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2月12日(火) シネマの極道

シネマの極道―映画プロデューサー一代
『シネマの極道―映画プロデューサー一代』
日下部 五朗
新潮社
1,404円(税込)
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 日下部五朗『シネマの極道』(新潮社)が面白い。映画プロデューサー一代、との副題が付いているように、1957年に東映に入社してプロデューサーとなり、「日本侠客伝」などのやくざ映画から「仁義なき戦い」を筆頭とした実録路線、さらには「極道の妻」たちなどの路線を立ち上げてヒットさせた著者の回顧禄である。戦後映画史の裏話がてんこもりなので興味がつきない。

 たとえば、高倉健がロケ地が北海道だろうが九州だろうが撮影中はカニもフグも食べずに毎日カレーと豚汁に決めているのは、東映京都撮影所で豚汁とカレーライスをよく食べていたころの習慣がいまでも続いているからだとか(海外ロケにもわざわざレトルトを持参するのは体調を崩さないためだと著者は書いている)、中島貞夫が「通天閣の兄やん」という脚本を仕上げたが、京都撮影所の岡田茂所長に「あかんわ、こんなもん青臭い」とニベなく言われ、身近な京都の町でちんぴらヤクザの生態を中島貞夫と二人で丹念に取材し(真冬の京都を歩き回り、アヤシゲで面白い人びとにずいぶん会い、文字通り足で稼いだという実感がある、と著者は書く)、そして書き上げたのが「893愚連隊」であったというのも興味深い。この映画が公開されたのは私が大学二年のときで、当時在籍していた映画研究部では評判の映画だったことを思い出すのだ。

 他にも、深作欣二に監督させるときには予算を二割隠しておかないと大変だとか(細部にこだわりすぎるので予算がどんどん膨れ上がるのだという。その逆に中島貞夫や関本郁夫は予算の八割で仕上げてくる)、引用を始めるとキリがない。

 個人的には第二東映のくだりがいちばん興味深かった。昭和三十五年三月から翌年十一月まで、東映はもう一つの封切系統「第二東映」を発足させたことがあるのだ。そこで著者はこう書いている。

「全国のお客さんの半分を東映がいただく。残り半分を松竹、東宝、日活、大映、新東宝の五社で分ければいい」社長はそう宣言したが、しかし館数をやたらと増やしただけで(年末には二千八百館を超し、邦画上映館の半数近くを占めた)、京都や東京に続く撮影所を増やしたわけではないから、スタッフの数は変わらないのだ。撮影所の状況を考えれば、質量共にこれまで以上の作品を製作できるわけはなかった。

 もう少し引用を続ける。

「元来は企画に厳しい岡田茂も渡辺達人も三日に一本完成させないといけない映画のためにホン読みとオールラッシュと完成試写だけで時間を取られ、常に何十本もの脚本が動いている状態では到底きちんとしたチェックができなくなって、みるみる質は落ちた。文字通りの粗製濫造になってしまったのだ」

 おやっと思ったのは、当然のことながら第二東映の成績は振るわず、翌三十六(一九六一)年二月に「ニュー東映」と名称を変えるが、この年の十一月であえなく幕を閉じる。わずか一年九カ月の短命だった、とのくだりだ。

 私の記憶の中では、「ニュー東映」と「第二東映」がごっちゃになっていたのである。どっちかが記憶違い、と思っていたのだ。名称を変更しただけとは思わなかった。同じだったのか。しかも、たった一年九カ月というのも意外。というのは中学生のとき、「第二東映」の映画をよく見ていたのである。もっとずっと続いたものだと思っていた。

 あとは記憶にしたがって書くのでこれが正しいのかどうかはわからない。私の記憶では、井上梅次の映画で、画面いっぱいに男たちが並んで歩いてくるシーンがあった。殴り込みのシーンである。それが井上梅次の自身の映画のリメイクで、おお、元ネタはあれだぜと思った記憶があるのだ。それが第二東映の映画だったと思うのだが、違うだろうか。

『シネマの極道』の著者日下部五郎は第二東映に対しては、「残した傷跡は大きかった。臨時雇用の過剰人員を残したし、何より東映本体の映画にも観客離れが起きた」と手厳しく書いている。たしかにその通りだったのだろう。しかし当時、第二東映の作品を幾つも見ていた中学生には忘れがたいのも事実なのである。私の記憶では、暗い色調のギャング映画が多かった。日下部五郎が指摘するように、それは粗製濫造で、いま見ると呆れるくらいの出来だったのかもしれない。しかし、その当時に「第二東映」が量産したB級アクション映画を私は好きだった。

 そして、こればかりは本当にそうなのかわからず、あるいは記憶をあとで作っている可能性もあるが、そのころ見ていた「第二東映」のB級アクション映画の影響を私は受けているのではないか、との気もするのだ。私のアクションの好みを決定づけたものの一つに、「第二東映」が量産したB級アクション映画があるような気がするのである。

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