『冬虫夏草』梨木香歩

●今回の書評担当者●丸善津田沼店  酒井七海

 12月のはじめ、友人らと白川郷へ行った。
 ちょうどその2、3日前から雪が降り始め、古い小さな郷は真っ白い雪ですっぽりとおおわれていた。
 世界遺産であり、世界中からたくさんの人が訪れるその小さな郷はひっきりなしに観光バスが出入りし、人々が行きかっていたにもかかわらず、音だけが消えた世界かのように静かだった。
 とにかく寒くて、寒くて、凍えていたわたしたちは暖をもとめ入れそうな建物に次々と飛び込んでいった。

 それはとある民家を見学していたとき、本当に偶然目に飛び込んできた。
 壁に貼ってあった標語のようなポスター。どこかの僧侶が書いたもののようだった。
 そこにはこう書いてあった。

「人間だけがありのままを忘れて生きている」

 そうだ。その通りだ。
 わたしたちは裸で生きることを恥ずかしいと思うちゃちな知識を身につけ、規則を身につけ、常識という名の鎧を身につけて生きている。
 草や木や生き物たちは、そんなことは意に介さず、みんな堂々と立派なのに。

 旅行にはいつも本を持っていく。
 いや、旅行じゃなくても本はいつも持ち歩いているのだけど。
 この日持ったのは、梨木香歩の新作『冬虫夏草』だった。
 前作『家守綺譚』よりほぼ10年を経て、新進文士(かけだしものかき)綿貫征四郎の日常がまた読めるのだ。

 ページをめくってすぐにのめりこんだ。
 今回家守綿貫くんは、家を離れ山へ行く。ゴローの姿が見えなくなったのだ。
 ひと月くらいならいつものことだけど、今回は半年も姿を見せない。いくらのんびりの綿貫くんでもさすがに心配になるもんだ。
 いつも掛け軸から出てくる高堂もとんと出てこなくなった。
 何かが起きている......らしい。
 でも元来悩みや心配事を継続させることができないたちの綿貫くんは、あまり深くは考えない。ただゴローを探しに。それだけのために足をはこぶ。

 途中出てくるのは様々な植物、カワウソの血が流れているらしい長虫屋、河童、イワナの夫婦、赤龍......悲運にも命を落としてしまった妊婦の幽霊。

 そういうものがふつうにいた時代に想いを馳せる。
 どういったら信じてもらえるか。
 とにかくわたしは信じている。
 そういう時代はたしかにあった。
 それらは小川のせせらぎの中にたつぷくぷくとしたあぶくのように、木々の緑の隙間できらめく、あわい光のように自然に存在していた。

 わたしはその片鱗たちをかつての自分の旅の最中に見ていた。
 満点の星空の中、嘘みたいに光だした蛍の中のいくつかは本当の小さな星らしかったこと。とある島に向かう途中の海の上で見た神様たちの行列。茂みの中に隠れていく直前に見たキツネのニヤニヤ笑い。
 大概は夜にその片鱗が生きていた。

 この本を持って来たということが、とても偶然とは思えなかった。
 わたしたちはいつからありのままを忘れたんだろう。
 見えなくなったのはそのせいだと思えた。
 それをちょっと悲しく思うと同時に、戻れやしないやとも思った。

 だけど、大丈夫。
 この本があれば。

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丸善津田沼店  酒井七海
丸善津田沼店  酒井七海
書店員歴やっと2年の新米でございます。本屋に勤める前は、バンド やったり旅 したりバンドやったり旅したりして、まぁようするに人生ぶらぶらしておりました。とりもどすべく、今は大変まじめに働いております!本を読む ことは人生で 2番目に好きです。1番目は音楽を聴くことです。音楽と本とときどきお酒があればだいたい幸せです。