『逃避めし』吉田戦車

●今回の書評担当者●リブロ池袋本店 幸恵子

 文章を書くのが苦手である。

 お題が決まってしまえば何とかなるのであるが、決まるまでが難しい。しかも切羽詰まっている状態にならないと腰があがらないという厄介な性格でもある。今も、この「横町カフェ」の原稿を書きあぐねていることに己のことながらハラハラしている。しかも締め切りがあることでもあるので、そう易々と先延ばしにも出来ない。

 こんな時、人は何故か全く無関係のことをしたくなってしまう。なにも、今やらなくてもいいだろう、ということに手を出してしまう。それが自分を追い込んでしまうことになるのを分かっているのに、である。それをひとは逃避という。が、しかし、逃避できるからこそ現実に立ち向かうことも出来る。なんてのは、都合の良い解釈だろうか。

 漫画家、吉田戦車さんの『逃避めし』(イースト・プレス)は、「シメキリ迫る非常時に、なぜか料理を作ってしまう」日々を綴った料理エッセイである。

 いやあ、その逃避っぷりの、なんと見事なことか。駅弁大会に仕事で行けなかったという理由で自作駅弁を作るはまあよいとして、加えて駅弁よろしく包装紙=パッケージまでデザインしてしまう始末である。まるで逃避=料理をすることが、逃避したくなるもの=仕事よりも優先され、あたかも真の目的になっているような錯覚にさえ陥る。実際、あとがきに「自分一人だけの台所が欲しい」と書いてあるのを読むと、やはり逃避が先なのかとも思えなくもない。が、その両方、逃避も現実も絶妙なバランスの中で共存していることがこのエッセイの魅力のひとつである。片方だけじゃダメなのだ。

 さて。本書は料理エッセイでもあるので、さまざまな創作料理が登場している。レシピは自由奔放、しかも妙に美味しそうなのだな、これが。が、それらは「今作る必要がない」感たっぷりの、己の欲を満たすための料理であることを忘れてはいけない。「チビ太のおでん」や「『夕焼け番長』の納豆ごはん」などは、おそらく今作る必要はないメニューである。

 そして、これらの料理は、基本、己が食べることを目的としている。そう、自分のために作るのだ。私はこのエッセイを読んでいて、食を準備することは、誰か他の人に食べてもらうということも無論あるだろうが、何より自分が食べるため、自分の身体を守るためでもあるという、当たり前のことに気付かされてしまった。それを吉田さんはエッセイの中で「食う力」と言っている。適当で良いから、基本をおさえれば自分の身を守るシンプルな食事は自分でまかなえる。そんな力のことである。
 
 さあ、わたしも、なにか作って食べようではないか。
 それが逃避か否か、自分ではわからない。

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リブロ池袋本店 幸恵子
リブロ池袋本店 幸恵子
大学を卒業してから、大学の研究補助、雑貨販売、珈琲豆焙煎人、演劇関係の事務局アシスタントなど、脈略なく職を転々としていた私ですが、本屋だけは長く続いています。昨年、12年半勤務していた渋谷を離れ、現在は池袋の大型店の人文書担当。普段はぼーっとしていますが、自由であることの不自由さについて考えたりもしています。人生のモットーはいつでもユーモアを忘れずに。文系のハートをもった理系好きです。