12月26日(月) 北上次郎の2011年ベスト10

角のないケシゴムは嘘を消せない (講談社ノベルス)
『角のないケシゴムは嘘を消せない (講談社ノベルス)』
白河 三兎
講談社
1,008円(税込)
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シャンタラム〈上〉 (新潮文庫)
『シャンタラム〈上〉 (新潮文庫)』
グレゴリー・デイヴィッド ロバーツ
新潮社
1,040円(税込)
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しづ子―娼婦と呼ばれた俳人を追って
『しづ子―娼婦と呼ばれた俳人を追って』
川村 蘭太
新潮社
2,520円(税込)
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ジェノサイド
『ジェノサイド』
高野 和明
角川書店(角川グループパブリッシング)
1,890円(税込)
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ローラ・フェイとの最後の会話 (ハヤカワ・ミステリ 1852)
『ローラ・フェイとの最後の会話 (ハヤカワ・ミステリ 1852)』
トマス・H・クック
早川書房
1,785円(税込)
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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
増田 俊也
新潮社
2,730円(税込)
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はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか
『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』
篠田 節子
文藝春秋
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二流小説家 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
『二流小説家 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』
デイヴィッド・ゴードン
早川書房
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消失グラデーション
『消失グラデーション』
長沢 樹
角川書店(角川グループパブリッシング)
1,575円(税込)
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義経になった男(一)三人の義経 (ハルキ文庫 ひ 7-3 時代小説文庫)
『義経になった男(一)三人の義経 (ハルキ文庫 ひ 7-3 時代小説文庫)』
平谷美樹
角川春樹事務所
720円(税込)
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1位『角のないケシゴムは嘘を消せない』白河三兎(講談社)
2位『シャンタラム』グレゴリー・デイヴィッド・ロバーツ(田口俊樹訳/新潮文庫)
3位『しづ子』川村蘭太(新潮社)
4位『ジェノサイド』高野和明(角川書店)
5位『ローラ・フェイとの最後の会話』トマス・H・クック(村松潔訳/早川書房)
6位『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也(新潮社)
7位『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』篠田節子
8位『二流小説家』デイヴィッド・ゴードン(青木千鶴訳/早川書房)
9位『消失グラデーション』長沢樹(角川書店)
10位『義経になった男』平谷美樹(ハルキ文庫)


 これまでは「エンターテインメント・ベスト10」という名で、日本の一般小説を中心にやってきたが、今年は翻訳ミステリーもノンフィクションもごちゃまぜにしてベスト10を選んでみた。
 1位から順にいく。まず1位は『角のないケシゴムは嘘を消せない』。2011年の始めに出た本なのでそろそろ1年がたつが、編集者に会うたびに「面白いからぜひ読んでみてくれ」と言いつづけてきた。メフィスト賞を受賞したデビュー作『プールの底に眠る』の刊行が2009年12月。この『角のないケシゴムは嘘を消せない』の刊行が2011年1月。まだ2作しか著作のない作家だが、いま期待度はいちばん。とにかくヘンな小説を書く作家なのである。

 たとえば『角のないケシゴムは嘘を消せない』は七十三頭の牛と恋人が忽然と消えるところから始まる。琴里は消えた恋人を探しに東京に向かうのだが、「今晩、泊めて」と兄にメールを打つ。兄の信彦は「無理だ」と返信。どうして無理なのかというと、彼はいま透明人間の女性と一緒に暮らしているからだ。人には会わせられないからだ。その透明女と知り合ったときのことがすぐ回想で挿入される。部屋の中で手を伸ばすと、缶コーヒーほどの太さのものを彼は掴むのである。それはほんわかと温かく、柔らかく、力をこめたら壊れてしまいそうだった。そのときに信彦はどうするか。くどいようだが繰り返す。まったく姿も見えないのに、缶コーヒーほどの太さで、しかも柔らかく温かなものを掴むのである。ぎょっと驚くのが普通だろう。ところがこの男は「急いでる?」と言うのだ。この台詞は想像を絶する。で、「暇なら飲まないか?」と誘うのだから、何を考えているんだ!

 こういうふうに、とてつもなくヘンなところから始まる話で、こういうのは引っ張るだけ引っ張って、まとまらないまま終わるケースも少なくないのだが、これは見事に着地するから感服。一にセンスの良さ、二に構成のうまさ、三に鮮やかな奇想。そのすべてが素晴らしい。急いでデビュー作の『プールの底に眠る』も読んだが、こちらも相当にヘンな小説だった。
 書名や造本がラノベふうなので、年配読者は手に取りづらいと思われるが、ラノベがまったく読めない私がたっぷりと堪能できたのだから大丈夫。私がここまで楽しめるんだから、これは絶対にラノベではない。まだ二作しか著作のない作家なので、この人がどこへ向かうのかがまだわからない。しばらく追い続けたい。

 2位は『シャンタラム』。こちらは「本の雑誌」2012年1月号で、ユージェーヌ・シュー『パリの秘密』を例にあげ、その19世紀の全体小説に比較して『シャンタラム』は21世紀の全体小説だと評したが、「小説推理」2012年2月号では翻訳ミステリーの1位にあげた。全体小説なのか、ミステリーなのか。いったいどっちだとこれでは言われてしまいそうだが、それは考え直したからだ。翻訳エンターテインメントのベスト1、というだけでは訴求力が弱いような気がしてきたのである。それにミステリーの要素がないのならともかく、その要素はばっちり。ならば、ここはあえて翻訳ミステリー・ベスト1と言ってしまおう。そういう強いフレーズで推したほうが、多くの読者も手に取ってくれるのではないか。そう思いなおしたという事情がある。

 オーストラリアの刑務所を白昼脱獄してインドはボンベイのスラム街に逃げ込み、そこで無資格の診療所を開き、密告者のために想像を絶する刑務所にいれられ、最後はアフガニスタンの戦場に武器を届けるボンベイ・マフィアの長とともに、アフガンに赴いていく。つまりスラム街小説であり、刑務所小説であり、戦場小説だ。そのすべてだ。読み始めたらやめられない面白さがぎゅっとつまった長編で、文庫3巻を一気読み。正月休みの読書にぜひおすすめしたい。

 3位は『しづ子』。ノンフィクションである。このジャンルでは『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』という傑作もあって迷うところだが、好みでこちらを上位に取った。昭和二十年代にたった二冊の句集を残して消えていった幻の女流俳人の足跡を追うノンフィクションである。興味深いのは、対象となる鈴木しづ子という俳人に、著者がどんどん感情を入れていくところだ。その最たるものが、第一句集「春雷」の序文を師である巨湫から得るために、しづ子が師を訪れるくだり。昭和二十年の師走である。時に巨湫、五十歳。しづ子二十五歳。川村蘭太は浦和駅上りの終電時刻を調べ、奥田暁子著『GHQの性政策』という本を繙き、「当時の治安状態は最悪であった」と書く。そして「何故、しづ子と共に朝を迎えたとは書こうとしないのか。寧ろ彼女を泊まらせるのが当時の常識ではないか」と詰め寄るのである。これはもう巨湫への嫉妬といっていい。この濃い感情がこの書を屹立させている。

 ここまでがベスト3だが、4位に移る前に、ベスト10に入れなかった作品にも触れておきたい。傑作は目白押しなのである。阿川佐和子『うからはらから』、早見和真『砂上のファンファーレ』、山田太一『空也上人がいた』、笹生陽子『空色バトン』、盛田隆二『身も心も』、三浦しをん『舟を編む』、久保寺健彦『ハロワ!』、三羽省吾『JUNK』、さらには籾山市太郎『アッティラ!』、桜木紫乃『ワン・モア』と、2011年もたくさんの面白本があったことはご報告しておきたい。

 というところで4位は『ジェノサイド』。直木賞を落ちたのは残念だったが、山田風太郎賞を受賞。高野和明が大きく化けた一冊だ。本来は1位にするべきだろうが、あえて4位にしておく。その面白さ、全編を貫く緊迫感はいまさら言うまでもない。

 5位は翻訳ミステリーから『ローラ・フェイとの最後の会話』。クックの読者なら「記憶シリーズ」を想起するかもしれない。父親の愛人が二十年ぶりに現れて、あのとき何があったのかを息子に語りかけるというシンプルな構成だが、記憶シリーズがそうであるように、これもたっぷりと読ませる。人は過ちを償うことが出来るのか−−これがこの長編のモチーフだ。クックの名人芸を堪能されたい。

 6位は、ノンフィクションの傑作『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』。昭和二十九年の力道山対木村政彦の伝説的な試合を街頭テレビで見た世代としては、実に感慨深い。私は格闘技に関心のない者だが、そういう読者であっても日本柔道界の歴史を始めとして興味深いことが次々に出てきてびっくり。週刊朝日に寄せた書評で、「異様なまでに熱を帯びた筆致で汚名を晴らそうとする著者は、対力道山戦についても裏でかわした八百長の約束を力道山が破った、と力説する。だがこれだけは無理筋だ。観客に約束したはずのガチンコを裏切ろうとしたのは木村の側だったからだ」と松原隆一郎が書いていたが、格闘技に詳しくないので、どういうことなのかこれがよくわからない。私が思い出すのは、血だらけになった木村政彦を見て、力道山ファンの私ですらも、ちょっとやりすぎだよなと子供心に思ったことだ。いや、子供だからそう思ったのかもしれないが。

 7位は『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』。私はヘンな話が大好きで、1位の『角のないケシゴムは嘘を消せない』はその典型だが、こちらも相当にヘンだ。とにかく、展開の先が読めないのだ。え−っ、こんなふうになっちゃうの、と驚きの連続である。こんな話を書くことが出来るのは篠田節子だけかもしれない。その驚き度、完成度を考えればこれを1位にしてもいいかも。

 8位は翻訳ミステリーから『二流小説家』。2011年に話題になった翻訳ミステリーなので今さら紹介するまでもない。9位の『消失グラデーション』は横溝正史賞の受賞作で、とにかくびっくり。本来ならそのこと以外にも語らなければいけないのだろうが、あまりにびっくりしたのでランクイン。10位は時代小説から『義経になった男』。時代小説には宮部みゆき『おまえさん』を始め、志水辰夫『夜去り川』『待ち伏せ街道』、青山文平『白樫の樹の下で』、夢枕貘『大江戸釣客伝』、辻井南青紀『うごめく吉原』、河治和香『命毛』、吉川永青『我が槍は派道の翼』、野口卓『獺祭』とこちらも傑作が目白押しで一作に絞るのは困難なのだが、そこを無理して選んだのが『義経になった男』。書名からわかるように義経替え玉説を基調とした文庫全四巻の長編だ。義経に影武者がいたという説を持ち込んだ途端に、ひよわな義経像が雲散霧消してしまうのが面白い。もっと読まれていい面白小説だと思う。