第二十六回 近所の鎌倉街道 後編

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  • 『ヤマケイ新書 東京発 半日徒歩旅行 調子に乗ってもう一周!』
    佐藤徹也
    山と渓谷社
    1,100円(税込)
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  • 東京古道探訪 江戸以前からの東京の古道を探る歴史散歩
  • 『東京古道探訪 江戸以前からの東京の古道を探る歴史散歩』
    荻窪 圭
    青幻舎
    4,599円(税込)
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 一九八九年の秋、JR中央線の高円寺に引っ越し、今も暮らしている。最近は散歩が仕事の日々だ(暇です)。高円寺には川がない。いちおう桃園川という川があるのだが、暗渠になっている。家にこもって仕事をしていると、川が見たくなる。川沿いの道を歩きたくなる。

 九月十九日、杉並郷土博物館を出た後、どうするか迷っていた。
 荻窪圭さんの『東京古道散歩』(中経の文庫)の地図を見ると、博物館から大宮八幡宮はすぐ近くだ。同書は「上北沢から大宮八幡宮へ」というルートも紹介している。京王線上北沢駅付近の甲州街道に「鎌倉街道入口」という信号もあるそうだ。
 一日で中野~大宮八幡宮、上北沢~大宮八幡宮は歩けない距離ではないが、この日は無理せず、のんびり高円寺まで歩いて帰ることにする。

 杉並郷土博物館は佐藤徹也著『東京発 半日徒歩旅行 調子に乗ってもう一周!』(ヤマケイ新書)で紹介されてた荒玉水道道路のすぐそばにある。
 郷土博物館入口の信号まで行き、荒玉水道道路から東京メトロ新高円寺駅に向かって歩く。
 水道道路は斜めにまっすぐの道だが、歩いていると斜め感がない。コンパスを見ると、やや北東を針を指している。道に迷う余地が一ミリもない。
 水道道路を歩いていると、行きにも通った善福寺川の済美橋に到着。橋の近くには「水道施設を守るために水道道路では4tを超える大型車両の通行はできません」(東京都水道局)という看板があった。
 何も考えずぶらぶら歩いていたら、三十分も経たないうちに終点のセシオン杉並――青梅街道に着いてしまった。近すぎて拍子抜けだ。
 この日、歩いた距離はだいたい十一~十二キロだった。新高円寺のドトールでアイスコーヒーを飲んで家に帰る。
 家に着いたのはちょうど昼の十二時だった。

 翌日、午前十一時、高円寺駅から永福町行きの京王バスに乗る。バスは住宅街の細い道を通る。松の木二丁目あたりの道は対向車とすれちがうとき、すれすれ(きわきわ)になる。昨日行けなかった大宮八幡宮あたりの鎌倉街道を歩きたい。
 京王井の頭線の永福町駅には午前十一時二十分すぎに到着。片道二百十円。永福町からは大宮八幡宮はすぐだ。永福通りを歩いて、神田川あたりを目指して歩く。
 この日は、傘をささなくてもいいくらいの小雨。気温は二十五度くらい。
 途中、永福稲荷神社と永福寺に寄る。
 十一時四十三分、神田川の永福橋。橋の上の子どもの銅像がマスクをつけている。歩いてすぐのところに中退したが、かつて通っていたことがある明治大学の和泉キャンパスがある。
 永福町からこんなに近かったのか。
 学生時代のわたしは高円寺からJR中央線か総武線で新宿に出て、そこから京王線で明大前駅に出るというルートしか頭になかった。新宿で乗り換えるのが面倒だった。電車はいつも混んでいた。そのうちフリーライターの仕事が忙しくなり、大学には行かなくなった。
 昔の自分に「バスで通え」と教えたくなる。

 神田川沿いの道、下高井戸調節池の工事中だった。神田川流域案内板を見ると、すこし南に行けば玉川上水の遊歩道があることがわかった。予定を変更し、京王線の下高井戸駅付近から玉川上水永泉寺緑地へ。
 遊歩道は甲州街道とほぼ並行している。車の通行量が多い甲州街道より、遊歩道がおすすめだ。何といっても土の道である。遊具もある。地図を見ると遊歩道は「鎌倉街道入口」のあたりまで続いている。

 十二時十五分、昨日歩いた荒玉水道道路を通りすぎる。すこし南に行くと京王線の桜上水駅である。
 このあたりは同じ杉並区でも中央線沿線とは町の雰囲気がちがう。落ち着いているというか、適度に都会で自然が多い。住みやすそう。神田川、玉川上水と散歩コースも素晴らしい。
 しかし小雨のせいか、玉川上水の遊歩道、まったく人が歩いていない。
 ベンチで休憩。甲州街道の上の首都高が見える。遊歩道の終点は京王線の上北沢駅の近くだった。
 十二時三十分、鎌倉街道入口の信号にたどり着く。
 まいばすけっとでほうじ茶とよくばり4種おにぎり海鮮(海老マヨ、明太子、漬けまぐろ、鮭とろマヨ)を買う。目の前を「すぎ丸」バスが通る。「すぎ丸」は杉並区のコミュニティバスである。
 鎌倉街道かもしれない道は車の通行量が多い。道幅も狭い。
 杉並区立塚山公園の中を通り抜け、十二時五十六分、神田川の鎌倉橋。橋のそばには鎌倉街道の石碑と案内板がある。街道に興味を持つ前から、鎌倉橋のことは地図で見て気になっていた。
 鎌倉橋から浜田山鎌倉通り睦会を何も考えずに歩いていたら吉守稲荷神社に到着する。荻窪圭著『東京古道散歩』(中経の文庫)の地図を見たら、荻窪さんのルートは京王井の頭線の西永福駅方面に向って東斜めの道になっている。わたしは隣の浜田山駅に向って歩いていた。気づいてよかった。といってもわたしが歩いたルートも鎌倉街道と呼ばれている。
 鎌倉街道はわけがわからない。遠回りはしたが、西永福駅に到着した。ここから大宮八幡宮まではすぐである。
 十三時三十分、大宮八幡宮に着いた。厄除けか何か、ぐるぐる輪の中を回っている人がいる。ベンチですこし休憩し、善福寺川の和田堀公園を歩く。

 川沿いの道を北西に向かって歩き、青梅街道、東京メトロ丸の内線の南阿佐ヶ谷駅あたりを目指す。
 荻窪圭著『東京古道探訪』(青灯舎)に「阿佐ヶ谷から練馬城へ北上する鎌倉街道」という章がある。

《阿佐ヶ谷パールセンターは鎌倉街道だった》

 この本ではじめて知った。パールセンターはアーケードの商店街でわたしもしょっちゅう高円寺から歩いて買物をしている。
 知らず知らずのうちに鎌倉街道(だったかもしれない道)を歩いていたわけだ。江戸時代には練馬の子の権現(ねのごんげん)に向かう道だったことから「権現道」とも呼ばれていた。パールセンター内には庚申塔もある。

 阿佐ヶ谷から高円寺に帰り、部屋の掃除をしていたら、松本純著『阿佐ヶ谷歳時記 2000-2001』(皓星社)という小冊子が出てきた。今は神保町に移転したが、当時、皓星社は阿佐ヶ谷のパールセンターと中杉通りのあいだにあった。
 ひさしぶりに読むと、こんな記述が......。

《そもそも「中杉通り」の母体は、昔の鎌倉街道の一部分だったようです。駅の南口から出ている浜田山行きのミニバス(すぎ丸)に「鎌倉街道」の停留所がありますし、中村橋から1キロほどの豊島園の近くには、八幡太郎義家が蝦夷地へ向かうときに、戦勝を祈願して植えたとされる天然記念物に指定された欅が現存しています》
 杉並の鎌倉街道のことをいろいろ調べていると、鎌倉時代に建立された寺社がけっこうあることに気づく。

 数日後、西荻窪の古書音羽館に寄った後、善福寺公園を散歩した。
『ピエール瀧の23区23時』(産業編集センター)の「杉並区」の項には善福寺公園と井草八幡宮が出てくる。

《瀧 うん。でもさ、善福寺公園といい井草八幡といい、緑の多いところだな、杉並は。環八はよく車で走ることがあるけど、今までまったく気づかなかった。神社があるのさえ、知らなかったよ》

 わたしは電気グルーブの前身の「人生」というバンドのファンで、ナゴムレコードのソノシートなどもコレクションしていた。わずか数年の音楽ライター時代に、電気グルーブの座談会のテープおこしの仕事をしたこともある。
 今回、井草八幡宮にはじめて来た。こんなところに、こんな神社が......。
 一一八九(文治五)年、源頼朝が奥州征伐のさい、戦勝祈願に立ち寄ったといわれている。
 明治期までは井草八幡宮は遅野井八幡宮と呼ばれていたのだが、善福寺公園の中にも「遅の井の滝」という源頼朝に関係する湧き水がある。善福寺川も遅野井川と呼ばれていたらしい。

 というわけで、新型コロナの影響で遠出ができなかったあいだ、近所の街道を歩きまわっていた。三十年以上暮らしている杉並区内でも知らない場所、歩いたことのない道がたくさんある。
 杉並区には「阿佐ヶ谷文士村」と呼ばれる一帯があるのだが、鎌倉街道と関係していたことが判明し、またしても「文学は街道から生まれる」という自説が証明されてしまった。

 あと話は変わるが、いつの間にか知らないうちに鎌倉幕府の成立は一一九二年ではなく、一一八五年説が有力になっている。
 年代暗記の語呂合わせも「いい国(一一九二)」ではなく「いい箱(一一八五)」作ろう鎌倉幕府に変わった。

 ところが、源頼朝が征夷大将軍に任命された一一九二年こそが鎌倉幕府の成立年にふさわしいという意見も根強く存在しているようだ。
 語呂合わせとしても「箱」より「国」のほうがしっくりくる。
 わたしは一一九二年説を断固支持する。