7月12日(月)訂正にあれこれ

その1
 競馬場にいく朝はいつも目覚ましをかけるけれど、鳴る前に必ず眼が覚める。それも、はっと眼が覚めると一分前ということが少なくない。自分で言うのも何だけど、もう神業に近い。ところがこないだの土曜日、目覚ましが鳴っても何のことだが、よくわからなかった。全体的にぼんやりしていて、なんで目覚ましが鳴るのかその意味がわからない。何かの間違いだろうと思い、二度寝してしまった。で、1時間してはっと眼が覚めた。競馬場に行くんだ! ようやく気がついたのである。もう関東は夏競馬なので東京競馬場まで行っても馬は走っていないんだけど、巨大な場外馬券売り場と化したその東京競馬場で知人と待ち合わせしていたのである。

 1時間寝坊しても楽勝なのは、もともと余裕をもって目覚ましをかけているからだ。だいたい家を出る1時間前に目覚ましをかけ、さらに待ち合わせの1時間前に現地に到着して近くの喫茶店でコーヒーを飲む、というタイムスケジュールなのである。ようするに2時間の余裕があるから、1時間程度寝坊しても大丈夫。全然焦ることはない。で、こないだの土曜日も待ち合わせの前にいつもの喫茶店に行った。すると、府中本町駅前のイトーヨーカドーの入り口に閉店のお知らせ。33年間のご愛顧、ありがとうございました、とある。

 長男が1歳か2歳のころ、そのイトーヨーカドーの1階の隅にある軽食コーナーをよく利用していた。競馬場で家族と落ち合ってから帰宅していたころのことだ。遊具などがある内馬場で遊んでいる幼い長男を最終レース終了後に迎えにいってから帰宅するのだが、競馬場帰りの客で府中本町駅が混むのでイトーヨーカドーのその軽食コーナーでしばらく時間をつぶすのである。
 33年前にオープンしたということは、あのころはまだ開店間もないころだったのか、と感慨深い。おそらく長男はそうやって競馬帰りの父親と過ごしたことをもうすっかり忘れているだろうが。

その2
 先週は久々に新宿に出た。私の行く散髪屋は大通りに面したビルの地下にあるというのに、いつもひっそりとしている。手前にレストランがあり、昼どきは結構にぎやかで混んでいるのだが、その先の地下は暗く、狭く、静かだ。レストランの先に散髪屋があるとは常連しか知らないのではないかと思われる。本の雑誌社が新宿五丁目にオフィスを借りたときから通っているので、もう20年以上になるだろう。何も言わずに座ればいいから、楽だ。
 だが、こないだはちょっと心配になった。その散髪屋は二人のおやじがやっているのだが、しみじみと顔を見たら、すっかり老けているのである。私が年を取ったのだから、おやじたちが老けても仕方がない。もう二人とも70歳に近いのではないか。ということは、どちらかがくたばったら店を閉めることもあり得るかもしれない。
 この年になって、新しい散髪屋に行くのは面倒くさい。座ったあとに、「どうしますか」と尋ねられ、こうしてくださいといちいち答えなければならないのは億劫だ。そういう会話をしなくて済むから、ずっとその散髪屋に通っているのである。だから、おやじたちがいつまでも元気であることを願っている。もっとも、私のほうが先にくたばっていくかもしれないが。

その3
 ただいま発売中の「本の雑誌」8月号の新刊ガイドで、加納朋子『ぐるぐる猿と歌う鳥』(講談社)を、私は新刊として紹介してしまった。新刊ではありません。以前刊行されたもののノベルズ化である。ホントにすみません。
 先日各社の編集者たちと飲んだとき、いやあ面白いんだよと力説したのだが、なんか気になるなあとそのとき同席していた編集者があとで調べ、「新刊ではありませんでしたよ」とメールをくれて判明。あわてて本を見ると、その最終ページに、本作品は二〇〇七年七月、「ミステリーランド」のために書き下ろされたものです、とある。ちゃんと表記されているのだ。

 これを見て思い出した。うかつなことに私、この「ミステリーランド」が叢書名であるとそのとき気がつかなかったのである。よくありますね、別冊やムックに小説を書き下ろすことが。深く考えることなく、そういう小説をノベルズ化したものだろうと決めてしまったのだ。じゃあ、「ミステリーランド」という雑誌があるのかよ。

 しかも恥ずかしいことに私、その新刊ガイドで「坪田譲治文学賞の最有力候補だ」とまで書いてしまった。二〇〇七年に出た本が二〇一〇年の文学賞の候補にはなりません。次号のガイド欄でもちろん訂正をしますが、それまで1か月もあるので、この場を借りて訂正をしておきます。