古書往来座 2/2

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12月28日(土曜)

 池袋駅東口でバスを降りると、交差点に黄色の看板がいくつも掲げられている。年末になるとよく見かける、聖書の言葉を抜粋した看板だ。近づいてみると、看板を掲げているのはこどもばかり。この子たちは将来、年末年始の風景をどんなふうに思い出すだろう。

 12時半に「古書往来座」に到着すると、もう店は開いており、お客さんが5、6人いる。昨日のことを思い出し、お弁当買ってきましょうかと訊ねると、「あ、食べたい」と瀬戸さんが言う。「チキン系が一番良いんだけど、チキン系がなければハンバーグ、ハンバーグがなければ唐揚げ、唐揚げがなければなんでもいい」。チキン、ハンバーグ、唐揚げと繰り返しながら店を出て、参道を歩く。スーパーの軒先には「だて巻」や「ふな甘露煮」と描かれた短冊が飾られていて、花屋には松飾りが並んでいる。いよいよ年の瀬だ。

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 デミグラスハンバーグ弁当を2個買って帰り、瀬戸さんと食べる。測ってみると、ぴったり5分で食べ終えてしまった。

 14時半、武藤さんやってくる。店のパソコンを広げると、瀬戸さんのiPhoneを機種変更する手続きを進めている。瀬戸さんのiPhone5はバッテリーがとっくに寿命を迎えており、携帯できなくなっている。これを年内に機種変更しておきたいのだと瀬戸さんは語る。

「毎年、最終営業日のあとに忘年会があって、来年の目標を皆で決めるんだけど、1年後の忘年会でそれを実現できたかを確認するの。今年の目標に『瀬戸スマホ変更』っていうのがあって、忘年会のときに『これ、まだ変えてないでしょ』って皆に言われたときに、『何のこと?』って新しいスマホを見せたいんだよ」

 15時過ぎ、のむみちさんがいつもより早く出勤すると、瀬戸さんが「ちょっと買い物に行ってくる」と言い残し、そそくさと出かけてゆく。のむみちさんはエプロンを身に纏い、値付けされたばかりの文庫たちを棚に差し込んでいく。棚はすでにみっちり埋まっているけれど、ビニールでパックされた揃い物や、ダブっているものを棚の上にどかしてスペースを作り、そこに新入荷を差し込んでいく。

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「配架するときが一番楽しいんだよね」。のむみちさんが言う。「何が嬉しいって、棚が潤うのが嬉しくて。あとね、映画を観るようになって、職場に対する愛情が芽生えたんだよね。映画を観て、『ああ、これは丹羽文雄が原作だったんだ』って思って出勤すると、棚に並んでるのよ。それって恵まれてるよなーってすごく思うから、足を洗えない。入ってきて嬉しかった原作本はね、ビニールでパックして、そこに映画のタイトルとか監督とか主演の名前を書いたこともある」

 静かな店内に、カタンカタンと音が鳴る。スチールラックに本が配架される音だ。お客さんが来店すると、のむみちさんは「どうもー!」と出迎え、「良いお年を!」と見送る。それを何度か繰り返すうちに、すっかり日が暮れている。番台に積み上がっていた文庫の山が消えた頃に、切貼豆子さん、通称「豆ちゃん」がやってくる。豆ちゃんが来店するのは久しぶりだ。しばらく前に引越したのむみちさんが、「結構便利だよ。西友も24時間営業だから」と、引越し先の感想を伝える。

「ああ、いいね。意外と23時で閉まる西友もあるから」と豆ちゃん。

「だから昨日、帰りに電子レンジ買っちゃった。びっくりするぐらい素晴らしいね。『文明万歳!』って思ったもん。物が温まるって幸せなことだね。今日は何を温めっかなー!」

「最近はカレーとかも、キャノン砲みたいにして温めれるからね」

「え、何それ?」

「レトルトカレーってさ、箱に入ってるじゃん。中の袋は蒸気が逃げるように工夫されてるから、器に出さなくても、箱のまま電子レンジで温められんの」

「すごいね。今まで電子レンジがなかったから、そういうのに目が向いてなかったんだね」

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 話に花を咲かせているところに、買い物を終えた瀬戸さんが帰ってくる。小一時間ほど滞在した豆ちゃんを見送ると、「まめちゃんの口三味線――スタンダップコメディみたいにしゃべりまくる感じ――しばらく聞いてなかったから嬉しい」と瀬戸さんが漏らす。

 今日は最後の通常営業日とあって、常連のお客さんも、久しぶりのお客さんもやってきて、賑やかな夜となった。夜に「古書往来座」を訪れると、お客さんが番台を囲んでいることが多々ある。ただ、お客さんとの距離感は、瀬戸さんとのむみちさんとで違っている。

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「今はちょっと変化してるんだけど、俺はね、『古本大學』のときからずっと友達を探してたんだよ」。閉店後の店内で瀬戸さんが言う。「たとえばコンビニの人が友達欲しいと思ってお客さんに接してたら、すごく良いお店になると思う。だから、昔の僕はずっと演技してて、演技することが大好きで、その演技をお客さんが褒めてくれたんだよ。うちの店は、本を買いにくるっていうより、しゃべりにくる人が多いでしょ。でも、『古本大學』のときは、もっとそういうお客さんが多かった。ただ、その頃は社会全体に金があったから、そういうお客さんも本を買ってくれてたんだよね」

 良い演技をしたい――そう語る瀬戸さんに比べて、のむみちさんはどこまでもナチュラルだ。「だって、演技のつもり、全然ないよ」とのむみちさんが言うと、「のむはさ、西洋の図太い牛なんだよ、俺は繊細な小鳥」と瀬戸さんが言葉を返す。

「ああでも、アメリカナイズされてる部分は絶対あると思う」とのむみちさん。「それはアメリカに行ったからじゃなくて、もともとそうだった。日本人なのにフランクだって、アメリカ人にびっくりされたもん。あと、小さい頃から、大人と過ごすほうが楽だったかも。昔からおばちゃん気質があったんだけど、当時は変に思われてたと思うんだよね。だって嫌じゃん、こんな小学生。でも、この年齢になって、自然体でいるのがだいぶ楽になった。これは不思議な感覚だね」

 瀬戸さんとのむみちさんは「古本大學」(芸術劇場店)の同僚だった。のむみちさんが「古本大學」で働き始めたのが2000年で、瀬戸さんとは20年近く一緒に働いているけれど、「何度辞めてやろうと思ったことか!」とのむみちさんは笑う。でも、辞めなかったんですねと訊ねてみると、「いやー、ここは辞めらんないでしょ」ときっぱり言う。

 気づけば時計の針は22時をまわっていて、外に出していた棚を店内に収納してゆく。瀬戸さんが前野健太さんの「鴨川」を流す。前野さんはシンガーソングライターとしてデビューする前に、「古本大學」(明大前店)で働いていた時代がある。

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「この曲を聴いてるとさ、『社長、聴いてますかー! 前野君が唄ってますよー!」って思うんだよね。前野君と俺は別の店舗だったけど、殴り合いながら店作りをやりたかったな」。そう言いながら、瀬戸さんは宝酒造の極上レモンサワーを呷る。

「あれ? あんた、私の飲んだ?」とのむみちさん。

「どれが俺のか、わかんなくなっちゃった」と瀬戸さんは笑う。番台には極上レモンサワーが何本も並んでいる。

 閉店後の様子を眺めているうちに、気づいたことがある。それは、のむみちさんの表情が営業中と違っていること。これはとても不思議な発見だった。今日の営業中、お客さんが誰もいなくなったタイミングは何度となくあったけれど、お客さんの有無で表情に違いは見られなかった。でも、閉店後の今、のむみちさんの目はちょっと鋭く見える。

 閉店後の棚も、灯りが消えているせいか、営業中とは違って見える。

「この暗闇を見てると、今日を問われるんだよ」と瀬戸さん。「今日ちゃんとやったかどうか、問われてる気がするんだよ。それはね、お客さんに本を手にとってもらえるように並べて、こっちの思惑通りにお客さんに買ってもらえたとか、そういうことじゃない。俺は別に、美しいマジックをやりたいわけじゃないから。なんかね、店は深夜に作られるんだよ。誰もいない暗闇で念みたいなものが店を作ってる」

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「私も閉店後は結構好きかも」。のむみちさんが同意する。「私は暗闇じゃないんだけど、ある程度電気を消した中で、棚を眺めるのは好きだな」

 どれが誰のだかわからなくなった缶チューハイを飲みながら、お客さんは見ることのできない店内の様子を、ひとしきり眺めた。

12月29日(日曜)

 昨日から帰省ラッシュが始まり、東京から人が減っているはずなのに、池袋駅のホームは人が溢れている。西武百貨店の地下を覗くと、お年賀にするのだろう、スイーツ売り場はあちこちに行列ができている。ただ、正月用の惣菜を並べた特設売り場は閑古鳥が鳴いていた。

 12時50分、昨日と一昨日は非番だった退屈さんが店を開ける。棚を外に並べているうちに、のむみちさんがやってくる。

 今日は「古書往来座」の大掃除である。店内は営業せず、外の棚だけ販売する。「準備中」の垂れ幕をかけ、「本日は、店外のみの営業となります。ご了承ください」と貼り紙をする。それでもお客さんが入ってきてしまうので、立て看板で入り口を塞ぐ。

 ほどなくして武藤さん、瀬戸さんがやってきて、大掃除に取りかかる。瀬戸さんは店の外の窓を拭く。武藤さんは、荷物がゴタゴタと積み上げられ、けもの道のようになった流し台前を整頓する。のむみちさんと退屈さんは、番台裏の棚から本をどかしてゆく。あとで元通りに並べられるように、丁寧に区分けして、床に敷いた布の上に置く。

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「すみません、本の買取ってお願いできますか」。30分に一度位、紙袋を提げたお客さんが顔を覗かせる。大掃除をしたのだろう、昨日と今日は本を持ち込むお客さんがチラホラいる。何十冊と持ち込むというよりも、十数冊持ち込んで、「値段がつかなくても、引き取ってもらえたら」と口にするお客さんもいる。

 大掃除を始めて1時間半が経過したところで、「何これ!」と声が響く。けもの道を整理していた武藤さんが発見したのは、「古書往来座」と書かれたプラカードだ。

「ああ、懐かしい!」窓拭きを中断し、メビウスを吸っていた瀬戸さんが言う。「2005年頃に、池袋西口公園の古本まつりに出たとき、八勝堂さん(池袋西口にあった、老舗の古本屋。2018年閉店)が作ってくれたんだよ」

「最初、『往来座』じゃなくて『従来座』になってたんだよね」とのむみちさん。

「そうそう。作り直してもらったんだけど、結局2500円取られたの。それで捨てられなかったんだよ。このとき、初めて古本まつりに出たんだよね」

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 大掃除は続く。作業開始から2時間ほど経ったところで、ようやく番台裏の本をどかし終える。棚を抜き去ると、そこは一面ガラス張りになっている。「古書往来座」は、この窓を塞ぐように棚を配置している。

「ここを塞がずに、外から店内が見えるほうがお客さんが入ると思うんだけど」と退屈さん。

「明るいねえ。全然違う店だよね」とのむみちさん。「大掃除のとき、毎年この作業をやるんだけど、普段と違って外のお客さんと目が合うから、恥ずかしいの」

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 露わになった窓に洗剤を吹きかけて、きれいに拭いてゆく。10分とかからず窓拭きを終えると、棚に本を戻してゆく。すべて戻し終える頃には、また2時間が経過している。それが終わると、最後はワックス掛けだ。

「これが一番嫌な仕事なんだけど、でも、これは最後じゃないとできないからさ」。のむみちさんは床にワックスを撒き、中腰のまま雑巾で拭いてゆく。スパイダーマンみたいだ。ぜえぜえ言いながら磨き終える頃には、18時になっている。手を洗おうと流し台に向かったのむみちさんが、「すごい、広くなってる!」と感動の声を挙げる。

「だろ?」武藤さんは誇らしそうだ。

「走れるよ、これ」とのむみちさん。

「走れねえよ」と武藤さん。

「これなら住めるよね」と退屈さん。

「住めねえよ」と武藤さん。武藤さんの掃除ぶりは目を瞠るばかりだけど、走る、住むという発想はなかった。

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 忘年会は19時からだ。少し時間があるので、缶ビールで乾杯する。今日は第三のビールでもチューハイでもなく、缶ビールのロング缶だ。後片付けをして、忘れ物がないか確認し、シャッターを閉める。皆、「おつかれさま」と口々に言う。店に振り返って、もう一度「おつかれさま」と言う。

 缶ビールを手に、忘年会を開催する店を目指す。例年は明治通りを挟んですぐの「升三」――お弁当の「三升屋」の息子さんが営む居酒屋――で開催しているけれど、今日は日曜日で営業しておらず、今年は池袋西口にある中華料理「蘭蘭」だ。

 路地を抜けると、ライトアップされたビルが見えてくる。瀬戸さんが「これ、うちの本社」と指差すそのビルは、今年の春に完成した西武鉄道の本社ビル、ダイヤゲート池袋である。「このビルの上はデッキになってて、すごく良いんだよ」と瀬戸さん。「これまで、この道はすごく暗かったけど、ビルができて、デッキも開放されてて。その、開いてるってことが画期的なんだよ。このへんの住民からすると、面積が増えた感じがするんだよね」

 予約の時間が迫っていることもあり、皆は瀬戸さんの言葉を気に留めず、店へと急ぐ。皆の後ろ姿を、瀬戸さんは感慨深そうに見つめている。全員揃って飲みに出かけるのは年に一度だ。一緒に飲むことはあっても、誰かが閉店作業をして追いかける形になるので、こんなふうに揃って歩くのは忘年会の日だけだ。

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 瀬戸さんのポケットには、機種変更したばかりのiPhone8が入っている。手元には今年の目標が書かれた紙と、ここ10年の売り上げ推移が記された紙がある。そこに書かれた数字は、ネット通販の売り上げは増えているものの、店頭の売り上げは少しずつ減っている。

 昨晩のことを思い出す。閉店後、僕は瀬戸さんに古本屋を続ける理由を訊ねた。

「まだ、自分がやり尽くしたとは到底思えないからだと思う」と瀬戸さんは言った。「僕の心の中でしか結論は出ないんだけど、その結論がまだ出てないし、これをやり続けたら駄目だとは思わないんだよね。もっとギリギリになったら辞めるかもしれないけど、やれるならやりたいね。そう思えるのは、本を信じてるからだと思う。信じるっていうのは食欲とか性欲とかと一緒で、本能的な欲求なんだと思う。信心が薄い時期も濃い時期もあるけど、そんな本の信者なんだよね」

 皆から遅れて歩く瀬戸さんの後ろ姿を見つめながら、その言葉を反芻する。今年の忘年会では、どんな目標が出るだろう。そして2020年はどんな年になるだろう。