『リプラールの春』玉置保巳

●今回の書評担当者●流水書房青山店 秋葉直哉

『リプラールの春』
玉置保巳

 帯の背の部分に「ドイツ紀行」とあったから、棚から抜いて取り出してみたのだと思う。手にとってみるとやはり帯に「夫婦でドイツ留学した語学教師のドイツ紀行」とあって、それで、それだけで買うことに決めていた(編集工房ノアだしな、などという思いもあっただろう)。

 玉置保巳という名前はどこかで目にしたような覚えがあったのだけれど、そのときは思い出すことができなかった。買ってはみたものの、部屋の床の雑多な本の山のうえに積まれたまま、買ったことすらいつしか忘れている。そんな状態のまま数年はたったのだと思う。再会の契機は突然やってくる。古本屋で、1965年に刊行された思潮社の板倉鞆音訳編『ケストナァ詩集』(思潮社)をみつけたのだ。

 この「現代の芸術双書」のシリーズは『エリオット詩集』も持っているけれどどちらも表紙に著者の顔が素敵にあしらわれている。『バシュラール詩論集』や『ボンヌフォア詩集』なんて見つけたらすぐに買ってしまうのだけれど(絶対いい顔をしているに決まっている!)。

 それはさておき『ケストナァ詩集』。こちらは背表紙が陽に焼けて「ケストナァ詩集」という文字は消えかけている。それでも探しているのは「板倉鞆音訳」だったのだから目にした途端すぐにそれとわかった。この本を探していたのは、山田稔『八十二歳のガールフレンド』(編集工房ノア)のなかの一篇「詩人の贈物」を読んで以来のことで、もう5年くらいもまえのこと。

『ケストナァ詩集』を手に入れることができて嬉しかったので、久々にその「詩人の贈物」を読んだ。あっ、と思う。板倉鞆音訳の『ケストナァ詩集』が出てくることは覚えていたのだけれど、同じ文章のなかに玉置保巳も出てきていたのだ。それも板倉鞆音や天野忠の友人として。しかも山田稔が『リプラールの春』について書評を書いたこと、その次に出した詩集『海へ』の表題作を富士正晴がほめていたことなど。玉置保巳こそが、この散文の主役だったのだ。

 ぼくはいったい何を読んでいたのだろう、と自分の馬鹿さ加減にあきれながら、以前買ったはずだと本の山のなかから『リプラールの春』を探し出してようやく読んだ。これが素晴らしい。山田稔、杉本秀太郎、村上菊一郎、矢内原伊作などにひけをとらない美しく楽しく儚い旅行記だった。山田稔が書いているように後半部の「私と妻とロクの話」(ロクというのは飼い犬の名)もまた味わい深い。

 まだほかの本も手に入るのだろうかと注文してみると、同じく編集工房ノアの『ぼくの博物誌』と土曜美術社出版販売の『玉置保巳詩集』は在庫があった。さっそく読む。その散文詩には、まるで小さな夢からまた別の小さな夢へと飛び移っていくような軽やかな美しさがあり、それが全篇をとおして貫かれていた。もし、少しでも興味を示してくれる方がいたならば、「ほら、読んでごらん」とでもいうように「Schau mal(シャウ・マール)!」といってこの本を、玉置保巳の本をすすめたいと思う。

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流水書房青山店 秋葉直哉
流水書房青山店 秋葉直哉
1981年生まれ。新刊書店と古本屋と映画館と喫茶店を行ったり来たり。今秋ニュープリントでついに上映されるらしいロベール・ブレッソンの『白夜』を楽しみにぼんやりと過ごす日々。