9月29日(火)

総長への道〈前篇〉 (角川文庫―リバイバルコレクションエンタテインメントベスト20)
『総長への道〈前篇〉 (角川文庫―リバイバルコレクションエンタテインメントベスト20)』
藤原 審爾
角川書店
756円(税込)
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 藤原審爾『総長への道』という小説を読む必要が生じたのだが、書棚をいくら探しても出てこない。双葉新書版と角川文庫版の2種を持っているはずなのだが、出てこないのでは意味がない。そこでネットで検索すると、在庫を持っている幾つかの店が出てきた。そんなに珍しい本ではないのだ。で、注文しようと思ったが、そのうちの1軒が小田急相模原にあることに気がついた。なんだ小田急相模原なら近いじゃん。じゃあ行っちゃえ。

 そのときにその古本屋の住所も電話番号も控えずに飛び出したのにはそれなりに理由がある。実は、小田急相模原は昔住んだことのある町なのである。いまから27年前のことで、すっかり変わっているかもしれないが、知らない町ではない。昔は古本屋はなかったけど、その後できたならあのあたりの商店街だろうという予測もある。駅のすぐ近くにイトーヨーカ堂があり、その周辺に商店街があるのだ。たぶんそこいらだろう。たしか、巨人軍の原監督の生家もこのあたりにあったはずだ。

 で、小田急相模原に降りると立派な駅ビルが出来ていてびっくり。上のほうはマンションになっているみたいだ。急に自信がなくなったので駅際の交番で尋ねることにした。店名だけは覚えてきたのだ。ところがそれらしき古本屋はない。そこでようやく住所が必要なことに気がついた。

 本の雑誌社に電話すると杉江くんが出たので、ネット検索を依頼。私の目指している古本屋の住所を調べてもらい、その住所を交番で再度聞くと、そこから歩いて10分ほどのところだという。もっとも私がイメージしていたのとはまったく異なる方向だったけど。

 イトーヨーカ堂付近とは異なる、ちょっと寂しげな商店街(というよりも、商店がちらほらの道)をずっと歩いていくと、ようやくありました。ところがまだ話は終わらない。ネットには在庫があると出ていたのに、その店舗には『総長への道』がないのだ。どうやら別のところに倉庫があるようで、そちらにあるとのこと。だから後日郵送してもらうことにしたのだが、せっかく来たんだからと店舗内を散策。すると、同じ作者の『天空拳勝負録』角川文庫全3巻と、『天才投手』徳間文庫全2巻を発見。前者は双葉社版、後者はKKベストセラー版を持っているはずなのだが、たぶん絶対に出てこないだろうからとそれらを購入。

 なんだか思わぬ拾い物をして得をしたような、でも持っているだぶり本を買っただけだからそんなに得したわけではなく、ただ時間を無駄にしたような、複雑な気分で帰途についたのであった。

9月28日(月)

あなたならどうしますか? (創元推理文庫)
『あなたならどうしますか? (創元推理文庫)』
シャーロット アームストロング
東京創元社
1,260円(税込)
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 書店の文庫コーナーをぶらついていたら、シャーロット・アームストロング『あなたならどうしますか?』(白石朗他訳/創元推理文庫)が平積みされていて、その帯に大きく「リクエスト復刊」とあった。東京創元社・文庫創刊50周年、とも書いてある。奥付を見ると、1995年初版で、平積みされていたのは2009年9月の3版であった。
 ふーん、こういう本が出ていたんだと思って、巻末の解説(新保博久)を立ち読みしていたら、これが上段が解説で下段が注という凝った構成なのだが、その下段の注に突然私の名前が出てきたのでびっくり。
「もともと北上次郎氏の蔵書から出たもので、めぐりめぐってわが家に漂着したものだから自慢にもならないが、私の貧しいコレクションでは、ひとが持っていないものと言えばこれくらいしかない」
 この注がついているのは、上段の解説部分の次のくだりである。
「私の持っているのは、クライム・クラブ第八巻の表紙に現代推理小説全集第八巻『ベアトリスの死』が誤って製本されたものなのだから」
 クライム・クラブは植草甚一が編纂したという伝説的な叢書で、その第八巻は、シャーロット・アームストロング『夢を喰う女』である。で、表紙だけそのシャーロット・アームストロング『夢を喰う女』なのに、中身は全然別の本だったというのである。ちなみに『ベアトリスの死』の作者はマーテン・カンバランドで、この作者の『パリを見て死ね!』がクライム・クラブに収録されている。
 そのエラー本が、もともとは私の蔵書だったという記述にびっくりしたのは、全然覚えていないからだ。そんな本を持っていたことも記憶にないから、当然ながら処分した記憶もない。流れ流れて、と新保博久が書いているので、私が誰かにあげたか売るかしたのだろうが、そうなんですか。
 ちらりとでも記憶にあればともかく、まったく記憶のかけらもないから困る。ずいぶん昔、池袋の高野書店に大量の本を売った直後、知人に会うと「はい」と写真を渡されたことがある。私が写っている写真をどうして君が持っているのか、と尋ねると、高野書店で本を買ったら私の写真が挟まれていたと言う。ほお、それでは写真以外のものも挟まれていたかもしれないな、恥ずかしいものがあったらイヤだな、とそのとき思ったことは明確に覚えている。古いことでも、このようにはっきり記憶に残っていることはある。特に、表紙だけクライム・クラブのシャーロット・アームストロング『夢を喰う女』で、中身は全然別の本だった──そんなはっきりとした特徴のあることなら、覚えていても不思議ではない。それなのに、どうして見事に忘れてしまうのか、それが信じられない。本当にオレの本?

9月16日(水)

 我が家の愛犬ジャックは17歳である。犬の平均寿命は12年というから、老犬だ。それでも今年の春までは元気であった。食事時にはわんわん吠えて食事を要求し(この体内時計がまた正確なのだ)、それが終わると次は散歩を要求する。私の住んでいる町は坂の多いところなのだが、その急坂をずんずん登っていくのである。若いころに比べれば、散歩コースも一回り短い円になったけれど、道端のあらゆるところに鼻を近づけてくんくんさせるなど好奇心も旺盛だった。

 あれっと思ったのは夏の始めだ。これまではずんずん登った坂の途中で、ふと立ち止まるのである。それは家に帰る途中だったので、帰りたくないのかと思った。もっと歩きまわりたい、という要求かと思った。違うんですね。その坂を登るのが、きつくなったのだ。老いは突然やってくる。

 それから2ヶ月たつと、よたよた歩きになり、それまでは玄関の中で寝ていたのだが、家にあげることにした。冷房の効いたどこかの部屋に入り込み、床の上でぐたっと一日寝るのが夏の間の日課になった。

 歩けなくなったのは先週末だ。そのころはもう散歩に行く気力もなく、庭で小便をしていたのだが、庭の隅に入り込み、そこから動けなくなってしまったのである。足腰に力がなく、立っていられないのだ。医者に連れていくと、あと数日でしょうと言われたものの、大阪にいく予定が入っていたので、たぶんこれが見納めかと覚悟して東京を離れた。

 日曜の夜に帰京して玄関の扉を開けると、ジャックはひっそりと横たわっていた。静かに呼吸を続けている。もう顔を上げる力もないのか、目だけを動かしている。抱えて庭にいき、そこで小便させようとしても、出てこない。で、おねしょシートを買ってきた。

 月曜の朝、そのシートが濡れていたので、今度はおむつをつけることにした。若いころならいやがるだろうに、もうぐったりしていて、逆らわない。顔を上げられないので、スポイトで水を吸い上げ、口に持っていくと、ぴちゃぴちゃと飲む。犬用の肉を口元に差し出すと、くちゃくちゃと噛む。量は圧倒的に少ないが、それでもまだ食欲はあるようだ。
 火曜の夜は、読売新聞の書評委員会だったが、早退して帰宅。家を離れている間に命の灯が消えてしまうのではないかと心配になる。急いで帰ると、ジャックはひっそりと横たわっていた。その腹が動いているので呼吸しているのがわかる。

 2009年9月16日昼、ジャックは生きている。あと数日と医者に宣告されてから6日、まだその命の灯は消えていない。

9月11日(金)

水時計 (創元推理文庫)
『水時計 (創元推理文庫)』
ジム・ケリー
東京創元社
1,134円(税込)
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トムは真夜中の庭で (岩波少年文庫 (041))
『トムは真夜中の庭で (岩波少年文庫 (041))』
フィリパ・ピアス
岩波書店
756円(税込)
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 ジム・ケリー『水時計』(創元推理文庫)の解説(杉江松恋)が素晴らしい。このデビュー作は実在の都市イーリーを舞台にした作品だが、「読みながら、ずっと町の名前が気になっていた」と言うのである。

「イーリー、イーリー、どこかで読むか、聞くかした名前だね、イーリー。気になったのでちょっと調べてみたのである」

 と杉江松恋は、その解説の冒頭で書いている。その段階では、ふーんと思っていた。イーリーはイングランド東部の州ケンブリッジシャーにある人口一万強の小さな都市で、グレート・ウーズ川のほとりに位置している。市にはシンボルがあり、それがイーリー大聖堂。六七三年に建てられた修道院を起源とする古いもので、現存の建築物はだいたい一四世紀頃までに完成したものであるそうだ。で、こう続いている。

「ここまで書いて、ようやく思い当たった。イーリーの大聖堂? そうだ、イーリーといえば、フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)じゃないか」

 いやあ、驚いた。ここで突然、児童文学の名作が出てくるとは思ってもいなかった。今江祥智『子どもの国からの挨拶』(晶文社/一九七二年刊)を読んで児童文学の面白さを知り、当時新宿マイシティの上のほうの階にあった山下書店(児童文学の専門書店のころだ)に日参して、手当たり次第に読み漁っていたころに愛読した小説である。それからしばらくして、あずまひでおが「ママの涙」という傑作短編マンガで下敷きにしたこともある(違ったっけ?)。

 ようするに三〇年以上も前に読んだ小説だ。「川面をスケートで滑るくだりの、楽しい記述を記憶している読者も多いはずである」と杉江松恋は書いているが、たしかに私もそのスケートの場面は覚えている。たしか、その場面の挿絵もあったはずだ。しかしそれがイーリーを流れる川だとは知らなかった。トム少年が不思議な出会いをした少女ハティと、イーリー大聖堂の塔にのぼる場面もあるらしいのだが、そうだったんですか。

 で、この『水時計』という小説も、その川遊びのスケートが発端になる小説だ、と解説は続いていく。ようするに、この『トムは真夜中の庭で』に言及するのは解説の枕に当たる部分だが、見事な掴みといっていい。他のミステリーの書名が出てくるのならともかく、児童文学が飛び出てくるとは意外。つまり心の準備が出来ていない。だから、ぐらっとくる。「現代英国本格ミステリ」と表4にあるので、オレには関係ねえなと思っていたのだが、この枕だけで俄然読みたくなってくる。

 しかし、それとは別の話だが、『トムは真夜中の庭で』を読んだ人なら誰でも、イーリーと言われてぴんと来るんでしょうか。つまり、私の記憶力がひどすぎるのではなく、杉江松恋の記憶力がよすぎるのではないか、という疑いも捨てきれないのである。両方だったりして。