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8月11日(火)

 千歳空港で週刊文春を買い、機内で読んでいたら「各界著名人が語る・忘れられない夏の旅」というページがあり、その冒頭に、函館の思い出を語る先崎学さんの次のコメントが載っていた。
「二十歳のとき、男だけの棋士仲間で十日間滞在しました。函館は競輪場も競馬場も街から近いので、平日は競輪、土日は競馬三昧。飯も酒もうまくて温泉つきで極楽でした」

 これを読んで、よおしオレも函館に行って「平日は競輪、土日は競馬三昧」しようと思う人は少ないと思うけれど、万が一、そんな人がいて、調べもせずに函館に行ったら(普通は開催してるかどうか調べてから行くだろうけど)、ぎょぎょとなるに違いない。今年は函館競馬場が改修工事のため、この地の開催はないのだ。だから私らも札幌に行ったのである。

 昨年は旧スタンドで最後の開催を味わうために函館競馬場に行ったので、札幌は二年ぶりだ。食い物はうまいし安いし、涼しいし、いいなあ札幌。
 来年の夏は、その函館競馬場がリニューアルオープンする。府中、中京、京都、小倉とスタンドがリニューアルしてオープンするたびに、その初日に駆けつけて指定席に入ることを趣味にしている知人がいるが(彼はその指定券を大切に保存して、それを見ながら深夜一人で酒を呑むのだという)、彼は来年、函館まで行くのだろうか。

 で、帰京してぐっすり眠った翌朝、ぼんやりとテレビを見ていたら、「ちい散歩」という番組で海老名近辺をとりあげていた。小田急線で町田の幾つ先だっけ、昔は駅前に何もなかったような気がするが、今やビルが建ち並んでいて、いやはやすごい変わりようである。で、そのビル街のど真ん中に、相模国分寺にあった七重塔の複製(3分の1)があり、それがテレビに映った途端、ここに行ったことがある、とようやく思い出した。あれが海老名だったのか。

 まだ長男が大学生のころだから7〜8年前だったか、家族で車に乗って買い物に行ったことがある。目指した店に長男の欲しいものがなく、違う店を探して車でどんどん先に進んだらその街に出たのだ。七重塔の複製の前を通り、ショッピング・ビルの中を散策し、近くのラーメン屋で食事をして戻ってきた。あのとき、いったい長男が何を探していたのか、まったく記憶にない。
 私が覚えているのは、そのラーメン屋で長男が頼んだ何とかラーメンというやつを一口貰ったら、私が頼んだものよりもとてもおいしく、そっちにすればよかったなと思ったことだ。そんなことしか覚えていないとは、なんだか情けないけど。

8月6日(木)

 よしだまさし氏のネット日記を見ていたらびっくり。7月29日の日記だが、板橋の古本屋をまわったというのである。おいおい、と思ったのはその前々日に私も板橋駅前に降り立ったからだ。十条に所用があり、せっかくここまで来たのだから、と帰りに板橋駅で降りたのである。

 私の生家は池袋駅から歩いて20分のところに今でもあるが、西武池袋線の東長崎駅からも20分、東武東上線の大山駅からも20分という微妙な距離にある。ようするに、どの駅からも均等に遠い。歩いて20分ということは自転車なら5分。だから、西武池袋線の椎名町から、東長崎、江古田まで。東武東上線は大山から、中板橋、常磐台まで、自転車でよくまわった。その近辺の古本屋まわりである。

 父親が孔版印刷(ようするに小部数の軽印刷というやつだ)業を営んでいたので、その納品のアルバイトをしていたのである。学生時代の話だ。私が運ぶのは小物に限られていたので、後日振込が決まりになっていた区役所の出張所以外のお得意先からは納品したあと集金もしてこなければならない。私の集金はだいたい3000円以内だ。それ以上の納品は、父親がバイクでしていた。で、その金で古本屋をまわるのである。だから帰宅してから父親に渡す代金はいつも数百円少なかったが、父親はいつも笑うだけだった。

 大山駅方面に行くときは、大山銀座の周辺に4軒あり、そこをまわってから常磐台方向に向かうのだが、時に、板橋駅方向に向かうことがあった。小さな古本屋が点在しているのだ。板橋駅まで四〜五軒はある。で、板橋駅の踏み切り際の右に一軒、少し先の左に一軒。ここまでまわって帰ってくるのがいつもの「板橋コース」だった。その道をまっすぐ行けば大塚に出て、そこにも古本屋はあったのだが、いくらなんでも遠すぎる。

 で、その踏み切り際の店ではなく、少し先の左にあった古本屋のことを、十条に行った日に思い出したのである。奥行きのある広い古本屋で、棚の上に白井喬二全集(学藝書林の全十六巻のやつだ)を見つけたとき、大学の先輩である菊池仁にすぐに知らせたことが懐かしい。菊池仁はその数日後に横浜から板橋まで買いに行った。大山銀座の外れにあった小さな古本屋の棚に、新書判の横溝正史選集全六巻(講談社のロマンブックスだったような気もするのだが、このあたりの記憶は曖昧だ)を見つけたときは、高校時代の級友がこれを探していたことを知っていたのですぐに知らせると、彼は西武池袋線の奥のほうに住んでいたのだが、その翌日買いにいった。そういう些細な思い出がたくさんある。もちろん通った回数では、池袋駅周辺の古本屋のほうが(高野書店や近藤書店など)圧倒的に多いのだが、板橋方面の古本屋さんもわが青春の古本屋さんなのである。

 ところが、板橋駅の東口に降り、駅前ロータリーを見て左に曲がり、通りにぶつかったところの左側にあった店内の広い古本屋が、あれれれ、見当たらない。私が通っていたのは四十年前だから、実はもうないかも、という気がしていたのだが、やっぱりなくなっていたのか。念のために近くまでいってみると、私の記憶よりも遠いところに書店の古びた看板があり、シャッターが降りている。その日が定休日でシャッターが降りているというよりもずいぶん前に廃業したみたいな雰囲気だ。

 で、踏み切り際にあった古本屋がまだあるのかどうか確認することをすっかり忘れ、そのまま帰ってきてしまったのだが、よしだまさし氏のネット日記を見てびっくり。その看板は移転前の古い看板で、少し先の右側で営業しているというのである。もう何年も前に移転したのだから、古い看板を外すのは世間一般の常識というものだが、それが通用しないのがそのS書店だというから、えっ、どういうこと?

 そこから先は、よしだ氏の日記を直接お読みいただきたい。ようするに、その応対が信じられない店主なのである。しかも知り合いに聞くと三十年前から変わっていないというからびっくり。あの日、私が行ったら絶対に喧嘩していたと思うので、知らずに帰ってきてよかったと思うのだが、私が通っていた四十年前にその店主がいたら、コノヤロと腹を立ててそんなに何度も行かなかったに違いない。

 つまり私の記憶と異なるのである。広い店内に雑本が置かれていたということは同じでも、私が何度も通っていた古本屋の店主は普通であり、呼び止められることもなく、もちろん追い出されることもなかった。店の位置が私の記憶と微妙に異なるのも、こうなると気になる。しかしこんなに近いところに、別の古本屋があったとは思えない。よしだ氏の友人の証言によると三十年からS書店はあったというから、考えられるのは、私の通っていた古本屋(店名を覚えていないのが残念)が廃業し、そのあとで現在のS書店が同じ場所かもしくはその10メートル先に開店した、というケースだ。これなら、四十年前に通っていた私の記憶と、三十年前から変わらないというよしだ氏の友人の証言の間に、矛盾が生じない。

 いや別に、それだけの話なんだけど。

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