古書往来座 1/2

 「古書往来座」は、池袋駅東口を出て、明治通りを南へ10分ほど歩いたところにある。住所で言えば南池袋だが、副都心線の雑司が谷駅も徒歩6分の距離で、近くには鬼子母神堂もある。30坪ほどの店内には日本文学、海外文学、思想、映画、演劇、音楽、自然科学など幅広い棚が並んでいる。本だけでなく、壊れたタイプライターや秤、大正琴なども陳列されている。

 代表を務める瀬戸雄史さんは1975年生まれ。1995年、「古本大學」(芸術劇場店)でアルバイトを始める。「古本大學」は、吉澤隆社長が創業した古本屋で、東京芸術劇場の店舗の他に、明大前店や経堂店があった。「古本大學」を引き継ぐ形で、2002年に独立。2004年に現在の場所に移転し、「古書往来座」を創業した。

 現在の「古書往来座」では、瀬戸さんの他に、のむみちさんと退屈男さん(以下、「退屈さん」)が働いている。のむみちさんは名画座の上映情報を手書きで書き記した『名画座かんぺ』を発行し、宝田明『銀幕に愛をこめて ぼくはゴジラの同期生』(筑摩書房)の構成も担当している。退屈さんは、2004年に開設した「退屈男と本と街」というブログが反響を呼び、本好きのあいだでは広く知られた存在である。3人が交代で店番しながら、12時から22時まで(月曜だけは18時まで)、年末年始をのぞけば原則無休で営業している。


12月27日(金曜)

 11時50分、開店時刻は10分後に迫っている。「古書往来座」はまだシャッターが降りたままだ。店の脇にまわってみると、一箇所だけシャッターが上がっていて、店内に灯りが見えた。扉を開けると、棚の向こうから「はっち、おはよう」と瀬戸さんの声が聴こえる。開店前に一服しているところだ。煙草の火を消し、シャッターを全部上げて、店の外に棚を運び出す。店の目の前にあるバス停にいたお年寄りたちが、一斉に棚を眺め出す。通りがかる人たちも足を止める。

1-a.jpeg

 外に並べる棚は、昨日の営業時と同じ状態である。にもかかわらず、瀬戸さんは細かく本を並び替える。「歌舞伎の見得切りじゃないけど、本が見得を切るんだよ」と瀬戸さんは言う。「常々棚をタッチすることが大事で、タッチしてないとどうも落ち着かなくて。久し振りに触ったらなぜかそれがすぐに売れるっていう不思議なことがあったりするんだよね」

 この日、東京では最大瞬間風速20メートルが記録され、強い風が吹き荒れていた。瀬戸さんは棚をワイヤーで固定したり、ビニール紐で柱に巻き付けたりしている。「雨なら雨で『棚を出さない』って覚悟が決まるんだけど、風が困るんだよね」。ボヤきながら棚を並べ終える頃には、30分が経過している。「準備中」の垂れ幕を外し、12時20分、開店を迎える。びゅううと風が唸るたび、瀬戸さんは外に顔を向け、様子を伺っている。「ここ5年くらい、風がどんどん暴力的になってる」と語る瀬戸さんは、なんだか漁師のようでもある。

 瀬戸さんが箒がけしていると、イラストレーター・武藤良子さんがやってくる。武藤さんはすぐ近くに住んでいることもあり、頻繁に店に顔を出し、時には店番を手伝っている。武藤さんが鬼子母神の西参道にある「三升屋」でお弁当を2個買ってきてくれたので、瀬戸さんと食べる。シャケと、フライが2枚、それにつくね串がついて500円である。食べ始めて5分と経たないうちに瀬戸さんは立ち上がり、外の棚が倒れてないか様子を見にいく。瀬戸さんのお弁当はもう空になっている。

2.jpeg

 食後に一服すると、数日前の出張買取で入荷したばかりの文庫本の値付けに取りかかる。瀬戸さんが好きな曲を集めたプレイリスト「せとヘビー」が、パソコンからシャッフル再生されている。最初に流れてきたのはRCサクセションの「風に吹かれて」だ。

 たったったっと値段を決めて、最後のページに鉛筆で書き込んでゆく。そんなにすぐに値段を決めるんですねと訊ねると、「今日入ってきたのはスタンダードなやつ――売れるスピードは早くないけど、必ず売れるやつ――が多いから、あんまり考えないかも」と教えてくれる。値段の基準は、気分が70パーセント、20パーセントが経験と勘、あとの10パーセントは調査(ネットで相場を調べる)。「気分の割合が大きくなったのは、この2年ぐらいだけど、良い映画を観て『ああもう人間!』って気持ちの日は、安くつけちゃったり、二日酔いで反省してるときも安めだね」

 年の瀬とあってか、お客さんは少なく、静かに時間が流れる。「こういうときって、とんでもないことが起きるんだよね。魔はまどろみに現れる」。瀬戸さんが自分に言い聞かせるようにつぶやく。ひとしきり値付けを終えると、店の奥に引っ込んで一服する。「今日はなるべくだらしないとこ見せないようにと思ってたんだけど」。瀬戸さんが照れくさそうに言い訳する。昨日は年内最後の出張買取があり、もう仕事を納めたような気持ちになっている。

 番台に戻ってきた瀬戸さんは、ノートを手にしている。それは「古本大學」(芸術劇場店)時代から書き継がれてきた金銭出納帳だ。

3.jpeg

「僕が『古本大學』に入ったのは1995年なんだけど、社長は明大前店にいて、うちにはほとんどこなかったから、今日はこんなものが売れましたって報告しなきゃいけなかったの。だから、何がいくらで売れたか、全部このノートに書いてたんだよね。出納帳は今もつけてるんだけど、この頃は字がきれいで丁寧なんだ。で、今より売り上げが良くて、倍くらいあるんだよ。読み返してると、その本を買ったお客さんを思い出したりする。このノートがうちの店なんじゃないかって気がするし、10分後に地震がくるって言われたら、本じゃなくて出納帳を持って逃げるかも」

 出納帳には、その日売れた本のタイトルや値段がびっしり書かれている。そこには本だけでなく、CDやゲームの名前もある。「ブックオフにやりたいことを取られた」と社長はこぼしていたそうだ。

「売れたものだけじゃなくて、天気とか気温をノートに書いてた時期もあるんだよ。どうすれば売れるか、研究してたんだね。店を良くしようと必死に導火線を引いて、考えて遊んでた。今も考えてるんだけど、昔は答えが出るのが早くて、お客さんとの触れ合いで体現されてた気がする」

 そんな話をしているうちに15時半になり、のむみちさんが出勤する。瀬戸さんは20年前のノートを手に取り、「これを見ると、いかにアバズレになったか、よくわかる」と差し出した。受け取ったのむみちさんは「え、何でこんなにきれいに書いてんの?」と目を丸くする。

4.jpeg

 コートを脱ぎ、エプロンを纏う。のむみちさんのエプロンには缶バッジがたくさんついている。「代表、何時にきた?」のむみちさんが僕に訊ねる。11時50分ですと答えると、「かっこつけやがって」と笑う。普段は時間通り12時に店が開くことはほとんどなくて、1時間近く遅れることもザラだという。のむみちさんが不満を漏らしていると、「違うんだよ、この取材を機会にして、心を入れ替えたいんだ」と瀬戸さんが言い訳する。

「なるほど、素晴らしいじゃない」。そう笑いながら、のむみちさんは現在の出納帳を手に取り、店内の棚を確認して歩く。「このノートに書かなきゃいけないから、一気にたくさん売れたときは焦るんだよね」とのむみちさん。棚がどう動いたかを確認すると、番台に戻り、瀬戸さんと一緒に値付けに取りかかる。のむみちさんは濡れた雑巾と薬品で汚れを拭き取ってゆく。その薬品が何であるか、僕が確認していると、「店をやってるとさ、テクニックを突き詰めようとしちゃうんだよ」と瀬戸さんが言う。「僕はテクニックみたいなことが好きだから、薬品は何がいいかとか、そこを突き詰めちゃうの。でも、本質的にはテクニックを気にせずにやれたほうがいいんだよね」

 店には小さなテクニックが溢れている。何気なく並べられているような外の棚も、よく見ると、風で動かないように、キャスターをタイルの溝に噛ませてある。そういったテクニックに目を向けてしまうけど、店はもっと奥深いものなのだろう。

 気づけば日が暮れている。若い男女が来店し、本を1冊お買い上げ。会計を済ませると、「顔はめパネル、やらせていただいてもいいですか?」と切り出す。

「古書往来座」には、顔はめパネルを兼ねた面陳棚がある。工作好きの瀬戸さんが1週間前に完成させたばかりの棚で、ツイッターでその存在を知り、訪ねてきたのだという。「棚が倒れちゃう可能性があるので、あんまり棚を前に押さないようにして、膝は横に曲げる。これがコツですね」。瀬戸さんは若い男女に熱心にアドバイスしている。

5.jpeg

 撮影が終わり、顔はめパネルを元に戻すと、瀬戸さんは「こんなに値段つけたの久しぶりだ」と言いながら奥に下がってゆく。一服して番台に戻ってきた瀬戸さんは、真新しい膝当てを手にしている。

「俺、工作が大好きだから、ズボンの膝を擦っちゃって、あっという間に駄目になるの。それに気づいてガムテープを貼ったりしてたんだけど、ビバホームでこれを見つけて買ってきたんだよ」

 1個200円の膝当てを装着すると、「あ、完璧!」と瀬戸さんは嬉しそう。膝当てをつけたまま木材を取り出し、図面を見ながら線を引き始める。新たな工作に取りかかるようだ。

「これはね、店の奥にある海外文芸棚の上に、棚を一列増やしたくて。そこに防犯ミラーがあるんだけど、番台から見えない角度があるから、防犯ミラーの位置を変えたいんだよね。前は防犯カメラがあったんだけど、それが壊れちゃったから、防犯ミラーで見えるようにしたくて」

 瀬戸さんは板に線を引き、切断し、あっという間に木箱を作り上げてゆく。

 僕はこれまで、瀬戸さんのことを「工作が好きな人」だと思っていた。それはそれで事実ではあるけれど、それだけではなかったのだと気づかされる。店は場所に根ざした商売だ。その環境の中で不便なこともあれば、今日のように強風に晒されることもある。そこで毎日を過ごしているなかで、「ここがこうだったらいいのに」と、目の前にあるのとは違う風景を想像し、それを実現させるのが工作なのだろう。

6.jpeg

 最後に色を塗り、棚が完成する。さっそく防犯ミラーの位置を動かすと、「もうビール飲んじゃおうか」と瀬戸さんが言う。気づけば21時近く、閉店まで1時間ほど。のむみちさんからお小遣いをもらって、隣の100円ローソンで麦とホップを買ってきて乾杯する。

 缶を手に、棚を眺める。店に入ってすぐの棚には、往来座編集室で発行している『名画座手帳』が並んでいる。『名画座手帳』の帯には柳家小三治さんとのんさんによる直筆コメントが掲載されており、その生原稿が棚に飾られている。

7.jpeg

 ふらりと、常連のお客さんがやってくる。

「岩波文庫の『濹東綺譚』を探してるんですが、さっき新刊本屋に行ってみると、岩波文庫は品切れだって言われてね。しょうがないから角川文庫のを買ったんですけど、岩波文庫には木村荘八の挿絵が入ってるらしいんですよ。それが良いっていうんで、探してるんですけどね」

 瀬戸さんとのむみちさんは、それぞれ文庫棚と日本文学棚を確認しに走ったけれど、新潮文庫の『濹東綺譚』しか在庫はなかった。

「記憶しておいて、入荷しましたら――」

 瀬戸さんがそう言いかけると、遮るようにお客さんが口を開く。

「記憶すんのはよしましょう。そんなことは厄介です。残念だけどしょうがない。じゃ、また。お邪魔しました」

 良いお年をお迎えください。年末の挨拶をしてお客さんをお見送りする。瀬戸さんは「さっき見かけた気がするんだけど」と首を捻っている。自分の記憶を辿るように、値付けを終えたばかりの山を探っていた瀬戸さんが、「あった!」と声を挙げる。そこには確かに岩波文庫版の『濹東綺譚』があった。この本ありませんかと尋ねられたとき、ちょうど店に在庫があるのは40回に1度くらいの確率だという。瀬戸さんはすぐに『濹東綺譚』をのむみちさんに手渡し、「お年賀だって言って、あげちゃって!」と伝えて送り出す。

 幸運にも、お客さんはまだ店の前でタクシーを拾おうとしているところだった。のむみちさんが『濹東綺譚』を差し出すと、「よくおぼえてたねえ」とお客さんは笑った。

古書往来座 12月28日(土曜)、29日(日曜)へつづく >>