何かというと、「いつでも」「もっと」「面白く」「ないとな」。そういうふうに生きるにはどうしたらいいか、という内容で、ものすごく影響を受けました。ほとんどの部分を書き写しました。
――(手に取りぱらぱらとめくりながら)1992年11月3日発行なんですね。って、これめちゃくちゃ鉛筆で線を引いてますね。上の角を折っている箇所も多いですが、ちゃんと同じ角度でピシッと折られていますね。
乗代:2冊持っていて、もう1冊は更の状態です。線を引いたり折ったりするのはよくします。最後まで読んでひとつも折った箇所や写すところがなかった本は売ります。
――四コマ漫画も盛り込まれていて、面白そう。ちょっと読みますね。「いや、私はどうでもいいじゃないと批判をしているのではない。大概のことは本当にどうでもいいのだから、それは正しいことなのである。問題は、このままでは世の中はどうでもいいことばかりになってしまうのではないかという、3歳児的な恐怖感である」。なるほど。
乗代:「我々は、作品に対する芸術家のように、熱く、そして醒めながら人間関係に接さねばならないだろう」と書かれたのが約三十年前で。ちょっとすごい本なので、ずっと読み返しています。
――こうして折ったり線を引いたりした部分を、読み終わった後に清書的な作業としてノートに書き写すのですか。
乗代:書きたい時は先に書いたりもしますが、結局書き写していないものが大量に溜まっているので、その中から気分で書き写す本を決めます。今書いているものの関連とか。