12月1日(木)

旅行人165号世界で唯一の、私の場所《休刊号》
『旅行人165号世界で唯一の、私の場所《休刊号》』
椎名 誠,高野 秀行,石井 光太,小林 紀晴,蔵前 仁一,宮田 珠己,グレゴリ 青山
旅行人
1,470円(税込)
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「旅行人」165号が送られてきたので封を切ると、その表紙に「長い間、ご愛読ありがとうございました。旅行人はこれで休刊します」とあったので驚いてしまった。その巻末に編集長の蔵前仁一氏が「旅行人休刊にあたって」という長い文章を書いている。

 それによると創刊は23年前、最初は「遊星通信」という誌名で、それを「旅行人」に変えたのは1992年。創刊部数50部は200部にまでなっていたが、誌名を「旅行人」に変更して3年で2000部に達する。そして1995年、正式に出版社となって雑誌「旅行人」以外に単行本も刊行するようになる。
 1997年には雑誌「旅行人」は1万部を超え、社員も8人に増える。それは1996年の「猿岩石」ユーラシア横断がバックパッカー・ブームを呼んだ影響もあったのだろうと蔵前氏は分析している。しかしブームはあっという間に去り、日本の出版界を不景気が襲い、そこに2002〜2003年のSARSが追い打ちをかける。2002年に1650万人だった海外渡航者が2003年には320万人減ったというのだ。そのくだりで蔵前氏はこう書いている。

「これでアジアのガイドブックはまったく売れなくなった。それどころか、一時、書店から旅行書の棚が消滅した。営業が暗い顔で会社に帰ってきて、うちの本を置く棚がなくなっているんですよと報告してきた。旅行書専門の零細出版社にとって、この事件は致命的だった」

 さらに、さまざまな事情が重なり、会社を移転し縮小する。蔵前氏を入れて社員3人だけの「遊星通信」時代に戻すのである。で、月刊をやめて季刊にするが、テーマを絞ったのがよかったのか部数は月刊時代よりも増える。そのテーマの絞り込みはどんどん深化し、制作期間をたっぷり取ることが出来る年2回刊に2007年から移行する。

 しかし2010年に蔵前氏も55歳になり、取材旅もしんどくなってきたと告白する。そのくだりでは次のように書いている。
「仕事だから当然なのだが、そんな取材旅行を繰り返していると、若い頃の旅を懐かしく思い出す。これはむしろ逆ではないのか。若いころにやるべきが今のハードな取材旅行であり、五〇過ぎたらのんびり旅をすべきなのではないか」

 単行本の出版は今後も続けていくようだが、雑誌はこれで幕を下ろすということのようだ。興味がある方はぜひ「旅行人」165号をお読みください。

 私が興味深かったのは、季刊から年2回刊に移すときのことを次のように蔵前氏が書いていたからだ。季刊にした当初は時間的にかなり余裕があったのに数年たつと月刊時代の忙しさとあまり変わらなくなってしまったという次に、蔵前氏はこう書く。

「こういう場合、普通なら社員を増やすのだろうが、前の経験から、僕は社員を増やすより仕事量を減らすことを選択した。社員を増やすと、なによりもまず採算を重視しなくてはならなくなる。もうそんなことはしたくなかった」

 零細出版社を私も25年経営してきたので、この気持ち、実によくわかる。会社を縮小するくだりの「本誌の売り上げも少しずつ降下し始めており、小ネタの連続、マンネリ化した誌面に、何か対策を立てなければならないのは明らかだったが、編集部全体にその力は失われていた。決断しなければならないときが近づいていた」というのも他人事ではない。すべて思い当たることばかりだ。この蔵前氏の文章は、雑誌を発行し、そして休刊するまでの過程を具体的に描いた、優れたドキュメントでもある。

 蔵前さんと最初にお会いしたのは、まだ「旅行人」が会社になる前のことだったから、1993年ごろだ。「面白い雑誌を作っている男がいるから一緒に会わないか」と椎名に言われ、西武新宿駅近くにあった梟門にいくと、そこに待っていたのが蔵前さんだった。
 その縁でそれから私のところへも「旅行人」を送っていただくようになった。私は椎名と違って旅行が好きではなく、だから送っていただいた「旅行人」を見ても、正直に書くとその面白さがよくわからなかった。だからこの雑誌の正確な評価は別の人にまかせたい。

 しかしそういう旅オンチであっても、年2回刊になってからの大特集は目を見張るものがあった。インド西部のグシャラート州、グアテマラ、ルーマニア、キューバ、旧ユーゴ5カ国、バングラデシュ、コーカサス、ポルトガルなど、そこがマイナーであっても全然かまわず、蔵前氏の興味のある場所やテーマの特集を組み続けたのである。こんなところへ誰がいくんだと思われるルーマニアやポルトガルの田舎とか、ベンガルとかコーカサスとか、おそらくこれまでの旅行雑誌ではまったく見向きもされなかった地域の特集を組んだのだからすごかった。私がもっと旅に詳しい人間であったなら、それらの「旅行人」を絶賛しただろう。しかし旅オンチの人間が何を言っても説得力がないのでここは専門家にまかせたい。

 蔵前氏はすぐれた雑誌編集者でもあるが、いまさら言うまでもなく、すぐれたエッセイストだ。著作も何冊もある。本の雑誌社からも1994年に『旅ときどき沈没』という本を出させて貰ったが、これからは好きなところへのんびりと旅をし、そして面白いエッセイをどんどん書いていただきたい。蔵前氏のファンの一人として、そう思う。
 ちなみに「旅行人」休刊号の特集は「世界で唯一の私の場所」というもので、その冒頭に椎名が「馬でフランス氷河を見にいった」というエッセイを寄せている。