『絹の変容』篠田節子

●今回の書評担当者●八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明

 映画『シン・ゴジラ』が大ヒットしている。私も封切直後に観て、凄いと思った。畏怖すべきゴジラの圧倒的な存在感、緻密に作り上げられた迫力ある映像、政府・自衛隊の対応のリアルさなど、見所が満載なのだが、とりわけ登場人物たちのキャラクターが、個性的ながらどこか既視感があって親しみやすく、印象に残る。

 中でも、ネット上を中心に人気を集めているのが、市川実日子演じる尾頭ヒロミだ。「環境省自然環境局野生生物課長補佐」という役職で、ゴジラの出現時からその生態を正確に指摘し、政府のゴジラ対策チームである巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)に所属する。ぼさぼさのショートカットにすっぴん顔、無表情で早口というマニア風のキャラクター。こういう生物マニアでどこかクールな女性、かなり昔に何かで見たことがあるな...と思いつつ全然思い出せなかったのだが、このあいだようやく気づいた。

"格別醜いというわけではないが、寂しい顔というのがある。色でいえばモノトーン、およそ、肉感とか色気とかいうものとは縁のないような......。(中略)「有田芳乃です。」/女は、低い声で言ったきり、頭を下げることすらしなかった。無造作に分けた髪が、青白い頬に落ちて、さびれた職場の雰囲気が身体中に染み込んでしまっているように見える。"

 尾頭ヒロミと見まがうこの描写の芳乃という女性は、医薬品メーカーで蚕の研究をしていたが成果を出せず追い出され、その後八王子の繊維開発センターで研究員をしている。国家規模で潤沢な予算が使える尾頭ヒロミが対決するのはゴジラだが、巨災対とは正反対な「さびれた職場」の有田芳乃が八王子を舞台に対決するのは、自らが品種改良して生み出した凶暴な肉食蚕だ。

 小説のタイトルは、篠田節子『絹の変容』(集英社文庫)。ただし主人公は芳乃ではなく、長谷康貴というアラサー男だ。彼はある日、祖母の形見の、虹色に輝く絹織物を見つける。八王子ではかつて織物産業が栄え、康貴の家も以前は絹織物メーカーだった。現在の家業である包帯メーカーの仕事にあきたらない康貴は、その特殊な絹に心を奪われ、何とか商品化できないかと、祖母の実家である山梨の某村に向かう。その山中には、特殊な美しい絹となる山繭があった。蚕を手に入れた康貴のパートナーとなるのが芳乃だ。野心ある青年実業家の大野に、蚕の飼育棟の建設費を出資させ、康貴は芳乃に蚕の量産をさせる。

 特殊な植物しか食べない蚕を、鶏肉を食べるように改良することに成功した芳乃だが、肉食蚕が生みだす絹糸は、アレルギーをもつ人間を死に至らしめる恐るべき物だった。飼育棟で蚕に触れた康貴の妻は死亡する。絹糸から特殊な美しさの絹織物は出来たが、それで作った白無垢の打掛を着たファッションモデルは即死してしまう。さらに増殖した肉食蚕が八王子の街をパニックに陥れる。右往左往する康貴を尻目に、あくまでクールな芳乃は頼もしい。

 篠田節子は最新作の『竜と流木』(講談社)に至るまで、しばしば生物と人間の関係をテーマにしている。お会いする機会があったら、ぜひ『シン・ゴジラ』の感想もうかがってみたいが、デビューの本作で、すでに現代人のもつアレルギーと自然との対立がモチーフとされ、短いながら読みごたえはたっぷり。後年の、読んでいると入りこんでくるような文章の巧さはまだないが、すでに充分な面白さとテーマ性を確立している。

 久しぶりに読んでみると、劇中でほとんど笑わない尾頭ヒロミに比べて芳乃はたまに笑うし、なによりマッドサイエンティスト的なのめり込みぶりが怖ろしすぎて、ちょっと印象が違うところもあった。しかし尾頭ヒロミ好きの方にはぜひ読んでほしい一作だ。

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八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明
八重洲ブックセンター八重洲本店 内田俊明
JR東京駅、八重洲南口から徒歩3分のお店です。5階で文芸書を担当しています。大学時代がバブル期とぴったり重なりますが、たまーに異様に時給 のいいアルバイトが回ってきた(住宅地図と住民の名前を確認してまわって2000円、出版社に送られた報奨券を切りそろえて1000円、など)以 外は、いい思いをした記憶がありません。1991年から当社に勤めています。文芸好きに愛される売場づくりを模索中です。かつて映画マニアだった ので、20世紀の映画はかなり観ているつもりです。1969年生まれ。島根県奥出雲町出身。