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6月20日(月) 死亡通知

 古い知り合いのNさんから葉書がきた。おや、何だろう。以下、その全文を引く。

 去る六月一日 ○○○○(72)
 癌と闘病の末、旅立ちました。
 生前は、皆様には大変お世話に
 なりました。忘れられない楽しい日々を
 過ごさせていただきました。
 初七日を迎え、改めて御礼申し上げます。
 一足お先に旅立ちますが、
 あちらでまた仲良くやりましょう。
 待っていますから、ごゆっくりどうぞ。
 本当に本当にありがとうございました。

 遺族の方からきた葉書ではなく、差出人は本人名義である。文面も印刷もすべて準備をして、初七日を迎えたら、と遺族の方に頼んでいたのだろう。闘病していたことも知らなかったが、亡くなったことも知らなかった。不意の知らせである。

 Nさんと最後に会ったのは15年ほど前、いやもう少し前か。本の雑誌社の事務所がまだ新宿御苑前にあったころ、久々に電話がきて、四谷で落ち合い、昼食を食べた。それからは年賀状のやりとりだけになったが、「本の雑誌」の発行人を辞めてからはその年賀状も出さなくなったので、先方からも連絡はなくなり、どうしているのかまったく知らなかった。自分のほうから連絡して会うという発想が私にはないのだ。自分勝手で、冷たい人間だと言われてもこれでは弁解できない。

 Nさんは「本の雑誌」を創刊する前、私が勤めていた会社の先輩である。藤代三郎名義の著書『戒厳令下のチンチロリン』(情報センター出版局・角川文庫/絶版)に、主人公の会社の先輩として「新堀名人」というギャンブルの強者が登場するが、それがNさんである。競輪、競馬、麻雀、チンチロリンとなんでも強かった。いや、チンチロリンだけは負けていたような記憶がある。

 出版健保の野球大会が朝の8時半試合開始で(しかも大宮の駅からバスで20分も行ったところにあるグラウンドに集合)、いつもだらしがない社の先輩たちは絶対に遅刻するだろうなと思ったら、全員がきっちり時間通りにきて驚いた話は、以前もどこかで書いたことがある。繰り返しになるが、許されたい。

 社の先輩たちはのんだくれが多く、だらしがないので、集合時間を守れないに違いないと新入社員の私は疑っていたのだが、なんと社の先輩たちは大宮駅前の旅館に泊まったというのだ。早朝集合にはやはり自信がなかったので、だったら全員で泊まればいいと彼らは考えたらしい。

 しかし、出版健保の野球大会といっても、その年に初めて参加した私たちの会社はいちばん下のクラスであり、しかも野球の素人ばかり。それほど熱心な参加ではない。社のみんなで野球をしたら面白いんじゃないか、という思いつきから始まっただけで、ようするに、遊びである。遅刻したからといって、何か問題になるわけではない。それに、旅館に泊まるということは、宿泊代金を払うということだ。その費用が会社から出るわけがなく、もちろん自己負担である。にもかかわらず、この人たちは旅館に泊まったのか。

 そのとき驚いていた私に次のように言ったのはNさんだ。
「めぐろくん、遊びの約束は守らなければいけないんだよ」
 これ一発で、Nさんを尊敬した。Nさんが会社で慕われていたのはギャンブルが強いだけでなかったのである。

 仕事の約束を守るのは当然である。それを破れば、自分にはねかえってくる。だから、みんな、仕事の約束は守ろうとする。対して、遊びの約束はまもらなかったからといって、その人の仕事がだめにはならない。その人の人生がだめになるわけでもない。だから、遊びの約束に関しては、まあ守れなくても仕方ないかという甘えがどこかにあったりする。そういうケースが少なくない。しかし、だからこそ、守らなければいけない。歯を食いしばっても守らなければならない。

 このNさんの教えをそれから四十年、私は守っている。

 Nさんにはたくさんのことを教えられたが、「遊びの約束は守らなければいけない」というこの教えはいまだに忘れられない。

 本人からきた葉書は、まるでNさんが語りかけてくるかのようで、もっと会っておけばよかったという感情がこみ上げてくる。私はいつも気がつくのが遅すぎる。葉書を手にしながら、遙か遠い昔の、Nさんと一緒に卓を囲んだ雀荘や、池袋のビヤガーデンで飲んだ夜の光景などを、次々に思い出すのである。

6月14日(火)競馬場に持っていくもの

 競馬週刊誌「ギャロップ」で、競馬場に持っていくものという取材を受けることになった。私はキャリアカートを7〜8台持っているのだが、その写真を撮りたいというのだ。ただいま使っているキャリアカートは、昨年暮れに東急ハンズで買ったもので、本来は1泊用の旅行カート。カバンを台から離すことが出来るのが特徴で(私は離さないけど)、これが競馬用にちょうどいい大きさなのである。種牡馬辞典2冊に双眼鏡、筆記用具、眼鏡入れ、折り畳みレインコート、バインダーにティッシュにタオル、眼鏡拭き、その他もろもろを、ちょうどぴったり収容できる便利カートだ。

 筆記用具は、町田の東急ハンズで買った便利な筆箱に入れている。この筆記用具入れ、つまり筆箱は机の上に立てて置くことが出来る。便利グッズとしてテレビで紹介されたのを見て、その翌日すぐ買いに行った。

 このカバンつきキャリアカートの他に重宝しているものもある。ポケットの多い洋服を着ているときならいいのだが、上着を脱ぐ季節になると、さまざまなものを収容するポーチやポシェットのようなものが必要になる。サインペンに携帯電話に小銭入れに馬券入れ。ポロシャツを着る季節になると、それらをしまうものが必要になるのだ。ズボンのポケットにはしまいきれない。キャリアカートは競馬場との往復に必要だが、競馬場の中を動きまわるときに必要なのが、この物入れだ。

 これも春が来る前に東急ハンズに買いに行った。ズボンのベルトに通して、ちょうど腰のあたりに付けるポーチ。おお、いいじゃんこれと、それ以来ずっと気にいって使っていた。ところがつい先日、違うものを探して仕事場の中を探検していたら、なんと私がこの春、町田の東急ハンズで買ったものとまったく同じものが出てきたのだ。以前も同じものを買っていたんだ。全然、覚えていない!

 似たような商品ということならまだ理解できる。しかし、メーカーも商品もまったく同じ。びっくりして、また隠しちゃいました。

 競馬関連の話題をもう一つ。今朝は早く目が醒めたので、CATVで録画していた『喜劇 駅前競馬』を見た。WOWOWやCATVで最近は昔の映画をばしばし録画しているのだが、観るのに追いつかず溜まる一方。こういうときに観ておかなくちゃな。

『喜劇 駅前競馬』は1966年公開の東宝映画で、駅前シリーズの一本だ。森繁久弥が薬膳屋の主人、三木のり平が銭湯の主人、フランキー境が予想紙の発行者、それぞれの細君が淡島千景、乙羽信子、大空真弓だ。関西から来た詐欺師が藤田まこと、その恋人が野川由美子、上山競馬の調教師が伴淳三郎。これが主要キャストである。

 今から四十五年前の映画だから、みんな若々しい。内容的にはどうってことのない映画だが、それを観ているだけで、複雑な気持ちになる。主要キャストの大半が亡くなったいま観ると、この人たちにも若いときがあったんだと当たり前のことに感心するのである。

 映画の舞台は大井競馬場と上山競馬場だが、いまはなき上山競馬場には1970年代半ばに行ったことがある。場内には「伴淳三郎の店」と看板のついた食堂があったことを思い出す。この映画でも上山競馬場の調教師を演じていたが、伴淳三郎と上山は深い関係にあるのかもしれない。

 ところで、この『喜劇 駅前競馬』に映った上山競馬場のスタンドはうらさびれていて、私の記憶とは違っている。中央競馬の競馬場ほど立派ではないにしても、もう少しきちんとしたスタンドだったような印象があるのだが、これほど儚げな建物だとは意外だった。そして、あのとき一緒だった友はどうしているのだろうか、と突然思い出すのである。

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