日常学事始

『日常学事始』は書籍になります。

ここちよい日常って何だろう? 東京・高円寺暮らしのライターが自らの経験をもとに綴る、 衣食住のちょっとしたコツとたのしみ。 怠け者のたけの快適コラム集。
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第1回 まずはお茶から

 たまに一人暮らしをしている若者から自炊について相談を受ける。
 料理が趣味という人ならともかく、いきなり一日二食か三食、自炊するのはむずかしい。なぜむずかしいのかといえば、レパートリーが少くて続かないからだ。
 ひとり分の料理は食材をつかいきるのもたいへんである。たいてい多めに作ってしまい、同じものを食べて続けることになる。それで飽きて、だんだんやらなくなる。

 というわけで、いきなり自炊に挑戦するより、まずはお茶からと提案する。お茶は飲まない、嫌いだという人もいるかもしれませんが、それは無視します。

 上京して二年くらいの間、わたしもペットボトルのお茶を買っていた時期がある。二リットルで百五十円くらいかな。
 自分でパックのお茶をいれたら、二リットルで十円もかからない。安いのだと五十袋入り(一袋一リットル)が百五十円くらいで売っている。ゴミも減らせる。

 お茶を自分で作るというのは、倹約のためだけではない。毎日、お湯を沸かし、飲み物を作る。最初は面倒くさくても、そのうち作ることが当たり前になってくる。そういう習慣を身につけることが、自炊生活の第一歩になるのではないか。

 学生時代、伊豆の知り合いの家に行ったとき、すごくおいしいお茶を出してもらったことがあった。どこのお茶かと聞くと「ふつうに近所のスーパーで買ったお茶だよ」という。帰りにスーパーによって、同じお茶を買って、家で飲んでみたのだが、まったく味がちがう。
 わたしは「これはきっと水がちがうせいだ」とおもった。それで富士山のけっこうおいしい水みたいなものを買ってきて、お茶をいれてみたのだが、どうも何かがちがう。その何かがわからない。

 その疑問がとけたのは十年後だ。

 伊豆の友人は、毎日お茶をいれて飲んでいた。何も考えなくても、ちょうどいいお茶っぱのかげんやむらし時間が身についていた......のだとおもう。お湯を一気にいれるかゆっくりいれるかでも味は変わる。
 毎日、自分でお茶をいれるようになって、しだいにわかってきた。

 パックのお茶づくりのコツは一日分ずつ作ること。最初に少量のお湯で三十秒くらい蒸らす。お茶のいれ方の説明には「パックをとりだす」と記されているが、わたしはそのままいれっぱなしにしている。一日で飲みきるのであれば、問題ないとおもう。ちなみに、つかいおわったパックは油ものを落とすときに便利です。
 お湯の温度は、麦茶やほうじ茶なら熱湯、煎茶は八十度前後――といわれているが、そのあたりは各自好みでいいだろう。家事全般にいえることだが、厳密主義は長続きしない。適当でイージーなほうがうまくいくことが多い。

 冬のあいだは、お茶を作ったら、半分は保温用の水筒に入れ、半分は常温でそのまま飲む。夏は、お茶の入ったポットを冷水+保冷剤で冷やして、冷蔵庫に入れる。

 近所のお茶屋さんで麦茶とほうじ茶のパックを買っている。ちょっと割高だけど、それでも一リットルあたり十円以下ですむ。
 同じお茶ばかりだと飽きるので、百円ショップなどでお茶だしパックを買って、たまに自分でブレンドしたお茶を作ることもある。
 よくやるのは玄米茶+ほうじ茶。ちょっと苦手な味や香りのお茶をもらったときは麦茶とブレンドする。

 日々お茶をいれ続ける。単調な作業が生活のリズムを作る。お湯をわかして、ポットにお茶を作っていると、乱れがちな生活がすこし落ち着くようにおもえる。

 ひとり暮らしの時期を経て、今は妻とふたりで暮らしている。毎日同じくらいお茶を飲んでいるのに、かならずといっていいくらい妻はあと一杯あるかどうかという微妙すぎる量をポットに残す。

 わたしは最後の一杯を飲み、いつもポットを洗い、いつも水道水を濾過し、いつもお湯をわかし、いつも次のお茶を作る。

 いつも最初の一杯目を妻が飲む。