5月14日(木)

『本の雑誌』の後ろのほうに「今月書いた人」というページがある。ここを開いてぼんやりと見ていたら、どきっとした。というのは、そこに、

「北上次郎(46)」

 という一行があったからだ。これを見た途端、「オレって46歳?」と思ってしまった。このページの頭に、「原稿到着順・括弧内の数字は登場ページ」とあるので、この「46」という数字は、北上次郎がこの号の何ページに原稿を書いているのかという数字であることは明白なのだが、それに自分の年齢は自分で知っているから46歳のはずはないのだが、一瞬、そんな錯覚をしてしまうのである。
 不思議なことに、

「吉野仁(111)」

 という一行を見ても、吉野仁が111歳だとは思わない。すっごい年取ったやつなんだとは思わないのである。

「沼野恭子(11)」

 という一行を見ても、小学生とは思わないし、

「高野秀行(86)」

 という一行を見ても、年のわりに元気だよなあとは思わないのである。なぜか、自分のところだけ「46」という数字を見ると、若々しい気分が立ち上がってくるのだ。
 まったく不思議である。いや、それだけの話なんだけど。

 というのは今回の枕で、本題はここから。その『本の雑誌』6月号で、「これは大変だ」と立ち上がったのである。今年の始めごろ、週刊朝日の映画コラムを読んで、「これは大変だ」と立ち上がったことがあるが、つまり本年二発目。

 立ち上がったのは、風野春樹氏の「サイコドクターの日曜日」というコラムを読んだときだ。真ん中の色ページです。
 ここで風野春樹氏は、ずいぶん前に文春文庫から翻訳が出て、いまは切れているジェリー・ユルスマン『エリアンダー・Mの犯罪』を復刊せよと書いているのだが、これがすこぶる面白そうなのだ。
 1913年のウィーンで、イギリス人の淑女がカフェで画学生の若者を射殺する場面から始まるが、時は移り、1983年ニューヨーク。夫と離婚したばかりのレスリーは祖母エリアンダーが娼婦で、しかも人を殺したというショッキングな事実を知らされる。そして父の遺品の中から見つかったのはタイム・ライフ版『第二次世界大戦史』という奇妙な本。でも、第二次世界大戦って何?
 風野氏のコラムからこのように引用するだけで、ぞくぞくしてくる。もちろん、画学生の若者はヒトラー。ヒトラーが死んでしまったので第二次世界大戦は起きなかったというわけ。しかしそういうアイディアだけの小説ではないことは、風野氏の次の紹介で明らかだ。

「何よりも堂々と自らの信念に従って生きるエリアンダー・モーニングという女性が魅力的に描かれているのが素晴らしい。特にラストシーンで白いパラソルを広げた姿の鮮烈さはいつまでも心に残る」

 おお、読みたい。タイトルに記憶はあるのだが、風野氏の紹介を読むとその内容にまったく記憶がないので未読の可能性が高いのである。。読んでいて忘れている、という可能性もあるのだが、こんな面白そうな時間SFを忘れるだろうか。その可能性もあるから油断できないのだが。
 本棚のどこかにはあるんだろうが、探していると何年もかかりそうなので、文春文庫さん、ぜひ復刊を。