4月25日(金)

 知人の日記を読んでいたら、書評の一部を宣伝用のPOPに使わしてもらいたいと版元の人間から電話がきた、というくだりがあった。どの部分ですかと尋ね、それをこれからFAXしますと先方は言い、で、送られてきたFAXを見て、問題もないのでOKのメールを出そうとしたら、FAXのどこにも先方のアドレスが記載されていなかったという日記である。電話を待たなければならないのはイヤだ、と知人は書いている。さっさとメールを出して、仕事に掛かりたいのに、絶対に来る電話を待っているのは気分的に落ちつかないと言うのである。

 こういうことはよくある。おそらく、そこにアドレスを書いてしまうと、お前のほうから連絡を寄越せ、と暗に催促していると誤解されるのが心配で、編集者は遠慮して書かないのではないかと思うのだが、彼は違う推理だ。

 おやっと思ったのは、この日記にすかさず某評論家がコメントを寄せていたことだ。この中身が凄かった。某社の文庫が重版に際して、解説の一部を帯に引用したいと編集者から電話がきたんだという。どの部分ですかと尋ね、じゃあFAXしますという返事までは通常だが、それが全然来ない。来ないまま重版され、彼は書店でその現物を見て、引用部分をようやく知ったのだが、いまにいたるもその文庫は送られてこないという。

 その同時重版に、私が解説を書いた一冊も入っていたので、「北○おやぢも同じ目にあったのかしら」と彼は書いているのだが、私、その文庫解説を書いていたことを、初めて知りました。その程度なので、そういう連絡が来たことも、あるいは来なかったことも、そしてどうなったのかも、まったく覚えておりません。

 という話を書きたかったわけではない。こういうのを読むと、オレなんてもっとひどい目にあってるぜと書きたくなるのだ。ようするに、被害自慢である。

 つい先日、見知らぬ編集者からFAXがきた。文庫解説の依頼である。すごいのはこの先だ。本をすでに発送したというのだ。えっ、発送ずみってどういうこと? FAXの最後の一文にのけぞってしまった。

「お受けいただけない場合は、お手数ですが、同封の着払いの伝票でご返送いただけますようお願い申し上げます」                                  

 そちらでどうにでも処分してくれてかまわない、というならまだ理解できるが、返してくれというのが想像を絶している。送ってくれ、と頼んだわけではないのだ。先方が勝手に送ってきたのである。いくら着払いの伝票が同封されているからといって、それでいいというものではない。ちなみに、そのFAXにもアドレスは記載されていなかった。

 久々の自慢である。どうだ!