10月2日(木)

「面白い」という言葉が力を持ちえた時代があった。『本の雑誌』を創刊したころの話である。なぜかというと、書評の中で「面白い」という言葉をみかけることが少なかったからだ。どうして見かけなかったかというと、「面白い」というのは感想であり、評語ではないという認識が一般的だったからである。文学評の話ではない。エンタメの書評においても「面白い」という言葉は滅多に使われなかった。そういう時代だから、「面白い」という言葉を書評の中に見かけると実に新鮮だった。

 ところが、「面白い」という言葉が巷にあふれてくると、もう力を持ちえなくなる。この場合の力とは、読者の胸に届ける力だ。新鮮であるときは力を持ちうるが、色あせると力を失っていく。だから、読者の胸に届ける最適のワードは、時代によってどんどん変わっていく。褒めればいい、というものではないのだ。無味乾燥な褒め言葉は論外だ。最強の褒め言葉とは、読者の胸に強く刻まれる熱い感情にほかならない。

「今年のベスト1」「10年間のベスト1」「戦後のベスト1」というベスト1ものから始まって、「号泣本」「魂が震えた本」と、その褒め言葉の歴史を繙くとそこにはさまざまな言葉が並んでいる。

 で、もうだいたいの褒め言葉は出尽くした、と思っていた。あとはこれまでのフレーズの組み合わせしかあるまいと考えていた。たとえば、「戦後の号泣本ベスト1」とかね。ところがあったのである。それもすごいやつが。

 週刊文春9月25日号に、柳広司『ジョーカー・ゲーム』(角川書店)評が載った。評者は村上貴史。これを読むと、ぶっ飛ぶ。なんとなんと、「人間の書いたものではない!」と言うのだ。おお、それでは誰が書いたんだ! こういうことを言われると、無性に読みたくなる。

 いや、こういうのは正確に引用したほうがいいので、その冒頭部分を引く。

「これが本当に人間が書いた作品なのだろうか。この密度。この重さ。この冷たさ。この奥行き。柳広司『ジョーカー・ゲーム』は、そのすべての要素が人間の生み出しうるものを超越しているように思える」

 すごい賛辞だ。これは大変、という気になってくる。もちろん書評であるから、それが本当に内容に見合ったものであるのか、ということも重要だが、それはここでは問わない。モダンホラーが日本に上陸したときの紹介者たちの熱い弁を思い出すのである。結果的にはそれほどの作品かよと言いたくなる小説もあったけれど、しかしあのときの紹介者たちの熱弁を私は忘れない。新しい小説を世に紹介するときはあれくらい熱く、そして印象深く、語ってほしいと思う。同業者として素直に拍手を送るのである。

 もしも、戦後褒め言葉グランプリというものがあったなら、今回の柳広司『ジョーカー・ゲーム』評はベスト1だ!