日常学事始

『日常学事始』は書籍になります。

ここちよい日常って何だろう? 東京・高円寺暮らしのライターが自らの経験をもとに綴る、 衣食住のちょっとしたコツとたのしみ。 怠け者のたけの快適コラム集。
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第2回 すべてがDになる

 タイトルの「D」とは何か。
 答えは「D」=「だし」です。
 いちおう「D」よりもスープの「S」にしたほうがいいのではないかと二日くらい悩んだのですが、どっちでもいいという結論に至りました。というか、わざわざ「D」と略す意味もありません。

 かつてのわたしは、だしといえば「カツオ節か昆布か」くらいの知識しかなかった。あごだしのあごが飛魚ってことも知らなかった。自炊をはじめたころは、市販の粉末のだしをつかっていたし、今でもつかっている。

 昔、読んだ向田邦子の小説かエッセイにこんな話がある。

 夫が単身赴任して、妻に教わったレシピ通り、料理をつくってみたものの、何か足りない。
 妻に聞くと、実はいつも最後の最後にだしの素みたいものを入れていたと恥ずかしそうにそうに告白する。ずっと夫にそのことを隠していたんですね。

 わたしも料理をするようになって以来、粉末だしのお世話になりまくっているのだが、そのうち(ひまだったから)かつお節や昆布やしいたけなどでだしをとるようになった。
 それでも最後の微調整(なんか味が足りないとき)で、粉末だしや濃縮タイプの白だしをつかう。いや、ホント、便利っす。最近、沖縄そばの濃縮つゆが万能であることを発見した(ただし、あまり売ってないのが難点)。

 貝類、魚全般、鶏ガラ、肉、豚、野菜......何でもだしになる。市販のものでもあごだし、いりこだし、のどくろだし、ほたてだしなど、いろいろある。中華や洋風もいれたら、どのくらいあるのかわからない。

 だしのおもいでといえば、わたしの生まれ育った田舎ではホッケが食卓に出ることがなかった。そんな名前の魚を知らなかった。十九歳で上京して、チェーンの居酒屋ではじめて食って、「こんなに安くてデカくてうまい魚があったのか」と感動した。
 それでスーパーで買って家で焼いてみたのだが、かなり大きなホッケでひとり分にしては多いし、なんとなくしょっぱかった。そこで半分だけ食って、残りはほぐし身にしてだしにつかった。
 いけるじゃないか。
 干物はあるていど保存がきくが、それでも冷蔵庫で一週間くらいが目安だ。多めに買ってしまうと、「今日も焼かなきゃ」と消費に追われる。
 だから残った魚は、だしにできるとわかったのは「自炊革命」といえるくらいの発見だったのです。
 以来、魚を料理するとき、だしにするためにわざと残すようになった。そのうち魚のほぐし身をラップにくるんで、冷凍する技もおぼえた。

 わたしがだしを研究するようになったのは、子どものころよく行ったうどん屋の味を再現したかったのも大きな動機だった。いわゆる関西風というか、カツオと昆布がベースであと柚子が入っていたことはおぼえている。なんとなくそれっぽい味にはなる。しかし何かが足りない。
 カツオをサバに変えたりサンマに変えたり、いろいろ試みていたのだが、ふと芋焼酎(たまたま料理酒を切らしていた)を入れてみたら、かぎりなく自分の記憶の味に近いものができた。
 行き詰まったときは、発想の転換が大切だということをだし作りから学んだ。

「D=∞」
 だしは掛け合わせしだいで無限の味が作れる。かならずしも、高級かつ稀少な食材をつかわなくても、うまくだしさえをとれば、そこそこおいしいものが作れる。まさに「だしは料理の決め手」なのである。

 よくある失敗としては、あっさり味のつゆに、ニラとかニンニクとか納豆とか、癖の強い食材を入れると、だしが負けてしまう。

 もっとも、そうした失敗はリカバリー力を上げるチャンスである。

 とりあえず、わたしはごま油(もしくは沖縄そばの濃縮つゆ)でごまかすことが多い。
 だが、ときには失敗にめげず、生きているあいだには二度と再現できそうにない奇跡のカレーを作ってやろうというくらいのチャンレジ精神も必要と考えている。
 つい最近も、豚骨ラーメンを作っていたら、(途中、記憶喪失)いつの間にか幻のカレーができあがっていたことがあった。

 だしの世界は奥が深い。ありきたりな材料でも掛け合わせしだいでオリジナルが作れるし、だしさえよければ、あとは適当にやってもどうにかなる。
 逆に、適当にやるためには、だしが肝心だともいえる。

 でも、どんなにだしに凝ったとしても、そのことを声高に主張してはいけない。いきなり胡椒やニンニクをいれると激怒するラーメン屋の店主のような人にだけはなりたくありません。
 怒るくらいなら「最初から置いとくなよ」と。そんな店に行ったことはないけど、そうおもいます。

 味の好みは、人それぞれであって、隠し味みたいなものは「わかる人にわかればいい」くらいの気持で料理をしてほしいものです。だしと態度は控えめであれ、よき料理人になるための第一歩です。

 わたしも手間ひまかけて作った料理に間髪入れずに豆板醤やマヨネーズをかけられてもニッコリ笑えるような心の広い人間でありたいとおもっています。