WEB本の雑誌

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4月28日(水)

 ただいま4月28日、午後6時43分。
 このまま何もなければ、GW7連休ゲット!である。
 
 電話が鳴る度ドキッとする。FAXが流れてくる度、ドキドキッとする。

 おっと、ただいま発行人浜本が「すぎえ~、ちょっと~」とデカ声をあげた。いないフリをしようかと思ったら、パーテーションから首をひょこりと出しやがり、ニヤニヤ手招きしているではないか。むむむ、嫌な予感。

「あのさ~、GW、なんか予定あるの?」
「えっ、どういうことですか?」
「いやだからどこかに行くとかだよ」

 ここで正直に特別旅行の予定はないと告げた方が良いのだろうか。しかしそれだといきなり仕事を頼まれたりするのではなかろうか。それとも1週間ハワイに行ってきますと嘘をついた方がいいのか。

「ねぇねぇ、どうなの?」

 そういえば、本日読んでいた『幻の女』香納諒一著(角川文庫)のなかで、何かを探りたいときは黙っていろ、そうしたら相手が何かしゃべり出す、みたいなシーンがあった。よし、それを見習え。

「……」
「だからね、ドラえもんの映画とか行かないの? うちに息子が連れてけってうるさくてさ」

 なんだそういうことなら先に言いなさい。良いのがあるんですよ良いのが。GW中に小田急デパートで開催される「ドキドキドラえもん大冒険」というイベントのチラシをそっと差し出した。

 うーん、どうにかGWゲット出来そう…。

4月27日(火)

 前日のラジオで「明日は嵐になるのでしっかりした傘を持って出かけましょう」といっていたくせに、朝起きたら嵐どころか雨も降っていない。天気予報とかけて出版社の会議と解く。その心はどちらもアテにならない、か。まあ、それでも雲行きは怪しいので、しっかりとした傘を持って、雨の降り出す前に出社する。

 渋谷を営業。
 出かけに浜田から雨の日も大変ですねと声をかけられるが、正直天気なんてどうでもいい。たとえ雨や雪がどんなに降ろうとひとり営業は外に出て金を稼がなきゃならんのだ。だからどんなに嘆いても無駄という半ばあきらめの気持ち半分。あと、天気の悪い日は書店さんが空いているので、仕事がやりやすいという前向きな理由が半分か。

 空いているかと思ったが、さすが渋谷。って何がさすがなのかは意味不明だが、悪天候に関係なく書店さんは混んでいた。それにしても雨より風がヒドイ。日曜にやったサッカーの筋肉痛が微妙に出ていて、踏ん張りが効かず身体を持って行かれそうになる。恐る恐る足を運びつつ、傘はささずに書店さんを廻った。

 夕方、会社に戻ってデスクワークをしていると、ぼさぼさの頭の目黒が扉を開けた。てっきり今まで眠っていたのかと思ったが「これどうしたらいいの?」と骨の折れた傘を差し出した。

【今日売れていた本】
※書評家の藤田香織さんと東えりかさんに復活しろ!と言われたので不定期ながら復活します。

<渋谷地区>
上村一夫珠玉作品集
『山手線外廻り』
上村一夫著 愛育社
「文芸書の棚に置いたら、良い感じで売れてますね」

4月26日(月)

 本屋さんのない町が増えている一方、本屋さんがいっぱいある街が増えている。

 先週、ジュンク堂書店さんが新宿に出店することを発表し、出版営業マンはその話題で持ちきりだったのだが、週が明けたら今度は紀伊國屋書店さんが札幌の駅前に来春出店するとの発表があった。

 どちらの街もすでに本屋さんがあり、それも大きな本屋さんがあって既に飽和している状態のように思えるのだが、本屋さんがひとつの会社でない以上、こういうことが今後も続いていくだろう。

 それにしてもこれに秋オープンする予定の丸善さん(丸の内)を足すとなんと3件で約4000坪を越える売場面積が誕生するのである。4000坪! 僕が大好きな中村橋の中村橋書店さんは約40坪だ。いやはや町の本屋さんの100件分が増えるということか…。

 いろいろな推測やら噂やらが営業マン同士では飛び交っている。しかし、とにかく既存店も新規店も面白いお店になって欲しいとただただひとり営業マンは願っている。そしてそれがお客さんの奪い合いではなく、広がりに繋がって欲しいと…。

4月25日(日) 炎のストライカー日誌

 浦和レッズの話をしていると、よく聞かれるのは「自分ではサッカーをやらないんですか?」ということだ。その質問には「こんなチビでオッサンですけどやっているんですよ」と笑って答える。そうすると今度は「巧いんですか?」と聞かれることが多い。その質問には、下を向くことで答えている。

 僕のプレーの特徴は、声がデカイ、ウルサイ、なぜか点を取る、だろう。
 自分でも理由がわからないけれど、ほんとにほんとによく点を取る。シュートはヘボヘボなのだが、とにかくゴールネットは揺れるのだ。

 しかし誰がどう見ても巧い選手ではないことは確かであり、それは自覚している。リフティングは10回くらいしかできないし、華麗なフェイントなんてしようもんならボールに乗って転んでしまう。20年以上サッカー続けていて「ウルセぇな」と言われたことはたくさんあるが「巧いっすね」なんて言われたことはない。だから下を向くことで答えるしかできない。
 
 本日も、そんなヘボサッカーのため、埼玉スタジアムへ。最近チームのメンバーが11人集まらないので、もっぱらフットサルが主になっているのだが、我らが浦和レッズの準ホームスタジアムである埼玉スタジアムにはフットサルコートが2面あるのだ。気分だけはレッズの選手。

 ところがところがそのスタジアムに向かう途中、キャプテンのモリから連絡が入る。もしや5人も集まらず中止になるという悲しい連絡ではないかとおそるおそる携帯に出たが、モリは極度の興奮状態でしゃべり出す。

「す、す、すぎえ~、福田がいるぞ~!!!!」
「ふ・く・だ?」
「そうだよレッズの福田だよ、ハートフルサッカーで来てたらしいんだけど、もう終わって帰りだそうだよ、早く来いよ~」

 僕のオンボロ車は軽自動車に毛の生えたようなエンジンしか積んでないので、いくらアクセルを踏んでも大してスピードがでない。それでもとにかくアクセルベタ踏みにし、自分の身体を前後に揺らし、4コーナーを回った騎手のようにムチを入れた。

 キキキィー。駐車場の枠なんて関係なく、車を止めた。思わず後部座席に乗っていた娘を忘れて飛び出しそうになるが、「パパ~ここサッカー場?」の声で思い出す。そうか、こういうときこそ娘を使えだ。福田の子供好きは有名で、娘がファンだといえばきっと振り返ってくれるだろう。あわてて娘を抱え、埼玉スタジアム第2グランドへ駆ける。

 そこに福田がいた。
 僕、娘を出しに使うなんてことはすっかり忘れ、思わず腕から落としてしまった。

 そしてそして待つこと30分。取材を終えた福田がネットで囲われたグランドから出て来るではないか。こういうときに声をかけるのは相棒とおるの得意技。頼むぜ相棒とアイコンタクトするとすぐさま福田に駆けより「福田さん、スンマセン、写真お願いします」。まるでゴール前でボールを待っているときのような厳しい表情の福田だったが、優しく了承してれた。うれひぃ~。

 娘とともに3ショットを撮り終えたところで、今度はモリがサインをお願いする。なぜかこいつ、レッズ戦のときに配られる選手カードを持っていて、しかもなぜか用意よく福田のカードを手にしていたのだ。なぜだ? すらすらすら。福田はサインをし終え、控え室に向かおうとする。あわてて僕、なぜか携帯を取り出し「もうひとつお願いします」と声をかける。その声はもちろん震えていた。

 携帯のストラップは福田引退記念のストラップである。そのことに気付いたのかはわからないけれど、とにかく福田はサインしてくれた。ところでどうするんだ、この携帯? ふっとそんなことを思ったが、そんなことはどうでも良い。

 なぜなら目の前に福田がいるのだ。
 僕に何度も生きる勇気を与えてくれた福田がいるのだ。
 それも観客席とピッチという囲いの外と中でなく、すぐそこにいるのだ。
 あなたのゴールで、あなたの走りで、あなたの叫びで、僕は何度も泣いたのです。

 福田はその後、別のファンに囲まれ、なぜか池田伸康がその手伝いをし、控え室に入っていった。僕はその後ろ姿と携帯のサインを交互に見つめていた。

 すると娘が突然大声を出した。
「おしっこ漏れちゃう!」
 パパはとっくに漏れてるぜ!!!!

4月23日(金)

 夕刻。
 営業から会社に戻って一息ついていると、電話が鳴った。

「ハイ、本の雑誌社です。」
「大変お忙しいところ申し訳ございません、こちら国立国会図書館書誌課の者ですが、御社発行の書籍のことでひとつお伺いしたいのですが?」

 さすが国立国会図書館。出版関係の電話と違い、とても丁寧な語り口だ。感心しつつも、もしや奥付表記の間違いでもあったのではないかと不安になる。実は、昨年の今頃出版した編集長椎名の単行本『いっぽん海ヘビトンボ漂読記』の奥付表記を間違えたことがあるのだ。そのときも確かこの国立国会図書館書誌課から電話が入ったのである。単行本編集の金子をにらみつけつつ、話を聞く。

「ハイ、あの御社が3月に出版されました『あなたは古本がやめられる』なんですが、こちらの著者の名前のヨミ方を教えて頂きたく…」
「著者の名前ですか? カシバ アットマーク リョウキノテツジンです」
「カシバ アットマーク リョウキノテツジンですね」
「ハイ」
「ありがとうございました」

 うーん、不思議だ。著者の名前といえば、奥付にローマ字で表記しているのだ。もちろんこの『あなたは古本がやめられる』にも「2004 kasiba@ryouki no tetsujin」とちゃんと書いてあるのだ。もしや「@」のヨミが問題だったのだろうか? そうなると「アットマーク」が正しいのか「アット」が正しいのか?

 何気なく答えてしまったが、kasibaさん。kasibaさんの国立国会図書館での登録は「アットマーク」になってしまいました。お許しください。

4月22日(木)

 久しぶりに早く帰れたので、本の買い出し。
 単行本を買う金がないので、文庫売場に直行した。しかし、北原亞似子や宇江佐真理や北方謙三などの時代小説を物色しているうちに、13冊もの文庫本を手に抱えていて、結局それなりの金を使う羽目に。

 その精算をレジでしていると、妙に熱い視線を隣から感じるではないか。もしや顧問目黒かと思い隣を見るが、目黒以上に疲れたおじさんがそこには立っていた。

 昔からそちらの人に人気の出る顔立ちだと言われているので、てっきりそういう視線なのかと思ったが、どうも違う。そのおじさん、僕の顔と本を交互に見つめているのだ。うーん?

 ところがふとそのおじさんがレジに差し出している本を眺めて納得する。なんと僕と同じように時代小説を十数冊購入しているのだ。池波正太郎に佐藤雅美。いやはや、これはこの後一緒に池林房にでも行って酒を飲んだら話が弾みそうではないか。

 しかししかし。僕とこのおじさんの年の差はどう少なく見積もっても20歳以上ある。そんなおじさんと気が合うような本を買っていていいのだろうか…。

 僕、確かにガキの頃、若くして死んでしまったロックスターに憧れ、生き急ぐような人生を送りたいと考えていた。だから人生の良いことも悪いこともなるべく早く経験してきたつもりだ。ところがところが32歳となってしまった。もう早死にとは言えない年まで生きてしまっている。こうなるともしや人様より早く老成していってしまうのかもしれない。

 隣のおじさんは、そんな僕の怯えにはもちろん気付かず、しつこく熱い視線を送り続けていた。

4月21日(水)

 単行本編集の金子が退職することになった。

 年明けからそんな雰囲気を匂わせていたのだが、まあ、それでも気が変わるだろうと考えていた。ところが、3月になって、ついに次の仕事が決まってしまい「退職」の事実は動かせないものになってしまった。

 金子は勤続10年。またもやこの本の雑誌社のジンクスである「10年を越えて勤められない」を実証されてしまった。本人曰く「気づくのが遅かったんだけど10年勤めて、自分が編集に向いてないことがわかった」というのが一番の理由らしいが、「安い、休めない、やたらと太る」の「3や」の職場だから10年も勤めたら嫌になるだろう。その辺は冷静に納得できるけれど、心情としてはいまだに納得できずにいる。

 実は本屋大賞の佳境の頃、この金子退職問題の心配も抱えていて辛かったのだ。とにかく金子は次の職場が決まっているだけに、早く次の人間をいれなければならない。しかし上に書いたように「3や」の職場であり、こんな会社に入りたいという人がそうそういるわけがない。またまったくの素人では引き継ぎ期間を考えるととても無理。発行人の浜本と二人、夜遅くまで顔をつきあわせていたのだ。

 そんなところにまさに「飛んで火にいる夏の虫」の連絡が入る。

 『本の雑誌』誌上で何度か紹介したことのあるブックファースト京都店が作っている『R.O.D』の編集人荒木くんが、なんと職もないまま上京するというのである。

 すぐさま会社に来てくれと伝えたのが3月中旬。嘘はいけないから「3や」のことはしっかり伝えた。それでも荒木くんは「是非、働かせてください」と言うではないか。あまりの即答に浜本と二人6回も「ほんとに良いの?」聞き返したのがのが3月末のこと。そしてそして4月12日から小社としては7年ぶりに新入社員が入社したのである。

 荒木くんは紅顔の美少年だと、事務の浜田は舌なめずりしている。確かにホッペが赤い。でも27歳で少年なのかは疑問が残る。まあ、世の中の判断は自分比だから仕方がない。

 さあ、荒木くん。金子の後はキツイだろうが、これから一緒に本を作って行こう! 俺はウルサイからたまには殴って良いからね。

4月20日(火)

 神保町を訪問。
 『博士の愛した数式』がほんとにほんとにバカ売れしているようで鳥肌が立つ。

 ただし難しいのはこういうベスト10形式で発表した場合、1位(本屋大賞の場合は大賞作品)ばかりに注目が集まってしまうということだ。もちろんそれは当然のことだけど、この日S書店のYさんが「全国の書店員が選んだ上位10作なんですから…」と呟いたとおり、もっと他の本にも注目が集まって欲しい。うーん、この辺は来年の検討課題か。

 本日もうひとつ鳥肌が立ったのは、東京ランダムウォーク神保町店のWさんに「杉江さん、浜本さんに似てるよね」と言われたことだ。こちらは恐怖で鳥肌が立ってしまった。

 禿げようが、太ろうが耐えるが、浜本に似ているというのはツラ過ぎる。僕はあんなにケチじゃないし、デカレンジャーの唄も歌わないし、変人でもない。

 どこが? どこが? とWさんにしつこく問いただしたが、Wさんは「ふふふ」と笑うだけ。いやー、ほんと勘弁してくれー。

4月19日(月)

 「本屋大賞」以後落ち込むんじゃないかと心配だったが、書店さんを訪問し、いつも通りの営業が始まると、そのなかには「本屋大賞」とはまったく違う一喜一憂があることを思い出す。それは僕の愛する世界であり、とても楽しい。

 しかしそうはいっても一番気になるのは「本屋大賞」関連本。うれしいことに小社の『増刊 本屋大賞2004』も売れているようで、追加の注文を多数いただく。いやしかし。それ以上に大賞受賞作である『博士の愛した数式』小川洋子著(新潮社)はバカ売れしているようで、売り切れしてしまった書店さんも出ている様子。うーん、すごい、凄すぎる。

 とある書店さんの言葉で気になったのは「不況の底は脱出したような気がするのよね。お客さんがまとめて本を買っていくようになってきたし、何か明るくなってきたというか」という言葉だ。

 実は先週、40坪の小さな書店さんを訪問した際、同様の話があがっていたのだ。3月の売上が前年を越え、その越え方が何か目玉の本があってではなく、まんべんなく売れたという話だったのだ。

 まあ、どちらのお店もとても努力されているお店なので、全体の流れと一致するのかはわからないけれど、とにかくそういうお店も売上が上がってくるのは、とてもうれしいことだ。小社も売上が上がって…と話せるよう頑張らなければならない。そのためには、落ち込んでいる暇なんてないってことだ。

4月18日(日) 炎のサッカー日誌 2004.03

 晴天。娘も元気になった。本屋大賞も終わった。おまけに前日抽選は二桁、富士山も見えない。

 本日は心の底から我が愛するレッズを応援できる。幸せって何だろう?と悩む人も多いらしいが、僕にとっての幸せはこれしかない。

 ところがところがスタジアムに着いてビックリ。そこかしこに張り紙が貼られていて「本日は応援しない」という宣言がされているではないか? そういや95,6年にそんなことがあったよなと思い出すが、どうして今日なのかがよくわからない。水曜日に2対0で負けたからなんだろうか? そこに書かれている文章を読むとどうも今年のチームにプライドが見えない…のが原因らしい。

 といって全員が全員応援しないなんてことがあるのだろうか?と考えつつ、試合開始になったのだが、なんとほぼ全員静観しているではないか。いやはや2度目のビックリ。

 今のチームに納得しない人たちがいる。それは了解する。でもでもこの日スタジアムに駆けつけた約2万人がそう考えているのか? おいおい本当か? 僕はまだ応援しないってほどまでは怒ってないし、新しい監督、新しい選手、代表招聘、そして怪我人が出ている中でよくやっている方だと思うんだけど。

 本当に静かなまま試合は進み、前半で3対0と勝ち越してもまったくコールがない。いや耐えきれなくなって仲間とともに「浦和レッズ」コールを始めたが、同調する人は少ない。

 何なんだこれは…。
 スタジアムは自由な場所だと思っていたけど(もちろんルールはある)どうもそうじゃないらしい。それどころかとても社会に似た世界が形成されているようだ。

 この日、浦和レッズは4対1で勝利した。
 僕には喜び以上に戸惑いが大きかった。

4月16日(金)


<午前10時>

 寝不足でふらふら。頭の芯が何だか熱い。
 本日は残務整理が山のようにあるので、私服で出社するが、なぜか早く起きてきた目黒に「何その格好?」とバカにされる。

 その目黒がなにやら本を手に持っていたので覗き込むと、昨日の打ち上げで大森望さんとN社のFさんに薦められた『さよならの代わりに』貫井徳郎著(幻冬舎)であった。

「ああ、昨日○○ものって大森さんに言われて、言うなよ~って怒っていた本ですね」と何気なく答えると、突然目黒、僕の頭をポカリと叩く。「おい! 俺忘れていたのに。言うなよお前」だって。おいおい、大森さんから○○ものと話されてまだ12時間も経っていないのに忘れたなんてどういうこと?

 もしかして目黒考二が本屋大賞受賞作の『博士の愛した数式』の博士のモデルなんじゃなかろうか。そういや目黒も阪神ファンだし、博士にとっての数学と目黒にとっての本と競馬は同じだ。80分の記憶というのもかなり近い線いっているし、ああ、昨日小川洋子さんに聞けば良かった…。


<お昼>

 お礼のメールを大量に書き終え、食事。
 

<1時18分>

 新元良一さん来社。何が理由で思い立ったのかは聞かずにいるが、昨秋から始めたランニングダイエットが功を奏し、信じられないほどの痩せっぷり。マイナス15キロくらい言っているんじゃないか? 

 そんな新元さんに妙に冷たい発行人・浜本茂。こちらも冷たくする理由は聞いていない。


<2時04分>

 僕の背後に座っている経理の小林が、字のとおり「ギャァアアアアアア」を叫び声を上げる。小林は不整脈という持病を抱えているので、てっきり発作でも起きたのかと振り返る。しかし倒れるどころか、すさまじい形相で机から廊下へ走り抜けていくではないか? えっ?

 すると主の消えた小林の机あたりから「ブーン」という唸るような音がし、ハチだかアブだかよくわからないけれど大きい虫が飛び出して来た。それを知った瞬間今度は浜田が「クワーーーーー」と叫び席から走り逃げていく。これで窓際に残ったのは僕ひとり。実は僕、虫が大嫌いで、家にゴキブリが出た時は、娘も妻も置いて逃げまくるような男なのだ。どうしろっていうの?

 しかししかし、浜田と小林は非常に熱い視線を僕に送って来るではないか。その目は「お・ね・が・い。お・と・こ・でしょ」と訴えかけて来ているのは間違いない。ううう、本屋大賞の運営より虫を捕まえる方がよほど大変だ。とりあえず刷り見本の長い紙を筒状にし、それで追いやろうとしたが、虫が突然こちらに向かってくる。悲鳴を上げなかったのは何もこらえたからでなく、ただただ声も出せない状態だったのだ。

 その様子を奥で見ていた金子が、「ほんとにスギエッチは口ばっかりで、ダメな男だな」とぶつぶつ僕をこき下ろしつつ、ビニール袋で呆気なく虫を捕まえてしまった。経理の小林と事務の浜田は熱い視線を金子に送り、僕にはとても冷ややかな視線で「やっぱりこういうときに本物の男気がわかりますよね」なんて言いやがる。うーん、だって怖いんだもん、虫…。


<4時36分>

 眠い。


<6時46分>

 長い一日が終わった。うちに帰ろう…。

4月15日(木)

「発表します。第1回本屋大賞は、小川洋子さんの博士の愛した数式です」

 オリオン書房ノルテ店の白川さんの通る声で発表された第1回本屋大賞。そして、その発表と同時に舞台上に布で隠し設置しておいた『博士の愛した数式』小川洋子著(新潮社)と20本の書店員さん直筆のPOPが露わになった。

 沈黙からどよめきが起こり、またほんの一瞬、沈黙が生まれた。その沈黙は、きっとこの演出が成功したことを意味していたのではなかろうか。それほど書店員さん達が書いたPOPには力があったのだ。

 その力は、どうも小川洋子さんにも通じた様子だった。

 記念盾、副賞である図書カード10万円分と花束贈呈後、受賞の言葉を頂戴したのだが、小川さんはこんな言葉を震えながらもらしたのだ。

「作品を書いても、なかなかそれが読者に渡っているという実感が持てずにいましたが、今日ここでこの手書きのPOPを見て、間違いなく届いていることがわかりました」

 それは、まさに書店員という仕事の本質を突いた言葉だった。
 その際プレゼンターとして登壇していただいた書店員の3名も泣きそうなったと、会終了後にこぼしていた。

★    ★    ★

 前方では激しいフラッシュと、記念撮影が続いていた。

 僕は舞台後方に立ちじっと見つめていたが、目の前で起こっていることが現実なのか夢なのかわからなくなっていた。たかだか数メートル先で起こっていることなのに、まるでサッカー場の上段のスタンドから選手入場を見つめているような感じで、何だかまったく現実感がない。

 そしてその現実感の乏しさは、その後の歓談の時間も続いた。多くの人から「良くやった」「おめでとう」という今までの人生でかけられたことのないような賛辞を頂いたが、何だか他人事のように思えた。

 僕は本当に良くやったのだろうか?
 いや僕が何かしたんだろうか?
 決して変に謙遜する気はまったくない。
 本屋大賞設立時は、コレをやったら俺も少しは、なんて野心がなかったといったら嘘になるだろう。だから前日までは「俺はやったんだ!」と叫ぼうとも考えていた。

 ところが、この一番栄えある発表会の日になったら、何もかもが僕のなかから消えてしまった。それは自分でもビックリするほど静かな、まるで風のない日の湖の水面のような、おだやかな気分だった。

★    ★    ★

 会が終了し、素早く撤収作業をした。それから打ち上げの会場へ向かった。

 乾杯の挨拶を終えると、実行委員の書店員さん達が、突然僕にプレゼントをくれた。
 それは僕に対する手書きのPOPとバーボンだった。みんなが僕に注目しているのがわかった。たぶん泣くと思っていたのだろう。

 しかし、この日は、本当に静かな気持ちだったので、涙をこぼすことはなかった。それはうれしくなかったのではなく、やはり現実感がまったくつかめなずにいたからだ。

 今現在も、まったく現実感がない。電話が鳴るとまた本屋大賞に関しての問い合わせだろうと身構えてしまうし、メールが到着するとまた何か問題が起こったのか?と不安になる。

 今はただ、『博士の愛した数式』が売れることを祈っている。

 ご来場いただいた皆様、暖かい会にして頂き、誠にありがとうございました。
 応援していただいた皆様、ありがとうございました。
 投票していただいた書店員の皆様、ありがとうございました。

 そして最後に、実行委員の皆さん、お疲れ様でした
 来年も頑張りましょう!

4月14日(水)

 早速『増刊 本屋大賞2004』追加注文が入り出し、その直納。ほぼ幽閉されていた2日間。やっと外に出られる。しかも追加分の本を持っての営業だ。こんな幸せなことはない。

 直納先である銀座A書店さんを訪問すると、入り口すぐ左側の平台で「本屋大賞」を大きくフェア展開してくれているではないか! 喜びに満ちあふれつつ、大賞受賞作である『博士の愛した数式』小川洋子著(新潮社)の本屋大賞受賞帯を撫でる。

 その後、担当のOさんに売れ行きを確認すると「昨日一日で『博士~』が5冊も売れたよ」との答え。5冊の売上というのは、もちろん会社や立場によって受け取られ方は違うだろう。しかしこの5冊が本当に本屋大賞受賞作だから売れたのであれば、これは本来なかった売上なのではないか。

 5人の人が、どこかで本屋大賞を知り、そして受賞作である『博士~』を1575円出して買われたのだ。

 この興奮というか喜び。
 どう伝えたら良いのか。

 もちろん、それを目指してここまで頑張ってきたのだ。しかし不安はとてつもなく大きかった。誰も相手にしてくれなかったどうする? 出版社に迷惑をかけるんじゃないか? あるいは投票してくれた書店員さんの苦労を無駄にするんじゃないか? そんなことが毎晩僕の頭に浮かんでいた。

 最終的な数字はまだわからないし、そもそも本屋大賞は始まったばかり。
 けれど、ここで『博士~』が5冊売れたのだ。

 お店を出て、雨降る銀座を眺めた。
 そして、僕は深呼吸をした。

4月13日(火)

 搬入と発表を終え、いくらか落ち着くかと思っていたけれど、今度は新聞社や雑誌社から問い合わせが飛び込み出し、その対応でとても外に出られなくなってしまった。昨日も一日中社内にいて、大嫌いな会社に二日もいるのはまさに地獄になるので、すすすっと逃げ出そうかと思ったが、事務の浜田に「どこ行くんですか! これだけ本屋大賞の電話が多いのに!」と首根っこを捕まれ、社内に連れ戻されてしまった。

 なんかここ数日自分ばかり大変なような日記を書いてしまっていたことを反省する。

 実は一切名前が表に出ることのないWEB本の雑誌のスタッフは、僕どころでない大忙しなのだ。

 発表HPの製作はもちろん、発表会の進行や展示物や印刷物、あるいは備品の手配などなど。おまけに何を考えたのか発表会と同日にオープンするHPの新コーナーの用意と、阿修羅マンでも足りないほどの状況だ。しかもWEB本の雑誌のスタッフといっても、このHP製作だけの仕事をしているわけでなく、他にもたくさんの仕事を抱えているのである。頭が下がる。

 いやはや、結局このHP全体にいえることなのだが、こういうものは表に出ている人間以上に裏方が大変で、しかもHPなんて大して儲かるものでもない。僕が、この日記をしつこく書き続けているのは、その人達へのせめてもの償いの想いが強い。

 なかなか感謝することがないけれど、運営・製作の皆様、すでに4年以上経っておりますが、ありがとうございます。皆様がいなければ、翌日のこのHPは閉鎖することになるでしょう。ほんとにほんとに感謝です。

4月12日(月)

 ついに『本屋大賞』が発表、そして搬入となった。

 今まで、そう去年の今頃から打ち合わせをはじめ、組織を作り、方法を考え、投票を募り、それに多くの書店員さんが投票してくれ、ついにここにひとつの結果が出たのである。うれしい。とにかくうれしい。

 出来上がったばかりの『増刊 本屋大賞2004』を眺めていると自然に涙がこぼれ落ちそうになってしまうが、本屋大賞の成果が問われるのはここからであることを思いだし、ぐっとこらえる。

 そう本屋大賞の目標は、大賞である『博士が愛した数式』小川洋子著(新潮社)や上位10作はもちろん書店員さんが投票してくれたすべての本が、この企画から売れていき、少しでも本が読まれるように、そして売れるようにすることなのだ本屋さんに活気が戻るようにすることなのである。

 だから、本屋大賞の結果は本日発表になったとしても、本屋大賞という企画の結果が出るのはまだまだ先のことなのである。泣いている場合でない。

 それに今週木曜日15日には発表会と贈賞式を行わなければならず、今夜も実行委員で集まり、そのリハーサル。うーん、ほんとにほんとに何か新しいことをするっていうのは大変だ。

 すでに止せば良かったなんて言ってられる場合でないし、トコトン勝負しなけりゃならないわけで、アチョー!

4月10日(土) 涙のサッカー日誌


 究極の選択。
 浦和レッズを取るか? 家庭を取るか?
 朝から夕方4時まで、延々この選択に悩み続ける。

 というのも昨日から突然娘が体調を崩し、吐くわ出すわで大わらわ。本日、朝イチで病院に連れて行った結果は「ウィルス性胃腸炎」とのことで、そういえば近所の子も数日前体調を崩したと聞いていたのだ。ああ。

 そんなわけで病院から帰って薬を飲ませたが、娘は青白い顔でぐったりしており、ときたま「お腹が痛い、お腹が痛い」と涙をボロボロ流す。もっと小さいときは、いきなり吐いたり、ゲリして、それでもただただ泣くだけで、そのときは「どこが痛いのか教えてくれれば」なんて思っていたのだが、いざしゃべるようになりその痛みを訴えられると、今度はどうすることもできない自分がひどく悲しくなる。思わず医者になろうかと真剣に悩んでしまった。

 何度も何度も体温計で熱を測る。少しでも良くなる兆しが見えたら、サッカーに行こうとこのサッカーバカのオヤジは考えていたのである。しかし37度が38度になり、あっという間に39度を越えてしまう。うう。

 それでも妻は、サッカーに行かない旦那の方が、身体どころか頭を壊すと考えたようで「いいから行ってきなよ。どっちみちあんたいたって治る訳じゃないなんだから」と優しい言葉を投げかけてくれる。しかししかし。夫婦というのは、営業と同じというのが僕の持論であり、その甘い言葉にのってサッカーに行こうもんなら、その後の取引に問題が発生するのは間違いない。何せ、こちとらまだ5月9日の新潟遠征を打ち明けていない身なのである。

 浦和レッズを取るか? 家庭を取るか? の究極の選択に、もうひとつ大きな究極の選択が加わる。駒場の神戸戦を取るか? 新潟の新潟戦を取るか?

 果たして本日、10時間近く悩み続け出した結論は、引いて押す。まさに営業の鉄則だ。
 ああ、それにしても昨日朝7時に前日抽選まで行っておきながら、試合を見られないなんて信じられない。でもでも、娘よ、とーちゃんは、サッカーよりお前を取ったぞ!!!

4月9日(金)


 次から次へと仕事が湧いてくる。
 発表を間近に控えた『本屋大賞』の終わりなき事務作業。『増刊 本屋大賞2004』の営業と〆。郵便物の仕分けに、机拭きに、コーヒー入れ。その他諸々。

 それをまるでモグラ叩きのように処理しているのだが、同じ穴からまたモグラが顔を出し、叩いても叩いても尽きることがない。ゲームオーバーは多分来週15日に行う発表会になるだろう。ああ、あと一週間はこんな調子で続くのだ。

 ただ、忙しいのは別に良い。そもそも仕事があるから給料をもらっているわけだし、超零細な町工場経営27年の父親は酒を飲むたび「仕事で一番つらいのは仕事がないことだ」と呟いていたし。あの眉間に刻まれた深いシワを思い出すと、それは正しいんだろうって気分になる。

 とにかく叩いて叩いて空振って、一日があっという間に終わっていく中で、僕が今一番心配なのは、4月15日以降なのである。9,11以降に世界は変わったが、僕にとってはきっと4,15以降に世界が変わりそう。このトコトン、イちゃってる躁状態が終わった後、いったいどこまで落ち込むのか。

 多分相当落ち込んで、真っ白なあしたのジョーになって、完全無気力な高校時代のときみたいに、登社拒否にでもなってしまうんじゃないか。もしくはこっそり浜本の机に退職届なんて置いちゃって、その後、一家でどうするどうする?なんて展開になるんじゃないか。ああ、怖い。

 そんな僕を気遣ってくれたのか、あるいはただただ無計画なだけなのか、来月は新刊をお休みにしてくれた。ならばこのままハワイにでも行って、プールとビールの2週間なんていうのはどうだろうか? しかしその予算、家族合計約50万。そんな金があるなら、浦和レッズのアウェーに行ってるわ。

 そういえば超零細な町工場経営27年のダンナを持つ我が母親の座右の銘は「やっぱりお金がなきゃ何もできないのよ」だった。

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