『ここは私たちのいない場所』白石一文

●今回の書評担当者●HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代

 読み終わったあとに、いったい何が書かれていたのかと思い返して、ぼうっとしてしまう。
 白石一文の作品を読んだあとはいつもそう。
 今作はとくに。

 小さいころ幼い妹を亡くした経験を持つ芹澤は大手食品メーカーの役員。
 順調に会社員人生を送ってきたが、結婚はしていない。ある日、芹澤は鴨原珠美という元部下と再会し、関係を持ってしまう。それは珠美の策略であったにもかかわらず、彼は地位ある会社を辞職に追い込まれる。しかしなぜか芹澤はそれを拒まず受け入れた。そしてその後彼女と会う時間は、どこか諦めたような芹澤の人生に色彩をもたらし始める...。

 芹澤は亡くした妹のことを半世紀近くが過ぎた現在もずっと心に遺したままで、その当時親にも慰めてもらえなかった寂しさをいまだ引きずっている。
 珠美もまた母子家庭で育ち、その後形ばかりの結婚をしたが、夫婦の信頼関係は崩壊し、心の隙間を埋め切れない。
 大事な人をなくしてしまった経験は、得てして自分を責めがちにさせてしまう。 また『もうこれ以上失いたくない』という思いから、なるべく所有することを避けようとする。

 運命とかめぐり合わせとか、よく耳にする言葉ではあるのに、私たちはふだんそのことを意識せずに生きている。突然の災害や他人の病気、世間の事件事故に対しての反応は早いが、自身が当事者になるかも知れないという切羽詰まった想像力はさほどない。何か自分の身に降りかかった時に初めて、起こったことの大きさと現実に初めて愕然とするのだ。

 芹澤は会社を辞め、かつて付き合った相手の妊娠や、親友の死、そしてまた別の友人の身に起こった不思議な出来事を聞き、その後の身の処し方を探るうち、自分にとって本当に大切なものはいったいなにかと模索し始める。

 白石氏の小説は、男と女・生と死、そして運命とは?という問いがテーマに尽きる。今作もテーマこそ変わらないが、敢えて説明しない、書き切らないことでよりリアルな、より深い味わいになっている。もはや肝心なことを声高に叫ばなくとも、通読してみてじんわり自分の中に不思議な熱が備わっていることに驚く。だからいつだって、その謎そのものを解き明かしたいと、また白石氏の小説を読むのだ。

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HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代
HMV & BOOKS TOKYO 鈴木雅代
(旧姓 天羽)
家具を作る仕事から職を換え書店員10年目(たぶん。)今は新しくできるお店の準備をしています。悩みは夢を3本立てくらい見てしまうこと。毎夜 宇宙人と闘ったり、芸能人から言い寄られたりと忙しい。近ごろは新たに開けても空けても本が出てくるダンボール箱の夢にうなされます。誰か見なく なる方法を教えてください。