5月17日(水)初めての読書の日
12連勤10日目。曜日の感覚がまったく失われている。
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中学校に入学した息子が、私の本棚を見上げるようにして「パパ、本、貸してよ」と言ってきたのは、一月ほど前のことだった。訊けば、中学校では「朝読(あさどく)」と呼ばれる時間があって、これから毎日、授業が始まるまでの15分間、本を読む時間があるのだという。
息子はこれまでほとんど本を読んだことがなかった。読書感想文の宿題で本を手にしていたことはあったけれど、あれは課題であって読書ではない。息子にとって本当の意味での読書が始まる。私は涼しい顔をして息子と一緒に本棚を眺めていたが、内心ではここが大きな分かれ道だと考えていた。
読んで欲しい本は山ほどあった。それこそ息子の名前の由来である本もあった。でもそれが読めるとは限らなかった。やっぱり読書には順序と経験値があって、本を読み慣れていない人がページをめくり続けるために重要なことが3つあると思っている。ひとつは知りたいことがそこに書かれていること。もうひとつは先の展開が気になること。そして自分と同じ境遇が書かれていること。好奇心、ストーリー、共感と置き換えてもいいかもしれない。
13歳とはいえ、幼さの残る息子はまだ思春期というほど思い悩んでいるようには見えない。毎日ボールを蹴って、腹いっぱいご飯を食べられれば笑って眠っている。幸せってなんだろう?なんてまだ考えてもいないはずだ。だから本に人生の何かを求めるというよりは、今、いちばん知りたいことが書かれている本か、大きな謎のあるミステリを薦めるかどちらかだろう。
私は本棚の前で悩みながら息子にいくつかの質問をした。
「どういう話が好き?」
「どういう話って?」
「うーんと、謎があるとか、変な生き物が出てくるとか、悪者を倒すとか」
「みんな好きだよ」
「そうか......」
腕を組んで本棚を見つめるしかなかった。自分がどんなものを好きなのかわかるにはもう少し時間が必要のようだった。
うろうろと本棚の前をうろついていた息子がある棚の前で立ち止まる。そこはサッカー本を収納している棚の前だった。メッシやクリスティアーノロナウドといった息子のヒーローの名前が背表紙に刻まれている。
息子が今いちばん知りたいこと。それは......。
私は息子の目の前の本棚から2冊の本を抜き取り、手渡した。
『浦和レッズの幸福』大住良之(アスペクト)と『オシムの言葉』木村元彦(文春文庫)だった。
この2冊は我が家の聖書であり聖典だから、何より読んで欲しいという気持ちもあったけれど、去年の秋から突如浦和レッズとサッカーを観るということに目覚めた息子にとって今一番知りたいことがこの2冊に書かれているはずだった。
手にした本をペラペラとめくった息子は「面白そう。ありがとう」と言って、自分の部屋に戻っていった。
それから毎日、私は息子がどこまで本を読み進んだか気になって仕方なかった。カバンを開けた時に覗きこんで、しおりがどこに挟んでいるか確かめようとも思ったし、何気なく本の話題を振ってもみた。しかし息子から何の反応もなかった。単刀直入に訊けばいいのかもしれないが、それでは読書感想文と変わらなくなってしまう。
3日ほど前のことだった。部屋の本棚を眺めていると、息子に貸したはずの本が元の場所にささっていた。
これはどういうことだろうか。読み終えて戻したのだろうか。それとも読みきれなくてこっそり戻したのだろうか。やっぱりいきなりノンフィクションは難し過ぎただろうか。謎解きが気になるミステリにすればよかっただろうか。
本棚の前で首を傾げていると、ちょうど息子が塾から帰ってきた。
「あっ、パパ。ただいま」
私は2冊の本を息子に見せながら聞いてみた。
「これ、読んだのか?」
「読んだよ。すごい面白かったよ」
息子は興奮気味に話しだした。浦和レッズの歴史について。オシム監督の凄さについて。しかし何よりも興奮していたのは自分が本を読み切れたことだった。
「オレだって本読めるんだよ」と胸を張って階段を駆け上がっていく。そして途中で振り返ると「パパ、『リバース』って話持ってる? ドラマが面白いんだよね」と言った。