7月31日(火)

 日曜の夜に激しい雷雨があったとき、もう今週の競馬は終わっているから関係ねえやと思っていたのだが、甘い考えはすぐに否定される。もろに関係があったのである。月曜に仕事場に行くと、電話とパソコンが不通なのだ。「回線障害」の文字。原稿を書いてもどこにも送れないのは困る。さっそくパソコンの師匠千脇君に携帯から電話して事情を話すと、電話局の人間を呼ぶしかないという。で、本の雑誌に携帯から電話して、電話局の番号を浜田に調べてもらう。携帯がなかったら、いちいち駅前まで行かなければならないところだ。この街の公衆電話は駅前にしかない。

 原稿を書くことは出来るのである。パソコンに入っている原稿を、つなげているコピー機でコピーしてみたら、それも出来る。ようするに出来ないのは外界との通信だけ。しかしこれが大きい。私、これまでパソコンはただの機械だと思っていた。ずっと反パソコン派を標榜していたのは、便利なんてなんぼのもんじゃい、と思っていたからで、某MM誌の編集長から、そのころ私がFAXで送っていた原稿を編集者が打ち直してから入稿していると聞かなければ、そのままだったと思う。

 実は私、原稿はいつも前倒しで送っている。それは25年間、本の雑誌の編集をやっていて、原稿の遅い筆者にいつも悩まされていたからだ。だから自分が原稿を書く立場にまわったときは、どんなに相手がサバを読んでいるとわかっていても締め切りを守ろうと決めている。時には締め切り前に送ることも少なくない。つまり編集者に、内容はともかく、期日のことでは迷惑をかけないということを第一義にしてきたのだ。ところが、締め切りを守るだけでは迷惑をかけないことにはならない、と気づいて呆然。すぐにパソコンを買いに走った。それから十年以上がたって、記憶力の悪い私は大変助かっている。というのは、パソコンのハードディスクにこの二十年間に書いた原稿が全部入っているから(パソコン導入前の原稿も、全部テキスト変換してハードディスクに入れたので)、すぐに検索できるのである。いやあ、便利だよなあ。

 しかしそれでもどこかに、パソコンはただの機械だ、という考えがあったことは事実である。こんなの、なければないで、どうにかなるよなという思いがあったことは否定できない。ところが月曜いっぱい電話もネットも不通で外界から遮断されると、違った感慨がこみ上げてきた。仕方ないので、原稿を書いたり、復旧したらすぐに送れるようにテキスト変換したり、あるいはパソコン麻雀で遊んでいたりしていたのだが、これじゃあただの機械じゃん、という思いが強かったのである。すぐに、えっ、お前、もともとただの機械だと思っていたんじゃないの、と気づいたが、もう自分にとってパソコンはただの機械ではなかったのである。外界から遮断されると、ホント、淋しいのである。メール友達にいろいろメールを送りたくても出来ないのだ。携帯メールは出来ないので、パソコンが故障すると通信手段が何もないのだ。

 今日の昼にようやく復旧。やっぱり日曜の落雷の影響だったようだ。待っていたように電話が鳴ると、嬉しくて。いつもなら無愛想な返事をするくせに、「はい」と元気よく受話器を取ったりする。しかしこの間のメールは思ったほど溜まってなく、復旧したらあいつにもこいつにもメールを出したいと思っていたのに、いざそうなってみると、特にメールを出す用事もないことに気がついて、なんだよ、用はないのか。そうしてまた普通の日常が戻ってきたのである。