10月6日(月)

 必要があって昭和40年代の中間小説雑誌を読んでいるのだが、いやはや、驚いた。五木寛之「さらばモスクワ愚連隊」が小説現代新人賞を受賞したのは昭和41年で、その年の小説現代6月号にその結果発表が載っているが、作者名の横に住所が記載されているのだ。当時五木寛之は金沢にいたので、その住所とアパートの名前と何号室というところまで克明に記載されている。このとき同時受賞したのが藤本泉「媼繁昌記」だが、藤本泉の住所も当然ながら載っている。いまなら絶対にあり得ないだろう。もしもその後四十年、引っ越しをしなければ現住所がわかってしまうことになる。

 小説現代だけがそういう住所の記載をしていたわけではないだろう。というのは、昭和44年10月刊行の阿部牧郎『袋叩きの土地』(文藝春秋)という本を書棚から取り出して読んでいたら、その奥付の著者略歴に「現住所」が記載されていたからだ。

 もっとも昭和40年代、あるいはそれ以前に刊行された本すべてに著者の住所が記載されていたわけではない。その一部に見られる傾向にすぎないことは書いておく必要がある。      

 自分の書棚から昭和40年代以前の本を無作為に数冊選んで調べてみたが、他の本には住所の記載はなかった。もっともその数冊には著者略歴がなかったので、著者略歴のある昭和40年代以前の本を調べる必要があるかもしれない。面倒なので今回はしませんが。

 で、そうして書棚を漁っていたら、阿部牧郎『失われた球譜』(文春文庫/1988年5月)という本が出てきた。私の書棚には野球本コーナーがあって、本当は阿部牧郎『南海・島本耕平の詩』という本をそのコーナーで探していたのだが見つからず、代わりに出てきたのがこの本だった。

 何の話かというと、なんと私が解説を書いていたので、「北上次郎解説文庫リスト」を作成してくれた北海道の山下さんにご報告しておきたい。私もすっかり忘れていたが、山下さんのリストからも落ちていたので、埋めておいていただけると助かります。ええと、それだけの話なんだけど。