12月14日(火) 師走に思うこと

「シミタツ節は誤りだった」という趣旨のエッセイを志水辰夫が書いたことがあるのだが、それが見つからない──とただいま発売中の本の雑誌1月号に書いたけれど、それがようやく見つかったのである。その1月号で私は次のように書いた。

 各社の担当編集者に尋ねても記憶にないというから、なんだか自信がなくなってくる。しかし「過剰な修飾」とか「誤り」とか「ごまかし」とか、正確な文章は覚えていないものの、強い語調に驚いた記憶がまだ鮮やかに残っている。あの記憶は何なのだろうか。

 それを編集部が探してくれた。「本の話」(文藝春秋)の「自著を語る」というページに載っていた。志水辰夫『男坂』(2003年11月刊)が刊行されたときのインタビューである。そうか、エッセイだとばかり思っていたが、インタビューだったのか。その一部を引く。

──デビュー直後からシミタツ節と言われたじゃないですか。あの技術というのはどこで身につけられたのですか?
志水 俺はシミタツ節と言われるのは嫌だったんだけどね。あれははっきり言うと、ごまかしですよ。体言止めをしょっちゅう使ってね。ライターをやっていたから、そういう悪知恵はついたんだよな。感情を煽っていくね。
──『いまひとたびの』はかなり評価がわかれましたよね。すごく良い、という人と、シミタツ節じゃない、という人と。これは書いていくうちに徐々に変わったのでしょうか?
志水 文章としてはやはり紛い物だ、というのがあるから、後ろめたいのよ。今の文章は昔とは比べ物にならないくらい修飾がきわめて少なくなっている。ここまで来ちゃうと戻れない。自分は前へ前へと進んでいるつもりだから。自分の性格として、常に未知の所に行って−−そのかわり、いつも中途半端だけど(笑)。

「過剰な修飾」とか「誤り」という言葉は出てこないが、「ごまかし」「悪知恵」「紛い物」という強い語調が目を引く。この強い語調がずっと印象に残っていたのだろう。

「本の雑誌」1月号にも引用したけれど、『男坂』の2年前に刊行された『きのうの空』(2001年)の新刊評で、
「志水辰夫のここ数年の悪戦苦闘は、自らが生み出して、多くの読者の心を掴んだ『シミタツ節』から脱却するために必要な期間だったことも見えてくる。この希代の頑固作家は、シミタツ節という完成された文体を、おそらくは呪縛と感じていたに違いない。そうでなければ、この間の悪戦苦闘の意味が解けない」
 と私は書いているのだから、確認するまでもなかったのだが、やはり記録としてこのインタビューはここに書き記しておきたい。

 ところで「本の雑誌」12月号で、椎名誠が2010年12月いっぱいで編集長隆板の弁を書いている。実は同時に私も、顧問の職を辞する。もっとも顧問といっても、10年前に発行人を辞めてから、私は本の雑誌に対して何もしていない。名ばかりの顧問であった。

 顧問という肩書が残っているのは、隔週木曜日の朝、TBSラジオの「森本毅郎スタンバイ」という番組の「ブックナビ」というコーナーに出演するときだけである。「今朝は本の雑誌顧問、目黒考二さんにお薦めの本を紹介していただきます」と森本毅郎さんが私を紹介してくれるときだけ、「本の雑誌顧問」となっていた。12月23日の早朝(私の出演は8時21分から27分までだ)が、その「顧問」の最終回になり、年明けからは、フリーとしての出演になる。

「本の雑誌」は椎名と始めた雑誌なので、その椎名が編集長を降りるなら私も顧問を辞めてフリーになるということだが、発行人を辞めたときのような感慨はない。あのときは、オレがいなくても雑誌が出るのか、と軽くショックだったが、それから10年、本の雑誌に対して何もしていない状態がずっと続いていたので、さしたる変化はない。

 変化があるとするなら、本の雑誌の肩書がまったくなくなって、なんだか裸になるような気がすることだけだ。本の雑誌の発行人になって25年、顧問になって10年、合計で35年間も「本の雑誌○○」という肩書があったのに、それがなくなるのだから、裸になるような気分にちょっぴり近い。

 顧問を辞めても新刊ガイドの原稿は書き続けていきたいが、こればかりは編集部の意向もあるだろうから、私の希望通りにいくかどうか。出来ればいつまでも、腰が曲がるようになっても、百歳になっても、ずっと書いていきたい。

 ところで、ただいま発売中の「本の雑誌」1月号でいちばん驚いたこと。高橋良平「日本SF戦後出版史」を何気なく読んでいたら、その頭に「昭和38年」とあることに気がついた。おいおい、まだ昭和38年なのかよ。この連載が始まったのはいつなのか、正確には覚えていないけれど、高橋良平さんにこの連載をお願いしに高田の馬場の喫茶店までで行ったのは、一万年くらい昔のことである。それがまだ「昭和38年」とは。これでは、オレが生きているうちに完結しないぜ。

 鏡明『アメリカの夢の機械』と、この高橋良平「日本SF戦後出版史」の単行本を手にするまでは死ねない、と思う師走なのである。